夏に想う

@maaapy

第1話

冷たい麦茶の入ったコップから、しずくが落ちる。毎年夏のお盆期間に祖父母の家へ帰省をするとおばあちゃんの作る豪勢な夕飯と共にもれなくクーラー無しで扇風機とうちわでのりきる1週間がついてくるのだけれど、東京の家よりはるかに広いこの家で、なんとなく東京の空より大きく見える青空を眺めるのも悪くない。入道雲って、なんかかっこいいなあ。小さい雲を「あれはくじらの形!」なんて言いながら観察するのも好きだけど、入道雲は何も考えずずっと見ていられる気がする。この前国語の授業で出てきた雄大、って、こういうことかな。それにしても入道雲って動かないんだなあ。大きすぎて動けないのかな。

…なんて妄想を膨らまし始めるのは、宿題に集中出来なくなってきたサイン。私が今年入った高校は夏の課題として、 自由テーマのレポートを書かなければいけない。めんどくさい宿題から終わらせてしまおうと珍しく朝から机に向かっている。が、テーマは決まっているのに手は全く進まず、白い画面にぽつんと佇む 佐倉 想乃 の文字が居心地悪そうにしている。

「おばあちゃん、この前話したレポート、何書いたらいいかわかんないんだけど…」

「あらそう、じゃあ私たちの仕事のことをちょっと詳しく話してあげようかしらね」

そういっておばあちゃんは私の向かい側に座った。

「何から話そうかねえ。今の想乃の生活からは考えられないと思うけど、昔は学校の授業なんかもみんな紙に文字を書いていたんだよ。いまとなってはぜーんぶパソコンだけどね。

そのパソコンが本格的に生活の中心になり始めてた三十年くらい前から、お手紙っていう文化はどんどん減っていっちゃってね。たしかにスマホでことは足りるし便箋を買ったりそれを送ったりするお金はかかるけれど、おじいちゃんとおばあちゃんは完全にお手紙が無くなっちゃうのは寂しいのよ。だからこうしてこの仕事を続けているの」

小学生でさえ授業にパソコンを使う今、日常生活で何かを書くのに紙を使うということはあまりない。手紙を書く人が減ったことで人々の需要が減り事業を縮小してきた郵便局は、今となっては日本で残り両手でおさまるほどしかないらしい。もちろん収入も減っていて大変なはずなのに、おじいちゃんとおばあちゃんは「手紙でしか伝えられない送り主の心」を無くしたくないと言う。「手紙を書くと、書いた人の気持ちが手を伝わって紙に乗るんだよ。メールと違って、手紙はその気持ちを直接手渡すようなものなの」という話は、私がまだ小さい頃からずっとされていた。そんなわけでおじいちゃんとおばあちゃんは郵便局の仕事を続けているのだ。めずらしいし、学校のレポートにはぴったりの題材。だけど私自身手紙なんて書いたことないし、手紙でもメールでも伝えることは一緒なのだから、わざわざ書く意味がよく分からない。…そんなわけで、良い内容が思いつかなくて困っているのだ。そんな私にお構い無しに、おばあちゃんは続ける。

「だからねえ、想乃のお友達にもお手紙の良さを伝えてあげて欲しいのだけど…。あ、そういえば、今日は珍しいお客さんが来るのよ」

おばあちゃんがそう言い終わると、タイミングを見計らったかのように玄関の引き戸を叩く音がした。こんにちはー、という声の方に向かっておばあちゃんは小走りで向かう。

「あら〜よくきたねえ!一人で大丈夫だった?あ、そうそうこの子が想乃よ、会うのは初めてよね?」

「お久しぶりです、佐倉さん。…と、その、ちゃん?はじめまして。」

そういっておばあちゃんと一緒に部屋に入ってきたのは、少し日に焼けた肌に映える大きめの白いTシャツを着た、同年代くらいの男子だった。

「残ってる郵便局で働いてる私たちで少しでもお手紙の文化を守りたくて、4年前くらいからその年のお客さんの数だとか、情報交換をしてるのよ。壮馬くんは毎年おじいちゃんと来てくれてたんだけど、想乃と来る時が同じになったのははじめてね。」

そういうおばあちゃんの言葉はあまり耳に入っていなかった。ただ、さっきより窓から入ってくる太陽の光が眩しいような気がした。


家の裏の畑の方で冷やしているスイカを取ってくるように頼まれた私たちは、2人で玄関へ向かった。一人で行くよと言ったのに、せっかく会ったんだから歳も近いし、お話しなさいよと言われたのだ。壮馬は私より二つ年上の高三で、普段は夏休みの最初にここに来るのだが、今年はおじいちゃんが体調を崩したため部活が休みのお盆になって一人で来たのだという。

「じいちゃんももう若くないし、俺の親もそろそろこの仕事辞めたらって言ってるんだけど。手紙がなくなるのは悲しいからってそのちゃんのおばあちゃんたちとおなじようなこと言うんだよね」

困っちゃうよね、と口では言うけれど、どこか嬉しそうな顔をしている。

「壮馬くん、は毎年手伝ってるの?おじいちゃんの仕事」

壮馬でいいよと笑う彼と歩くこの畑は、やっぱりいつもより眩しい。

「俺、誕生日に毎年じいちゃん達から届く手紙がほんとに楽しみでさ。家が遠いからあんまり頻繁に会えないけど、直接おめでとうって言ってもらってる感じがするんだ」

そのあと壮馬は、手紙に関する話も聞かせてくれた。部活の友達とプレーのことで言い合いになり気まずい日々が続いていたが、授業中その友達にごめん、と書いた紙の切れ端を渡したことで2人で顔を見合わせて笑えたこと。普段は恥ずかしくて口に出せない親へ感謝も、誕生日や父の日、母の日に毎年渡すことにしている手紙ならなんだか少しだけ素直になれること。そんなことを思っているのはおじいちゃんおばあちゃんの世代だけで、古い考えだと思っていた。同世代の人からは聞いたことの無い想いに、みんなとは違う視点を持ってるんだな、と思った。もっと色々知りたくなった。手紙のことも、この人のことも。


それからスイカを取って重たいと愚痴を言いながら家に戻るまでのあいだは、お互いのことをたくさん話した。家族のこと、学校のこと、好きな音楽のことなど話は尽きず、まだ会話にぎこちなさは残るもののだいぶ仲良くなれた。家に戻った時笑い合いながら話す私たちを見て、もう仲良くなったのねと驚くおばあちゃんに、でしょ?と心の中で得意げな顔をした。スイカを食べながら3人で喋っていると、

「そうだ壮馬くん、今日は何時に帰る?遅くなると、おうちの人が心配するわよね」

とおばあちゃんが言った。そうだ、わたしたちは今日たまたま会っただけで夏休み一緒にいることが出来るわけでもなければ、この先また会える保証があるわけでもない。すごく、悲しかった。何時間か前に初めてあっただけの男子のことを自分がこんなにも考えている理由は分からなかったが、なんとなく、このまま「夏休みに一度たまたま会った人」にしてしまっては絶対に後悔するきがした。


そこから壮馬が帰るまでの時間はすぐに過ぎた。他愛ないおしゃべりをし、数学を少し教えてもらい、ちょっと外を散歩したりして過ごすうちに夕方になった。

「じゃあそろそろ帰ります、お邪魔しました。そのちゃんも、ありがとう」

「ありがとう、こちらこそ。たのしかった」

また会いたい、という言葉が口から出なかった。頭では何か言わなくちゃと思っても、言うことも見つからず、ただ手を振った。

「あ、そうだ」

そういって壮馬はリュックの中から取り出したメモ帳を1枚切って何かを書き始めた。

「はい、これ」

壮馬の家の住所と、メッセージアプリのIDだった。

「またしゃべろうよ。俺、来年もここ来るし、会えるかもね」

そう言って差し出された紙には、とめ、はねがしっかりしている筆圧の濃い綺麗な文字が並んでいた。その紙を受け取ろうとしたまま文字に見入っているとなんだか顔が熱くなってきて、本当にその紙を伝わって自分の気持ちが壮馬に伝わってしまいそうな気がして焦って受け取った。おばあちゃんたちが言うことは、あながち間違いではないのかもしれない。

おばあちゃんと一緒に近くのバス停まで壮馬を見送って、じゃあまたね、と月並みな別れの挨拶を交わし、家に戻った。ずっと握りしめていた紙切れを広げて、壮馬の字を眺める。なんだか、とてつもなく手紙を書いてみたくなった。そして、そんなことを思っている自分に驚いた。こんな気持ちは初めてだ。でも、今ならわかる。遠くにいる人にも、自分の気持ちを伝えたい。文字に、気持ちをのっけて、そばで話しているような気分になれるのはメッセージアプリじゃなくて手紙なんだ。明日、便箋を買いに行こう。かわいい便箋と切手を買って、手紙の書き方をおばあちゃんに聞こう。もらったIDも、登録するのはもう少し先でいいや。壮馬や、おばあちゃん達が言うように、手紙だったらほんの少しだけ自分の素直な気持ちを伝えられるかもしれない。そんなことを考えて、また机に向かう。今度はレポートづくりがはかどりそうだ。

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