第9話 タイムスリップのお仕事(下)
日も落ち切った公園内。大池の上でゆらゆらと怪しい光を放つそれはしきりに膨張と収縮を繰り返している。
同じ様なものが目視できるだけでも1、2、3...と増えていく。
...ズッ...ズッ...ズッ
何かが擦れる様な、這いずる様な不気味な音が園内に響き渡る。共鳴するように膨張し始めたそれにより、空間が歪んでいく。そんな中ナナミは視界の端に赤をとらえた。
金属のような光沢を持つ赤色。
禍々しくも滑らかな表皮。
大木のような胴が『ねじれ』の中から覗いていた。
「あれは......ドラゴン?」
ナナミの呟きに反応してか、禍々しい巨体がゆっくりとこちらに向き直る。その顔に瞳はなく、凶悪な牙と洞穴のような口がこちらを見ていた。
「っ、違う。ワームだ! 攻撃を開始しろ! 絶対に『ねじれ』の外に出すな!」
ある職員のけたたましい叫び声によって一斉に魔導具による攻撃が開始された。
『ねじれ』を囲むように展開された魔法陣が鎖を放つ。鎖に気付き、暴れ始めたワームの体に鎖が食い込む。
必死の抵抗によりギチギチと音を立てている鎖は今にも千切れそうなほど張っている。
この機を逃すまいと職員たちの攻撃が一層強まった。
生成された炎が渦を巻いて纏わりつき、砲撃の雨が口内に叩き込まれた。ダメ押しにと槍のような岩石が射出される。
しかし、ワームは止まらない。
大量の魔法を打ち込まれているにもかかわらずワームはズルズルと『ねじれ』の外に這い出ようとしている。
「ナナミ! アレ出しなさい!」
「私まだ使い方の研修受けてないんですけど!?」
「いいから! 今使えるのあなただけなの!」
焦りを隠せないフタバの声により携帯していた銃型魔導具を向けるナナミ。
持ち手から伸びた光が腕を包み、銃身が固定されていく。ゆっくりと確実に魔力弾を装填したナナミはワームへと銃口を向ける。光を帯びる魔導具と銃口へ集まる熱。耳が痛くなるような高音と手に伝わる重みが火力を物語る。
(頼むから当たって!)
瞬間、銃口から光の束が射出された。
キイィィィィン
甲高い音と共に爆発音が響いた。『ねじれ』は煙に包まれその奥を見ることはできない。職員たちが固唾を飲んで見守る中、
...ズッ...ズッ...ズッ
「!?」
再び、這うような音と金属の擦れる音が聞こえた。
光線は命中した。しかし、登る煙幕の中ワームは動いていた。焼け爛れた皮膚から滴る体液が池を汚していく。
(あれだけやっても死なないのね......)
攻撃を受けたワームは悶えるように、怒り狂ったように暴れ始めた。魔法陣はすでに輝きを失い、ピンと張った鎖はもう限界だと言わんばかりに音を立てている。
(あれが解かれる前に......!)
追撃のためもう一度戦闘体制に入るナナミだったが。
カチ...カチ...カチ...
引き金を引いても何も起こらない。
それどころか腕に繋がっていた光の束は消失し、魔導具自体も輝きを失っている。魔力を流しても、弾を装填してもそれは変わらない。
(壊れた!? もらったばかりなのに!?)
「どうしよう先輩、なんも出ないです!」
「嘘でしょう!?」
パキン
思いの外軽い音が緊迫した空間を揺らす。ヒビが入った鎖は連鎖的に崩壊していく。キラキラと消えていく鎖の奥から凶悪なワームの顔が覗いていた。
「あーもう。応援呼ぶから下がってなさい!」
使えなくなった魔導具と共にナナミを下がらせ、フタバは通信機に向かって叫んだ。
「こちら【A-028】。『ねじれ』の対応中、巨大生物を確認しました」
「支給装備での撃破は不可能と判断。至急応援を......」
———待って
声が聞こえた。
周辺職員の攻撃に遮られることもなく、はっきりと。
ふっと振り返るフタバだったが、そこにはナナミが不思議そうな表情で立っているだけ。突然通信機を下ろしたフタバを心配そうに見つめている。
(違う、ナナミの声ではなかった......)
時が止まったかのような困惑も束の間。ナナミの顔が恐怖に歪み、フタバの後ろを指さして叫んだ。
「先輩後ろ!」
迫り来るはワームの口。すでに『ねじれ』から脱出しつつあるワームは他の職員に目もくれず一心不乱に飛び込んでくる。円を描く鋭い歯がフタバ達を飲み込もうとしていた。
———ダメだよ
フタバが耳元で聞こえた声に気づいた瞬間、あたりが眩い光に包まれた。
「......せ......い...」
「先輩...先輩! 無事ですか!?」
「っ......」
ナナミの呼びかけに意識を引き戻されたフタバ。咄嗟に起きあがろうとするも、うまく体が動かない。
「......問題ないわ」
「ワームはどうなったの?」
ナナミに支えられつつ起き上がった彼女は攻撃音が一切聞こえないことに気がついた。周囲を見渡しても相対していた巨大ワームは見当たらない。
「それが......」
話そうとした途端、おーい、と気の抜けた声が辺りに響く。声の方へ目をやるとそこにはボロボロな服装のサナがこちらへと走っていた。
「追いついた! 今どうなってる?」
「いきなり出てきた巨大生物が一瞬で消えちゃいました」
「消えた!? ......そっか。大事な時に行けなくてごめんね」
しょんぼりとするサナ。彼も捕獲した魔獣の対応に追われていたのだろう。腕には包帯が巻かれ、服には強引に破かれた跡がある。
「ってフタバちゃん、大丈夫?」
「平気...平気よ......」
帰ってきたのは明らかに平気ではない声。青い顔のフタバに慌てて救急班を呼ぶサナ。未だふらつきが治らない彼女の表情は暗く、顔色も悪い。
「魔力酔いかしら...おかしいわね」
「無理しないでください。ほら、医療班の人来ましたから」
ツキツキと痛む頭を抑えるフタバは医療班の人間に連れられ医務室へと搬送されていった。
周辺、特にフタバたちの近くでも似たような症状の職員がいるらしく、救急班が忙しそうに走り回っている。奥から担架をもった使用人たちが走ってくるのも見えた。
患者の症状は目眩に脱力から嘔吐、失神まで。先ほどフタバが言った通り魔力酔いなのだろう。
(さっきの光はなんだったんだろう?)
ナナミは自身の窮地を救った謎の閃光を思い返す。前触れもなく現れたそれは、膨大な魔力が込められていた。
(魔導具を構えている人なんていなかったしなぁ......)
頭をひねるが何も出てこない。先輩が回復したら聞いてみようという結論に至ったナナミは現場の回復作業に取り掛かった。
搬送の傍ら周囲の環境整備は着々と進み、『ねじれ』も塞がりかかっている。
ようやく今回の『ねじれ』の騒動もひと段落といったところだろう。
体調不良者の搬送もあらかた終わった頃、洋館へと向かう職員たちの姿もちらほら見え始めた。
(あれ?)
その中に見覚えのある人物を発見したナナミは彼らの方へと駆け寄った。
「先日は眼鏡の件でお世話になりました」
「いえいえ。これが我々解析課の仕事ですから」
とある転生者の
「それにしても、まさかあの様な生物がここに来るとは...。予想以上に時間が掛かってしまいました」
「結局なんだったんですか? あのお化けワーム」
ナナミは今まであれほど大きなワームを見たことがなかった。対峙した際の恐怖よりも巨大ワームに対する好奇心が勝ったナナミは質問を投げかける。
すると、ぺらりと数枚のメモ書きと共に生態記録データが投影された。
「種類としてはレッドワーム。暑い地域を好む、片手サイズのものが一般的な虫ですね」
「嘘......。あんなに大きくて頑丈なことあります?」
先ほどの攻撃を受けてなお動き続けた化け物と映し出された小さな虫を比べるナナミ。元を辿れば片手サイズ。脅威の成長速度に驚きを隠せない一同。
「巨大化の原因として考えられるのは魔力鉱石ですね。食べると時折変異する個体がいるんです」
「私の知っているやつと違うんですけど...硬さとか大きさとか」
「何千年と食べ続けた個体でしょう。レッドワームの生息地と巨大鉱脈が重なることはないと思っていたのですが......」
ぽちゃん、ぽちゃん
唐突に聞こえた水音に振り返るナナミ。視線の先は大池であった。閉じかかった『ねじれ』から何か赤いものがこぼれ落ちている。
「......『ねじれ』からなんか出てきてませんか? 」
池の中心に落ちたそれは四方に散らばるように岸を目指す。うぞうぞと陸に上がってくる虫は先ほどの怪物を縮めたような姿をしていた。
「あれです、レッドワーム! とんでも外来種ですよ! 早く捕獲を!」
ナナミを含めた職員たちが虫取り網片手に走り回ること数十分。ようやく周辺の魔力反応が消え、公園内に平和が訪れる。
各職員はすでに業務を済ませて職場に戻っている。先ほどの解析員も軽く会釈をして職場につながるゲートに消えていった。
そんな中、事後処理をしていたサナの元に大量のレッドワームが入った虫籠を抱えてナナミが駆け寄っていく。
「サナ先輩〜。捕まえてきました!」
「ヒッ」
職員の中でも1番多く取れたのだと自慢するナナミと思わず後ずさるサナ。彼はうじゃうじゃといるレッドワームに顔を青くしている。
「落ち着こうナナミちゃん。落ち着いてそのミミズもどきを回収係へ渡すんだ」
「?」
必死に説得するサナ。しかし虫に対して嫌悪感のないナナミはサナの恐怖もつゆ知らず、虫籠から一匹取り出してサナに見せた。
「毒はないし、噛んだりもしないので安全ですよ〜」
近くで虫を見せられたことで硬直したサナの手にナナミは一等大きいワームをちょこんと乗せる。手から感じるぷにぷにした感触と蠕虫のグロテスクな顔。サナは全身の毛が逆だったような気がした。
「ほら、大丈夫でしょ!」
「ミ゛」
ふらりと倒れるサナと咄嗟にワームをキャッチするナナミ。
「あれ......サナ先輩? ...サナ先輩!?」
サナが目を覚ましたのはこの悲劇から2時間後だった。
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