第5話 元の世界に戻すお仕事
現在、転生者ラッシュを乗り越えた転生管理所では普段よりもまったりとした空気が流れている。ある者は優雅に菓子と紅茶を嗜み、またある者は友人と談笑する。そんな時間だ。
「うーん、この子飛ばされちゃった子だっけ?」
そんな中ナナミはとある写真と睨めっこをしていた。映っているのは1人の少女。色素の薄く優しげな顔。白一色のドレスを身に纏い、一面の花畑で微笑んでいる。
別世界の職員から送られてきた幻想的な一枚。
「どうしたのよグッタリして」
コーヒーを片手にフタバが写真を覗き込む。
「先輩聞いてくださいよ。不具合で飛ばされちゃった子が帰って来れるってことで魔力の帳尻合わせしてたんですけど」
「聖女やってたせいで元の生活に戻せないんですよ」
ドンと表示された魔力の値は常人の何十倍と多いものであった。これから科学世界に戻すというのに叩き出されたのは、転送さえ難しい値。
魔力を削る方法を捻り出そうにも、元が多過ぎて何処から手を付ければ良いのやら。
『聖女』の域に収まらないその魔力量に唖然とするフタバ。
「......高すぎないかしら」
「ええっとですね。元々国を守るために召喚されたらしいんですけど、勇者一行と旅に出て魔王討伐に尽力したみたいで」
「聖獣とも契約して、精霊にも気に入られて」
「結果がこれです」
思わず頭を抱えてしまいたくなる様な聖女の行動に国を守る役目はどうしたのか、どうやって聖獣と契約できたのか、その行動力はどこから出てくるのか。数々の疑問でフタバの頭がいっぱいになった。
「この子元々普通の女子高生よね?」
こくりと頷くナナミ。彼女も心底不思議そうな顔をしている。
「別に特別な血統でも世界大会出場者とかでもないんです」
「......お転婆な子ね」
相当な理由がなければただの女子高生が魔王討伐に出向くことはないだろう。そもそも彼女は補正のかかった転生者では無くただの時空の迷子。契約により得た魔力と聖女としての役割を除けば、あの世界でワーストを狙えるステータスだ。
「結局どうすればいいんですか、これ」
「もう転送用の魔法陣は展開済みだからいじれる所も少ないんですよ〜」
べそべそと泣き言を垂れる彼女は未だ魔力を削る方法を模索中。
すでに構築された魔法陣は複雑怪奇で美しい模様を表現している。幾重にも折り重なった花びら模様は、聖女を送り出すために調整した特別製。製作者の技量と熱意が伝わる一作。
こんな心を込めた作品を壊したくない。しかし、魔力の調節には書き換えが必要。他の方法を探そうにも見つからず堂々巡りだったのだ。
「なら相手側の魔力の方向に干渉しましょうか」
「方向にですか?」
「そう。転送時の消費魔力を彼女が負担する形にするの。それだけでもだいぶ楽になるはずよ」
転送の瞬間に負担先を魔法陣の製作者から聖女に変更することで転送される魔力を減らす作戦だ。
もちろん聖女側にも多少の負担はあるし、魔法陣の色も変わるかもしれないが、聖女が最後に見る光景は美しい花の形を保つことが出来る。
提案を聞いたナナミは、早速魔法陣への干渉を始めた。
———1000000...500000......1000...500......
みるみると減っていく魔力に今までの曇り顔が嘘の様に晴れていく。
「先輩、いけますよこれ。転送できます!」
「それにしても聖女が帰るというのに勇者は来ないのね」
「
「なら尚更可哀想ね。役目を終えたことによる強制帰還でしょう?」
愛する人との離別。それが世界すら隔たれたものであるなど、一体どれだけの悲しみだろう。
不具合による異世界転移の理不尽さに、過去の悲しい事件が幾つかよぎるフタバ。
なんだか可哀想なことをしている様な気がして聖女の映る画面へと目線を送る。
「言ってませんでしたっけ。この子強制帰還じゃありませんよ?」
「あら? そうなの。それなら事前に聖女を送る宴でもしていたのかしらね」
少女の意思による帰還であることを知り、フタバは胸を撫で下ろした。
転移を行う場所に人目につかない祈りの場を選んだ程なのだから、事前に別れを済ませてひっそりと帰る予定なのだろう。
聖女の見送りは白いローブの神官たちのみ。
涙を堪える者や聖女の手を握り跪く者。彼女がどれだけ慕われていたかが見て取れるその光景は、宗教画の様に美しかった。
「勇者と結ばれて国に残るっていう方を選ばなかったんですね」
得るはずだった権力や財産を全て置いてでも元の世界を選んだ聖女にナナミは優しく微笑んだ。聖女に選ばれる女性はみんな優しいながらも一本筋の通った人達だった。例に漏れず美しい精神を持つ少女に密かに喜びを感じている様だ。
「富も名声もいらないなんて無欲ですね。この子もすごく優しい子なんだろうな〜」
「この世界の友人もいたでしょうに、それ以上に元の世界の生活が恋しかったのかもしれないわね」
資料に目を通しながらナナミは壮大なホームシックですかねとぼやく。転送の準備はすでに終わっており、聖女も転送用の魔法陣の中。
—転送を開始します—
職員達が見守る中、聖女はその魔力の大半を世界へ帰し、最小限の力で故郷の世界へと送られてゆく。ナナミはこれから彼女が戻るであろう平穏な日常に想いを馳せつつ、残りの作業に手をつけ始めた。
—————————————————————
走る。
ただひたすらに走る。
残り滓のような魔力でも。それでも走る。
ここで足を止めてはいけない。少しでも速度を下げれば追いつかれる。
———『奴』が来る。
背後に迫るは聖剣の輝き。信仰の対象でもあるそれが今は恐ろしくて仕方がない。
きっとあの光輝で妾の首を断つのだ。今までの敵と同じように。
ただ、感情もなく機械的に。
「っあ!」
まずい。足がもつれた。早く体勢を...
カチャリ
「まさか魔王の娘である君が『逃走』を選ぶなんてね」
「それで、我が愛しの聖女はどこへ?」
視界が広くなった。姿隠しのローブが切り裂かれたのだろう。剣を突きつける勇者の涼しげな顔がよく見える。全く忌々しい。
口では温和に振る舞おうとも殺気は隠せていないのだ。感情の制御が人間にしては上手いのに
ありありと浮かぶ激情は姉さまが自分から離れることへの嫌悪からきているのだろう。だから彼女を元の世界へ帰す術を編んだ妾を狙っている。
どうせこのまま殺されるのなら、せめて。せめて時間を稼ごう。彼女が元の世界へ戻れるように。
「し...知らぬわ! 帰りたいと望んだのは彼女の意思。妾は受けたご恩に報いただけじゃ。貴様が口出しできることではない!」
恩に報いた。嘘ではない。魔王の娘として生まれた私を仲間と呼び、『妹』のようだと言ってくれた人。
誰よりも優しい人。
聖女として気丈に振る舞いながらも心の奥では故郷を想って泣いていたのを妾は知っている。そんな彼女を元の世界へ送り返すことは皆の総意であった。
勇者を除いて、だが。
「もう彼女は行ってしまったということかな?」
「そうじゃ。無論、妾も飛ばした後は手出しできん」
そう告げると勇者の顔が怒りに歪んだ。
そう、その表情だ。姉さまには終始見せることのなかったこの男の汚い部分。
タダで殺されるなど認められない。せめてその分厚い化けの皮の中身を引き摺り出してから死んでやろう。
「残念じゃったなぁ。もう一月もあれば貴様のかけた呪いによって聖女を手に入れることが出来たのになぁ」
魔王討伐後、1番最初に呪いに気づいたのは僧侶であった。気弱な彼は何度解呪してもかかり続ける呪いに興味を抱き、犯人を知る直前で謎の死を迎えた。
「その蛇のような執着も無意味となるのだ。編み上げた術は我ら旧魔王軍の叡智の結晶。彼女を追うことすら許されぬ、貴様では敵うはずもない」
僧侶以外にも少数だが死者はいた。妾の味方として、魔王へ叛逆した魔族にも勇者のやろうとしていることに勘付いた者がいたのだ。『魔王の呪い』などと言われ、その実勇者に殺された者たちが。
「聖女様は故郷へ帰られた。ようやく真の安らぎを得たのだ」
妾は彼らを忘れない。共に聖女を想い、戦い抜いた仲間を忘れない。
彼らの血で剣を濡らした勇者への怒りを妾は忘れない。
頼もしいと思った剣技で、柔らかな物腰で、妾たちを騙していたことを忘れない。
「何度でも言うぞ。貴様に付け入る隙などない」
ああ、自らの嫉妬心に負けて仲間を殺し、その身勝手さによって貴様は
「そう、それは残念だよ」
あ...れ......?
「がっ...ぁ......あ?」
息ができない。言葉が紡げない。
体が感電したかのように動かない。
強い衝撃と熱が脳へ押し寄せる。
何が起こったのか理解する前に二撃目をくらった。
「つ゛っ...う゛......」
「ならば私もあちらに行かないとね」
地へと縫い付けられた妾を勇者の感情のない目が見下ろす。
ろくに回避もできず致命傷。我が事ながら情けない。すでに腹の下には血溜まりができ、視界も霞んでいる。
それでもまだ、口は動く。
「追いつけぬと...言っておろうが。仮にあちらに行けたとて貴様は
「そんなことは関係ないんだよ」
勇者の表情は読めない。しかし彼の激情は受けた斬撃から読み取れた。
———まったく悍ましい
どうしてこのような感情が生まれるのかなど考えたくもない。頭のネジが数本外れているのだろう。
妾がもう長くないことを確認し、聖剣を引き抜いて背を向ける。
向かう方向は姉さまの転送を行なった祭壇。
引き留めなくては。1分、いや1秒でも良い。時間を稼ごう。此奴をあそこへ近づけてはいけない。
「......っ。力の無くなった貴様に何が出来るというのじゃ!」
勇者は振り向かない。
「今更貴様に何ができる!」
勇者は振り向かない。
「仲間の血に汚れた貴様が!」
勇者は振り向かない。
「あ、姉さまと幸せになれるなど!」
勇者は
「うるさいなぁ」
「......ぁ」
聖剣の輝きを最後に、魔族の意識は途絶えた。
魔族の血に塗れた聖剣を拭いながら夢見心地の勇者は呟く。
「大丈夫、彼女は私と幸せに暮らすんだ」
「......私が、幸せにするんだ」
—————————————————————
数日後、ナナミ達の部署に緊急の仕事が舞い込んできた。緊迫した状況の中、同部署の職員が内容を見て叫び出した。
「勇者が聖女追ってきたって!」
「嘘でしょ」
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