第3話

次の日の午後、草むしりの手伝いが終わった二人はそのまま、抜いたばかりの雑草を手に山へ向かって行った。

「シロ、ちゃんと見つかるかな…」

「足を怪我してたんだ。そんなに遠くには行けないよ。」

「だといいけど…」

 平助は不安そうな顔をしていたが、山の麓に着くなりその不安は消し飛んだ。草むらの中をシロが走ってきて、平助の腕の中に飛び込んだのだ。

「シロ!もう怪我は大丈夫なのか?」

「まだ傷は残ってるけど、見たところもう問題なさそうだ。わざわざ見舞いに来なくても良かったかもしれないな。」

「でも、シロもこんなに喜んでるだよ。」

 シロは嬉しそうに平助の顔をペロペロと舐めていた。

「そうだな…シロが喜ぶならたまには来てもいいかもな。ほらシロ、ご飯持ってきただよ。」

 太郎も心なしか嬉しそうな表情でシロに草を差し出した。

「せっかく山まで来たんだし、みんなで散歩でもしたいだ。」

「いいだよ。」

 そうして二人と一匹は山の中に入って行った。

「あれ?兄ちゃんまた鼻唄うたってるだ。何ていう歌?」

「ああ、これもさっきわしが作った歌だよ。」

「すげえ!兄ちゃん頭もいいし、歌もどんどん作れちまうんだな!」

「いや、そうでもないだよ。実はこの歌、どうしても歌詞が思いつかないから鼻唄で歌ってたんだ。そういう曲もいっぱいあるし、ちゃんと歌詞までついてる歌なんて一握りだよ。」

「それでも大したもんだよ。そうだ!今度歌詞が思いつかない歌いっぱい教えてくれよ。おいらがそれに歌詞つけてあげるよ。」

「平助が?いや、いいよ。大体作ったって誰に聞かせるんだ。」

「村のみんなに聞いてもらおうよ。」

「よせやい。別にみんな聞きたがらないさ。」

「そんなことないよ。シロも聞きたいだろ?」

 シロは丸い目で二人をじっと見つめていた。

「シロに聞いたってわからないよ。」

 太郎は苦笑いして言った。

「でも、そうだな。シロに聞かせてみてもいいかもな。」

「やった!じゃあ今度までに考えておくよ。」

 その後も彼らは日が暮れるまで山中をのんびり歩いていた。帰宅後、太郎と平助は両親に帰りが遅いと怒られたが、それでもシロと過ごした時間は楽しかった。




葉月も終わり、長月となった。この、旧暦で言う秋のうち最後の月には、この時代の農民にとって重要な行事がある。それは月見だ。江戸時代になると庶民の間でも、一年で最も美しい中秋の名月を鑑賞する月見の文化が浸透し後期には団子やすすきを備え始めるようになる。その庶民の中でも特に農家にとって、月見は豊作祈願や作物の収穫を神に感謝する儀式となったのだ。

 さて、月が変わってからこの日で十五日目。太郎と平助がいつものように山でシロと遊んで帰ってくると、村の中の様子がいつもよりも慌ただしかった。

「おや、どうしたんだろう。」

「今日は十五夜だ。みんなお月見の準備で忙しいだよ。」

「あ、そっか。今年も父ちゃんたち、山にすすきを取りに行くのかな。」

「そうだな。さっき取ってくればよかったかも。」

 そんな事を話しながら家に戻ると、普段なら畑にいる父親が待っていた。

「二人ともお帰り。」

「あれ、お父ちゃん。帰ってたんだ。」

「月見の準備があるからな。で、その月見のことだが、今年は二人が山にすすきを取りに言ってくれないか?」

「え?毎年父ちゃんが行ってるでねえか。」

「ああ、だが太郎はそのうち家を継ぐことになるだろ。その時に月見の手順くらい知っておかないと困ると思うでな。平助は次男だからどうなるかわからんが、まあ知っておいてソンはないだ。つうわけで今年は二人が中心になって準備を進めてくれ。もちろんわしと母さんも手伝いはするでな。」

「尚更さっき取ってきたほうが良かったな…」

 太郎はため息をついたが、後の祭りだった。

「まあいいでねえか兄ちゃん、またシロに会えるかもしれないんだから。」

 平助が疲れた様子の兄を気遣った。



「ようし、それでは出発!」

 夕方。顎髭を生やした壮年の男が言うと、その後に十人ほどの男たちが続いた。村の皆が山にすすきを取りに行くと言うので、村長の息子が彼らをまとめて全員で一斉に向かうことになったのだった。

「参っただ…皆一緒だと、勝手にシロに会いに行くわけにもいかねえだ。」

「しかもおいら達二人以外は皆大人だからなあ。そもそも抜け出そうにも抜け出せないや。」

「二人とも、お父さんの代わりできたのかい?」

 太郎と平助が話していると、近くにいた若く屈強な青年が話しかけてきた。

「はい、父に将来のために経験を積んで来るように言われましただ。」

「なるほど。まだ小さいのに偉いだよ。」

「えへへ。」

 平助は満更でもなさそうな顔をした。

「最近、山で旅人が熊に襲われて死んだって噂を聞いた。二人も気をつけるんだよ。」

 青年は打って変わって真面目な顔つきでそう言うと、他の人に伝達するためか離れていった。

「兄ちゃん、シロが食われやしないかな。」

「ずっとこの山で生きてきたんだ。わしらが心配することじゃないだよ。それよりもわしらが熊に食われないか心配しないといけないだよ。」

 不安そうな平助を太郎が励ました。

 そうこうしている間に山に到着した。

「皆も知っての通り、前に山で人食い熊が出た。森にいる熊は基本的に昼間に活動するが、もう日が沈んだ今でも何が起こるかわからない。皆充分注意してくれ。」

 村長の息子が言うと、皆がおうと返事を返した。

「では、これより各々すすきを刈り取ってくれ。熊のこともあるので、なるべくわしの目の届く位置でやってくれ。」

 こうして一度、男たちの集団は解散した。


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