後編
「あ、しーちゃんおはよ」
「……ふぅか?」
美味しそうな匂いで目が覚めた。引きこもり生活、十……うーん、何日目だっけ。もう覚えてないや。ぼんやりとした視界の片隅に映る蛍光灯がまぶしい。わたしを抱きしめて寝ていたはずのぬくもりがいなくなってる。そのせいで寒かったのだろうか。ぎゅうと自らのしっぽを強く抱きしめていた。昼夜逆転に慣れた体は、日の光がないことにあまり違和感を感じない。
「しーちゃん?」
寝ているわたしの顔をのぞきこんだ楓花の手には。
「お…たま?」
普段の彼女とは無縁に近いものを握りしめていた。
「もー、しーちゃん、なぁに? 寝ぼけてんの?」
上から降ってきた手がゆっくり頭を撫でる。それが心地いい。思わずもう一度目をつむってしまう。夢と現実の狭間をいったりきたり。
「あ、しーちゃん、二度寝しないで」
せっかく気持ちよくまどろんでいたのに、肩を思いっきり揺らす楓花。ぐらりぐらりと体が揺れたせいで、意識を引っ張りだされてしまった。
「なぁに、ふーか……お玉なんてもって……」
「朝ご飯出来たから、起きてしーちゃん!」
「ん、わかた……ん?」
反射で思わず返事をしてから、不思議なことに気が付いてしまう。あれ、なんでまだわたしは寝ているのに、ご飯の準備が出来ているのだろうか。
「私、しーちゃんのためにご飯つくった!!」
「え!?」
とんでもない楓花の一言に、ふわふわしていた意識が一気にはっきりした。思わずがばりと体を起こす。
「うぉ、しーちゃん勢い良すぎー」
「……ふーか」
「ん?」
目の前の楓花は明らかに寝起きではない顔でにっこり笑った。片手に持ったお玉と、電気のついた台所。コンロに乗った鍋からはほかほかと湯気が出ている。
「……ほんとに作ってくれたんだ」
「失敬な! 真面目に作ったよ私!!」
「……ありがと」
目の前の光景に驚きつつも、少しずつ理解が追いついてきた。楓花がわたしのために料理を作ってくれるなんて。ぶんぶんと揺れるしっぽが視界に映る、彼女もなんだかうれしそうだ。
「ほら、私、今仕事に行けないじゃん?」
「うん、そうだね。休んでいいよっていったのに」
「いっぱい休んだよー。だけど、しーちゃんは休んでないでしょ?」
朝から満面の笑みでにこにこする楓花に悪い気はしない。思わずわたしも笑顔をもらってしまった。
「べつに、気にしなくてもよかったのに」
「いいや、私が気になっただけ。美味しく……ないかもだけど」
さっきまで、笑ってたくせに、とたんに自信なさげな顔をする楓花。
「……ふーか、わたしが作ったご飯。美味しくなかった時ある?」
「え、ないない! しーちゃんのご飯はいつでも美味しいよ」
「……ならふーかが作ったご飯もきっと美味しいよ」
「そう、かな」
「だって、愛情こもってるでしょう?」
とかなんとか言っちゃって。
「うん、確かに」
楓花はけらけら笑いながら続ける。
「しーちゃんのご飯は愛情こもってるから美味しいのかぁ」
「……そう、だよ」
でも、面と向かってそれを言われるのはまだ恥ずかしくて、少し逃げ出したくなる。
「じゃ、じゃあ、顔洗ってくるね」
「行ってらっしゃい」
ゆっくり立ち上がって、その場でくうと伸びをした。背中でしっぽがゆらりと揺らめくのがなんとなくわかる。
「しーちゃん、髪の毛は寝ぐせすごいのにしっぽは全然だね」
「ん? そう?」
「ふわふわ……」
楓花にぱしりと捕まえられて、顔をうずめられる。
「いい匂い……」
「ちょ、あんまし嗅がないでよ」
「しーちゃんほんといい匂いする……たまらん……」
くんくんと繰り返し匂いを嗅ぐ彼女の頭をぺしりと叩く。もう、しつこいと嫌われちゃうんだからね。
「ご飯食べたいから、おしまい!」
「しーちゃんのケチ!!」
「ご飯終わってから、ゆっくりグルーミングしてよ」
「え、いいの?」
「とくべつ」
やったぁ、とまた笑顔になる楓花。今日は朝ご飯作ってもらったし、このくらいはいいだろう。仕方ない。わたしだって、ちょっとだけ、心地いいし。
「じゃあ、ゴミ出ししてこよっと」
「えー気を付けてね?」
「もちろんだよ、しーちゃんを一人になんてしないから」
ひらりと手を振って、ゴミ袋を抱えると外に出る同居人。まぁこの時間なら人はほとんどいないしきっと大丈夫。
「あーあ、大好きだなぁ」
一人になってこぼれたのは、彼女の前では言いにくい気持ち。面と向かっては恥ずかしすぎてなかなか口に出せない。
でもいつかはきっと伝えてやるんだ。大好き、わたしを守ってくれてありがとうって。照れちゃうかもしれないけど、顔を見てしっかり伝えたい。
だけど、今は言ってやるもんか。だって、そんなの最期に伝えるセリフみたいに聞こえちゃうもん。だから、胸の奥底にとっておくんだ。直接伝える用は。
願わくばずっと、伝える日が来ませんように、なんてね。
「さぁて、顔でも洗おう」
こうして、狭い箱庭はふたりぼっちのまま、今日も明かりがつく。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
幸せな箱庭で生きる、少女は知らない。
ポストの中に放られた、一通の手紙を。
そこには短く、彼からのメッセージが記されていた。
「獣人駆除計画は廃止された、もうこれで一安心だな」
せかいは、彼女たちを見捨ててはいなかったのだ。
でもそれは、もう一人の少女の手によって、破り捨てられた。
だって、そんなこと言われたって彼女たちは異端者のままだから。
ここは狭いけれど、裕福な暮らしでもないけれど、幸せ。だから。
建付けの悪いボロアパートの扉が、ぎぃと鳴いて閉まる。
かちゃりと静かな空間にカギの音が響いた。
きっとこれが正解なのだろう。
だから今日も二人は笑う。
ふたりぼっちの箱庭で。
完
ふたりぼっちの箱庭で やえなずな @poriporiparin
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