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「とりあえず、おれはここで野営をするから、ちょっと手伝ってくれ」
「え、わ、わかった」
名も知らぬ男に小さな袋を投げつけられ慌ててそれを受け取った。袋の中には布団のような物が丸めてあるがこれは一体なんなのだろうか。
怪訝そうに袋を見つめていると、
「まさか、寝袋もわかんないのか?」
「は? ネ、ネブクロ?」
「おっと……そうか。忘れてた、忘れてた。ボウズはその辺に座っといてくれ」
「あ、ああ、わかった」
直ぐ近くにあった、一人が座れそうな平たい石に腰を下ろした。野営の準備――僕には見たことないものばかりだが――をぼんやりと見ていると、今更ながらこの状況が妙なものだと僕は感じた。
男はおかしなものだった。この森の中に一人でいる、というのも奇妙な話だが、容姿がとにかく異常だった。
グレー基調の半ズボン。それに加え、袖なし、広い襟ぐり、と見たことのない特徴の白い服を着ていた。何とも山の中では頼りない格好であるが、そこから溢れんばかりの少し焼けたような肌、本人の力を体現しているような筋肉。筋骨隆々という言葉がここまで似合う男を見たことがない。
黒髪の人も初めて見たが、好青年をおもわせる刈り上げられた短髪は、景色を反射してしまいそうな澄んだ瞳によく似合っている。
と、思考したところで何故こんな人物がこんな山奥にいるのか、といっそう強い疑念を抱いた。
ここまで体格がよく、好青年風の男ならば、王国の兵士にスカウトされてもおかしくないはずだ。歳も見たところまだ若干二十歳といったところだろう。
王国で働いていないとすれば、何かやましい理由があるのかもしれない。自分で言うのもなんだがこんな森に来ようと思う人間などいるはずがない。
そうなれば、犯罪者か? いや、まさか……霊か?
警戒するように僕が睨みつけると、男はぽいっと木製の水稲を投げてきた。
「おい、水飲むか?」
「あっ! お、おっと、っと、っと」
とっさのことで、落としそうになりながら何とか腕に収める。
ふと今日は、朝から何も飲食していないことに気がついた。
授業の予習、復習。稽古の用意などで食べている暇も、飲んでいる暇もなかったのだ。
ぼんやりとそう思いながら、蓋をあけて一口ごくりと水を飲んだ。
水はキンキンに冷えているが、口当たりがよく不快感がない。サラサラと口から喉を通過して、腹に収まっていくのがわかった。
う、うめぇぇ。
ここまでうまい水を飲んだのは初めてかもしれない。
何か口にして緊張がほどけたからなのか、はたまた何か盛られたか、視界がにじんできた。
わざわざ作業を中断して僕を見た男は苦笑した。
「その水、泣くほどうまかったのか?」
「な、泣いてねえし」
目にたまった汗を思いっきり拭いながら言う。
「この作業終わったら夕飯作るから、ちょっと待っててな」
作業に戻った男は背を向けそう言った。
燃える。燃える。炎が燃える。
食後、温かいお茶が入ったコップを片手に、足を抱えて座っていた僕は、ぼんやりと焚火を見ながらそう心中で呟く。
数秒に一回パチパチと火花を散らせる火は激しく燃えている。それでいて少し息苦しいぐらいの熱さが、この真っ暗で閑散とした森の中では心地が良い。
結局、食事中も名乗ることのなかった筋肉男は、ふかふかした袋に包まって、すでに軽快な寝息をたてていた。
この男は寝る前に、「ちゃんと起きておけよ」と言っていた。獣が来ないよう見張り番をしておけということなのだろう。初対面の僕に、見張りを任せるのはどうかしてる。しかしこの筋肉を相手する猛獣は、勝ち目がないだろうな。
と、ここまで考えたとこで、一際おおきな火花が散った。
「僕にはなにもない……な」
無意識に言葉が零れ、霧散した。
考えてみれば単純なことだった。
本当は毎日の努力の中で気づいていた。自分が無力で価値のない人間だということに。でも認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。
親が、師が、世界が。例え、僕が無価値な人間であっても、才能がなかったとしても、続けなくてはならなかった。
騎士になりたかったから。
人々から助けを求められ、一目散に事を解決する、童話に出てくるような英雄。そんな騎士になりたかった。
だが、何も変わることはなかった。
自分の無力さを痛感し、変化がないのに絶望した。
現実を悟ってしまったのだ。そして逃げた。
もうこんな意気地なしの男が変わることはできないだろう。
しかし、ないとわかっている希望にすがりつくように呟いた。
「僕は、変われないんだろうか」
灰になった薪の崩れる音が、辺りの闇に溶けていった。
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