3

 樹木の焦げる臭いに、篝は鼻と口を左手で覆った。下手に吸い込んで咳き込みでもしたら、テクラに構っているどころではなくなる。


「これほどまでに上手くいくとはねえ。もしやカガリ殿は、話術の天才なのでは?」


 煙を浴びながらも平然としているのは、健康そのものといった様子のラミネウスだ。咳き込む様子すら見せない辺り、どのように呼吸しているのか気になるところではある。

 篝はじろり、と横目で魔法使いを見た。若干恨めしげな目付きであった。


「お前こそ、思いきり腹を殴られていた癖によくもまあ火を点けようと思えたものだな。いっそのこと尊敬するよ」

「心配してくれるので? いやあ、そのお気持ちは嬉しい限りですが、傷の方はあちらの彼女に癒していただきましたもので。この通り、傷ひとつ残っておりません」


 彼女──というのは、大巫のことだろう。先程までやけに静かだと思ってはいたが、ラミネウスの治療をしていたとは。その手際の良さに、篝は純粋な尊敬の念を覚えた。

 いや──しかし。今は、ラミネウスと駄弁っている場合ではない。


「魔法使い。この炎は何だ? 奇襲としては上手くいったが」

「ああ、これかい? 何、我々の術ですよ、カガリ殿。サラマンダーなる火精の恩恵を活かし、炎を操る。……まあ、今回は民間人のこともあるし、少し木の根を燃やしただけですがね」


 一対一なら、あの呪詛の使い手のように吸血鬼ごと燃やしましたが──とラミネウスは苦笑する。とてもじゃないが笑って話せることではない。

 ラミネウスの口振りからして、炎が燃え広がることはないのだろう。村への延焼が避けられるなら、それに越したことはない。

 ──しかし。


「う、あ、ああ……?」


 頭を抱え、焦点の定まらない瞳で立ち竦む女が一人。

 先程まで絶対的な力を持つ、超自然的な存在だったテクラは──かつて自らを焼いた炎を前に、憔悴しょうすいしきっていた。

 本当に炎が苦手なのだろう。篝は憐れみを覚えそうになったが、すぐに気を引き締める。


「魔法使い、あの鬼女はかつて焚刑ふんけいに処されたらしいな。まさか焼き殺そうというのか?」

「またまた、ご冗談を。吸血鬼は、燃やすだけでは死ねません。あれは、生身の人間とは違う生き物なのです。祓い、清め、然るべき手段にて消滅させねば、いつまでも存在し続ける厄介なモノにございます」


 ああ、しかし──と、ラミネウスは微笑んだ。


「あれは、人であった頃の記憶をはっきりと覚えている。連中の中には、かつて人であった時分のことを忘却している者もおりますからね。古傷を突くことが出来たのは僥倖ぎょうこうと言えましょう」

「古、傷」

「化け物は必ず特有の弱点を有しているはずですが──あれは生意気にも克服してしまったようだ。奴にとって何が決め手となるのかを模索するにも、隙を作らなければなりません。あれが過去にかかずらっている女で大いに助かりました」

「──ふざけるなッ!」


 場違いな程ににこやかなラミネウスに向けて、一撃の怒号が放たれる。

 篝は反射的に視線を移ろわせた。──そうだ、お喋りしている暇などないのだ。

 篝の見つめる先には、血の気の失せた顔でラミネウスを睨み付けるテクラがいる。彼女の敵意は、魔法使いの男のみに向けられていた。


「化け物だ何だと偉そうに言うが、お前もまた同じようなものではないか! 自分は正しいとでも言いたげな顔をしおって……貴様、人間におもねることしか出来なくなったか!」

「おお、恐ろしい。俺はあくまでも、女王陛下にお仕えする魔法使いなんでね。お前を狩る立場にある。お前を化け物呼ばわりして、何が悪いというんだ?」

「貴様……!」

「大方お前は自分のことを、人以上の生物になったとでも思っているんだろうが……残念ながら、お前は人以下、いや畜生以下の生物に成り下がってしまったんだよ。いつまでも死ねず、憎むことしか出来ないお前は、世界を少しも動かすことなど出来ない」


 テクラの額に、青筋が立つ。彼女の逆鱗に触れたことは確実であった。

 わざわざ相手を煽らずとも良かろうに。そう思いながら篝が顔をしかめていると、その手に何やら冷たいものを握らされた。


「あれに隙が出来たら、これで撃ちなさい。銀は克服されてしまったかもしれないが、傷を与えることは出来るだろうから」

「魔法使い、これは──」

「一応それ、吸血鬼に対する切り札とも言われていてね。俺が使うよりも、貴殿に任せた方がよく効きそうだ。──ああ、使い方は簡単だから、あまり気負わずに撃ちなさい。その撃鉄を親指で起こせば、中身が回転して発射準備が整う。その後に引き金を引いてしまえば、すぐにでも弾薬が飛んでいくでしょう」


 あと五発しかありませんから無駄遣いは駄目ですよ、とだけ告げて、ラミネウスはテクラへと向き直った。


「さあ、どうする吸血鬼? 放っておけば、お前の従える樹木は燃え尽きるぞ。此方には銀の弾丸もある。お前の敗北は明白だ」


 挑発するような口調だった。中にははったりも含まれているのだろうが、それを感じさせないだけの自信がある。

 テクラは唇を噛んだ。炎に怯える眼差しの中に、ますます恨めしげな色が滲む。


「銀の弾丸だと? そのようなもの、私には効かない。銀は克服したのだ、それはただの弾丸に過ぎない!」

「そうだな、お前は撃たれても死なないだろうよ。──だが、炎と同じように、弾丸そのものが恐ろしくはあるんだろう?」


 テクラは瞠目し──間髪入れずに、ラミネウスへと襲い掛かった。

 ラミネウスはどん、と篝を突き飛ばしたかと思うと、右手を水平に開く。彼の掌の上に、ゆらりと炎が揺らめいた。

 テクラの瞳に、恐怖が浮かぶ。しかし、彼女は立ち止まらなかった。


「二度も引っ掛かるものか!」


 ラミネウスは浮かんだ炎に息を吹き掛けてテクラに浴びせようとしたが、テクラはすんでのところで放射される炎を回避する。彼女の髪の毛が少し焦げたが、気にする素振りもない。

 テクラの長く尖った爪が、ラミネウスの皮膚を抉らんと迫る。

 しかし、ラミネウスも単独で戦っている訳ではない。彼を狙う爪は、皮膚すれすれのところで障壁に弾かれる。大巫の術である。


「小癪!」


 テクラは舌打ちをしてから、ずん、と強く地面を踏みしめた。地中より、先端の尖った根が幾つもラミネウスに襲い掛かる。


(動きが激しくて追いきれないが……狙撃出来そうな機会を、見付けなければ)


 近距離での戦闘を繰り広げる、テクラとラミネウス。そんな二人のやり取りを注視しながら、篝はテクラを狙撃する隙を探す。

 篝が銃を握ったのはこれが初めてだ。そもそもまともに刀すら握ったこともないのだから、高価な銃は尚更触れる機会などなかった。ラミネウスから使い方を教えてもらいはしたが、当てる以前に上手く使えるのかさえ不安ではある。


(何故、あの魔法使いは俺に切り札を預けたのだろう)


 ラミネウスの意図が、篝にはわからない。素人である篝に、何故彼は切り札とも言える銀の弾丸を託したのだろうか──と。

 しかし、手渡されたものを突き返す訳にもいかない。それに、術でテクラを制することが難しい篝にとって、この弾丸はありがたいものでもある。傷付けることは出来るが効くかはわからないとラミネウスは言っていたものの、衝撃を与えられるのならばそれで良い。

 だが──一番の問題は。


(俺は、テクラを──桐花を撃てるのだろうか)


 現在、表面に出ているのはテクラとしての人格だ。最悪、今後の展開において桐花が表に出ることはないのかもしれない。

 それでも、あの肉体は桐花のものでもある。狙撃したところで、テクラのみに打撃を与えられると決まった訳ではない。肉体ごと破壊されれば、最悪テクラだけでなく桐花もまた死ぬだろう。

 鬼女は倒さなければならない。民を守るために、テクラ、そして桐花を犠牲にしなくてはならないことを、篝はよくよく理解している。

 しかし、理解しているだけに葛藤してしまう。桐花を殺す覚悟が、篝にはまだ足りない。瞼を閉じれば、否が応にも桐花の笑顔がちらつく。


(俺は、どうするべきなのだろう)


 テクラがいれば、金峰村は破滅の道を辿るだろう。村民に責任が皆無と言うのは些か見当違いな気もするが、少なくとも見捨てて良いとは言えない。

 桐花を取るか、金峰村にいる者たちを取るか。普通ならば後者を選ぶべきなのだろうが、桐花と関わってしまった以上彼女を殺めることに対して抵抗を抱かずにはいられなかった。

 せめてもう一度、桐花と話せたのなら。この揺らぎ迷える心も、少しは鎮まるだろうか──。


「──篝!」


 思案に耽っていた篝の耳を、酷く焦った大巫の声が通り抜けた。

 はっとして、篝は顔を上げる。そうだ、自分は今、テクラの隙を狙って──。


「貴様が銀の弾丸を持ったところで──私を殺せる訳がなかろう」


 眼前には、照準を定めんとしていたはずのテクラが迫っている。あっ、と声を上げるよりも先に、篝は首根っこを掴まれて、宙ぶらりんの体勢を強いられていた。


「て……テクラ……!」


 せめてもの抵抗と言わんばかりに、篝は鬼女を睨み付ける。しかし、相手は臆した様子もなく、くくっと喉を鳴らしただけだった。


「私を殺せると思ったのか? 人間の分際で? ──これだから厭なのだ。矮小な存在であることを忘れ、おごり、己こそが正しいのだと信じて憚らない」

「お……お前も、人間だっただろう……!」

「そうだな。だが遠い昔のことだ。私は人に傷付けられ、この体を手に入れた。人に向ける情など、欠片程もないよ」

「ならば、佐知は──」

「──くどくどしいッ!」


 佐知という名前を持ち出した瞬間に、テクラは篝の首を絞め上げた。

 苦しい。苦しい。上手く、息が出来ない。

 今度こそ、テクラに殺されてしまうのだろうか。迷ったばかりに隙を突かれ、山深いこの村で屍を晒さなくてはならないのだろうか。

 ──誰一人として、救えずに?


『篝──お前はどうして、間ノ瀬桐花を救いたい?』


 前夜の、夜霧の問いかけが過った。

 ああ、そうだ。篝は間ノ瀬桐花という少女を救いたかった。出会ってから一月も経っていない、真に人となりを知ったと豪語するには、些か不安すら覚える間柄の少女。


(俺が、あいつを救いたかったのは──)


 ──単に、桐花が眩しく見えたが故であった。

 金峰村に閉じ込められて生きてきた彼女は、邪な思いなどまるでなく、ただひたすらに純粋な好奇心と自由を求める心から外界に羽ばたきたいと願っていた。その外界に、どのような危険や悪徳が蔓延っているかも知らないまま、きっと良いところなのだと信じて疑わなかった。

 その様子が、篝には眩く思えた。普段ならばお前は阿呆だ、とでも断じてやるところだったが、呆れることなど出来なかった。

 どれだけ外界で苦しむことになろうとも、桐花という少女を連れ出してやりたかった。単なるお節介に過ぎなかったが、そう思わせるだけの力が桐花にはあった。

 篝は、間ノ瀬桐花の純粋無垢な眼差しに気圧され、そして背中を押されたのだ。

 たとえ、桐花が人でなくとも。人として生きようとするのなら、彼女を人として扱ってやりたい。周りがどう言おうとも、自分にとって、彼女は間ノ瀬桐花以外の何者でもないのだから。


「──やめてくれ!」


 それは、悲痛な叫びだった。

 どん、と衝撃が伝わる。テクラの両手が篝の首から離れ、彼の体は地面へと投げ出された。


(まただ)


 ──地面が、揺れている。

 かつて洞窟を調査した時と同じ、大地の震動。それは、音を発してはいなかったが、何者かの悲鳴のように聞こえた。

 先程負った傷に加えて、強かに打ち付けた全身が痛む。しかし、篝は構わずに起き上がった。


「……っ、貴様は……!」


 テクラが瞠目する。彼女もまた、地面に片膝をついていた。

 鬼女と篝の間に立つ人物。彼は、篝を守るように両腕を広げて仁王立ちしていた。だが、その背中から発せられる空気は悲哀に満ちている。


「お願いだ、テクラ。もうやめてくれ。俺は、これ以上あなたに傷付いて欲しくはないんだ」


 彼の声は、震えていた。まるで自分のことのように、泣きそうな声をしていた。

 篝は須臾しゅゆの間口ごもり──恐る恐るといった声音で、彼の背中に問いかける。


「どうして、お前が出てこなければならないんだ、苅安──」


 青年が振り返る。その表情は、あまりにも悲しげな笑いで溢れていた。

 篝はあからさまに、眉間へ皺を寄せる。

 こんな時まで、こいつは笑っている。何でも笑って済ますなと、幾度となく言っていたというのに。

 篝は一度、唇を引き結んだ。何かをぐっと飲み込んで、彼は再び青年の名を呼ぶ。


「──いや、福寿」


 福寿。それは、かつて村人の欲とテクラの憎悪を一身に背負い、神となった者。

 ──すなわち、ホフリの君である。

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