第十一章 邂逅

「……これが……ホフリの君……?」


 流れ込んでくる記憶を一通り把握した篝は、思わず胸元を押さえた。

 あの福寿とかいう少年が、今のホフリの君なのだろう。彼は村人でありながらかの大樹に吸い込まれ、そして佐知という少女の記憶の中では二度と戻ることはなかった。


(しかし──聞いていた話と違うぞ)


 篝は神経質に眉間を揉む。

 伝承によれば、ホフリの君が自ら鬼女を打ち倒したかのような文面であった。まるで彼を英雄として祭り上げ、その行いを正当化するかのように。

 だが、先程の記憶は違う。福寿は村人たちの傲慢によってテクラの怒りをぶつけられただけの、ただの被害者に過ぎなかった。村人たちの暴挙を憂いていたようだったし、それゆえに雇い主である間ノ瀬村長から始末されようとしていた。

 恐らく──この伝承は、後代に付け加えられ、そして捏造されたものなのだろう。


(村人の──特に間ノ瀬の所業を誤魔化したいがために、福寿を神として祭り上げ、ありもしない英雄譚を作ったのか)


 篝としては許しがたい行為である。当事者である佐知ならば、篝以上のやるせなさを感じているに違いない。

 ぐ、と拳を握りしめかけた篝だったが──ふと、此処で疑問を覚える。


(てっきりあのテクラとかいう鬼女の記憶と共鳴するものかと思っていたが……何故俺は、佐知と共鳴したのだろう。先程の記憶によれば、佐知はこの洞窟で生活していたという訳ではなさそうだが……)


 本来、共鳴の呪術は、生きている人物か、もしくはその場所に縁深い──詰まるところ長らく生活していた人物に作用するはずである。

 詳細なところまではわからないが、少なくとも佐知はこの洞窟に入り浸っている訳ではなさそうだった。彼女の記憶では、佐知はテクラの住み処とは裏側にある洞で寝泊まりしていたはずだ。この洞窟は、テクラが隠れて生贄を喰うための場所──としか、佐知の記憶の中では説明されていない。

 しかし、共鳴したのはあくまでも佐知の記憶。篝は違和感を覚えずにはいられない。


(もしや──あの佐知という少女は、今も生きているのか?)


 あり得ないことだ──と篝は思う。

 伝承によれば、ホフリの君が神としての立ち位置を確立させたのは百年近く前だという。捏造されている可能性もないとは言い切れないが、それにしても今まで──しかもあれだけはっきりと記憶を思い出せるような状態で、生きていられるものだろうか。

 篝の周囲にも、最早妖怪か何かではないか、と思いたくなる程度のご長寿がいない訳ではないが、そういった者は手練れの術者である。人智を超えた力で以て、長きに渡って延命しているのだ。


(だが、佐知は術者ではなさそうだ)


 実際に会ってみなければわからないことなのかもしれないが、少なくとも佐知は先天的に異能を有するような人物ではないと思われる。何処にでもいそうな、ごく普通の少女だった。

 いまいち釈然としない部分も残るが、此処で彼是と考えていても埒が空かない。もう調べられそうなところがなければ戻ろうと、篝が何気なく考えた──次の瞬間であった。


「篝っ! 戻ってきてくれ、早く!」


 それは、あまりにも切羽詰まった苅安の声。

 洞窟の奥深くにいる篝にもはっきりと聞こえる程の声量だった。本能的に、篝は何やらただならぬ出来事が発生したものと判断する。

 篝は直ぐ様這いつくばると、来た道を引き返し始めた。苅安があれほど焦っているのだから、緊急事態なのだろう。詳細はわからないが、戻るのが得策と考えて間違いない。


(何があったんだ……? あののほほんとした苅安が、あのような声を出すとは……。まさか、間ノ瀬の輩に見付かりでもしたか……?)


 ざわりざわりと胸中を侵食していく不安と戦いつつ、篝は匍匐前進する。帰りはゆるやかな上り坂なので、入ってきた時よりもなかなかに疲れる。

 どうか無事であってくれ──と、篝は祈る。あちらが乗り気であるとはいえ、苅安まで巻き込まれて咎を負わせる訳にはいかない。上手く逃げおおせてくれていれば良いが──。


 刹那、大地がごうと揺れる。


 一心不乱に前進していた篝も、これには急停止して頭を押さえるしかなかった。最悪、洞窟で生き埋めになるかもしれない状況である。安全確保よりも優先出来ることなどない。


(何だ……!?地震……!?)

 

 この国は地震と隣り合わせである。篝とて、これまで生きてきたうちで地震に遭遇しなかったことなどない。微弱な揺れから、そこそこの揺れまで、それなりに体験してきたつもりだ。

 だが、この地震は何かが可笑しいような気がしてならなかった。ずどん、と直下して発生したものではなく、まるで大地そのものがぶるぶると震えているかのような──。


(それに、金峰村では災害が起こることなどないはずだ。どうしてこのような時機に……)


 唇を噛みつつしばらく伏せていると、やがて揺れは収まった。

 篝は恐る恐る周囲を見渡す。出入口が塞がった訳ではなさそうだ。


(提灯は、使い物にならなくなってしまったが)


 頭を守るために咄嗟に放り出した提灯は、灯りが消えて地面に転がっている。それでも此処に来たことが悟られてはならないため、篝は一先ず持ち帰っておくことにした。

 余震が来ないことを祈りつつ、篝は出入口まで一目散に這う。幸いなことに余震に襲われることはなく、無事に洞窟を出ることが出来た。


「苅安! 何処にいる!?」


 真っ暗な中を慎重に進みつつ、篝は苅安の姿を捜す。

 金峰村の生まれなのだろう彼は、災害など知らないといった様子だった。もしこの地震の影響で、混乱でもしていたら大変だ。

 きょろきょろと周囲を見回しながら歩を進めていた篝だったが、そう遠くないところに人影を見付ける。


(苅安……?)


 暗闇の中、目を凝らしてみる。はっきりと見える訳ではないが、夜目は先程よりも利いている──はずだ。

 その人影は、此方に向かって歩いてくるようだった。どちらかと言えば華奢で、苅安の体型とは程遠い。


(……妙だな)


 間ノ瀬の手の者がいたとしても、このような夜更けに一人歩きとは不自然だ。加えて、その影の体型からして──女性の可能性が高い。

 あれは──一体、何者なのだろうか。


「──忌々しい、術者め」


 それは、嫌悪と怨嗟えんさをない交ぜにした、地の底から響くがごとき声音。

 自分に対して敵意を持ったモノであると判断するのに、数秒もかからなかった。篝は咄嗟に口を開く。


「『我を憎み かくて恨める かの怨嗟 言の葉をして 身代わりとせん』」


 ──まさに危機一髪。

 篝に向けて飛びかかってきた人影だったが、その手が彼を捉えることはない。篝は、間一髪のところで身代わりを作り出すことに成功し、人影から距離を取っている。


「……何者だ」


 肩を上下させつつ、篝は尋ねる。先程から術を使い続けているからだろう、彼の顔は疲労に満ちていた。

 人影はゆらり、と体勢を整える。そして、夜闇を切り裂かんばかりの声で高笑いした。


「何者か──だと? ハ、惚けたことを! 知らぬ顔をしたところで、私はたしかに覚えているぞ、人間! 貴様は、この私に──いや、私の外殻にすり寄ってきたというに!」

「……!? お前、まさか──!」

「ふん、今更気付いたのか。何とも愚かなことよ。貴様のような愚かしい人間など、見るに堪えぬわ」


 月光に映し出される白い肌。髪の毛を振り乱し、高らかに笑う彼女は、まさしく鬼女と呼ぶに相応しい。

 嘘だろう、と篝の唇が動く。彼女を捜し、見付けたかったのは事実だが、まさかこのような状況で再会することになろうとは──!


「お前は──桐花──なのか……?」


 弱々しく紡ぎ出された言葉に──間ノ瀬桐花の姿をしたそれは、嘲るような笑みを浮かべることでその問いかけに答えた。

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