2
篝が室内に戻ると、ちょうど夜霧とかよが出ていくところであった。大方、舞の稽古が一段落したのだろう。
「おや、見計らったかのようなお出ましだね。ずっと見ていたのかい?」
うっすらと微笑を浮かべて、飄々と言ってのけるのは夜霧である。この少女は、昨日の惨劇を経ても調子を崩すことはない。気丈な娘だ、と篝は思う。
かたやかよはというと、これまでの活発さは幾分かなりを潜め、些か元気のない様子だった。夜霧に目隠しされていたとは言え、幼い身には堪えたのだろう。何せ、人が喰われる光景にかち合ってしまったのだから、気落ちするのも当然である。
夜霧の軽口に肩を竦めつつ、篝はつい、と顎を動かして自分が通ってきた道を指す。
「向こうに、冬──先日の用心棒が来ていた。差し入れに草餅を持ってきていたから、休憩がてら食べに行ったらどうだ」
「お餅……!」
滅多にない菓子の気配に、かよの瞳に光が宿る。少しは元気付けることが出来たと見て良さそうである。
夜霧は軽く会釈をしてから、かよに手を引かれて退室していった。この様子だと、彼女もまたかよの様子を心配していたのだろう。口には出さなかったが、少なからず感謝されたようだ。
「……行ったか」
背後から聞こえてきた声に、篝ははっとして振り返る。此処にいるのは、何も舞い手だけではない。
篝の振り返った先には、相変わらず厳しい顔付きをした大巫がいた。休憩前に篝が見た時は神官たちに付き添われていたはずだが、どういった訳か今は彼女一人きりがこの部屋で待機している。
並々ならぬ緊張感を抱きつつ、篝は大巫の前まで歩を進める。そして、彼女の前で腰を下ろした。
「……失礼ながら、大巫様。俺に何かお話がお有りなのでは?」
「……ふん、察しの良いことよ。いかにも、私はお前と一対一で話し合いたき儀があって此処にいる。他の神官たちも抜きにして──じゃ」
「左様ですか」
何となく察してはいたものの、やはり気軽に──とはいかない。むしろ、周囲に神官のいてくれた方がずっと気が楽である。
しかし、大巫には篝が平然と答えているように見えたのだろう。ふう、と息を吐いてから、彼女にしては珍しく苦笑いを浮かべる。
「……流石、
「──ご存知だったのですか」
「いいや、お前の昨日の活躍がなければ、勘づくことはあらなんだろう。まさかお前が陽向から差し向けられる調査員とは思わなんだが──そろそろ来るであろうことは、事前に知らされていた」
訳知り顔で告げる大巫を、篝はじっと注視する。
──大巫は、きっと知っている。篝の属するところも、彼の背後に立っている者も。
だが、確証を得るまで篝は口を割るつもりはない。気安く己が身の上を語る程、彼も無用心ではないのだから。
何も言わずに己を見つめ続ける篝に、大巫は小さく嘆息する。そして、流石じゃな、と繰り返した。
「よう教育の行き届いた者を送り込んでくれたものよ。私が彼処にいた頃も、お前程用心深く慎重な者はなかなかおらなんだ」
「買い被り過ぎです。俺よりも優れた術者など、山のように在籍しています」
「否、否。能力のことではなく、心持ちのことを言うておるのよ。お前のような術者ばかりであれば、あの古老も苦労せぬだろうに」
大巫は遠い目をする。その眼差しの先にいる人物を、篝はよく知っている。
しかし、いつまでも回顧に浸ってばかりもいられない。
篝は気を取り直すように咳払いをしてから、大巫を改めて見据える。
「……あなたが俺をどのように見定めていらっしゃるかはさておき、事情は概ね理解していただけているようで何よりです。俺は、かのお方よりとある調査を仰せつかり、この山中──出雲の奥へと馳せ参じた次第にございます」
「ふむ──この村の近辺には、やはり異変が生じておるということか?」
「いえ、それとは別の案件です。今回、あなたとお会い出来たのは、あくまでも偶然の産物。あなたの存在はかのお方より聞き及んでおりましたが、実際にお会いすることになろうとは予想だにしておりませんでした」
篝は淀みのない口調で続ける。大巫も、時折相槌を打つのみで、基本的には聞き役に徹していた。
「今回、俺が仰せつかった任務は、金峰村とは別の──此処より少々東に位置しているという小さな山村での一件でした。何でも、村人たちが独自に祀っていた土地神──噂によれば水神の類いの霊気が、突如消え失せたといいます」
「ま──待て。それは、真か」
さらりと言ってのけた篝とは対照的に、大巫は動揺の色をその顔に色濃く浮かべた。
篝はええ、と続ける。
「俺は情報のみを受け取ったまでにございます故、現地の状況を目にしてはおりません。しかし、かのお方が感じ取ったのならば、少なくともただ事ではないのでしょう。昨今は信教に関しても何かとごたついておりますから、必ずしも我々の出る幕とは限らない訳ですが」
「しかし、土地神ともなれば村人の信仰を少なからず受けていたのじゃろう? 金峰村におけるホフリの君のようなものじゃ。年月を経て衰退してゆくのならともかく、突如として消えるなどということは──」
「──絶対にあり得ない、と断言出来るものでもありますまい」
篝は大巫の言葉を遮る。その口振りには、言い様のない威圧感が込められている。
「この土地であれば、多少の不都合もある程度は解決出来ましょう。可能性ならば、幾らでもあります」
「……! まさか──」
「いえ、まだ確信を得た訳ではありませんがね。ただ、考慮に入れておいて損はないかと思いまして。この土地──出雲が古来より神話に語られ、数多の伝説に謳われてきた地であることは誰の目にも明確ですから」
「じゃが、今にまで残るような伝説に心当たりはあるのか? 況してや、民間のものとはいえ水神を凌駕する程の存在が残っているとすれば、今の今まで放っておかれることもないじゃろうに」
「……実際、其処が課題なのです」
ふう、と篝は溜め息を吐く。篝にとっても悩みどころのようだった。
「……とにかく、この一件に関しましては調査を続ける他にありません。それよりも、俺としましては放っておけない問題がございまして」
「ほう、課せられた任務を棚に置いてまで優先すべきことがある──と?」
「いいえ。優先するも何も、もう手遅れなのです。しかし、お伝えだけはしておこうかと」
そう言って、篝は一度言葉を切る。その眼差しには、僅かに翳りが見える。
大巫は何も言わない。篝は一度そっと目を伏せてから、再び毅然とした目で彼女を見つめた。
「先日の獣──大巫様も遭遇した獣に関してです。あれには、三つの……人の首によく似たものが付いていましたね?」
「たしかに、あれは人の首のように見えた。山より下りてくる獣は、皆一様にあやかしのような見目をしておる故、意外に思ったが──もしや」
「──ええ。お察しの通り、あれらは人間──俺と同じ任務を課せられた、陽向の術者たちです」
篝はさらりと口にしたが、その胸中は如何程のものであろうか。任務を同じくしていた者たちと、あのような──無惨にも変わり果てた姿で再会してしまったのだから。
少なくとも、大巫は篝の胸中を推し量ることが出来なかったらしい。驚愕と衝撃に瞠目してから、彼女は暫し沈黙する。
そんな大巫に、篝は苦笑いを溢した。何処か諦めも混じった、いやにすっきりとした表情だった。
「そのようなお顔をなさらないでください。奴等には運がなかった、ただそれだけのことです。今更嘆いたところで、一体何になりましょうか」
「しかし──篝よ、お前は辛くないのか」
「大巫様はお優しくていらっしゃるのですね」
篝の眉尻が下がる。笑っていても、其処に嬉しさはない。
「俺とてこのようなことになるとは思いもしませんでしたが、過ぎたことを彼是と思い出して一喜一憂する程の余裕はありません。俺もまた、運が悪かったせいで、村祭りの舞い手になってしまったのですから。雑念を抱いたまま舞の稽古をしていては、あなたに咎められてしまいます」
「……それは、皮肉か? 任務を遂行するために送り込まれたにも関わらず、この小さな村から脱出することさえ出来ず、大巫などという肩書きを背負っている私への」
「俺は、あなたの事情はある程度把握しています。かのお方より、つまびらかにお聞きしておりますから。──それゆえに、何だって構わないでしょう?」
──強かな笑いだった。
先程までの、憂いに表情を翳らせた麗人はもう何処にもいない。其処にいるのは、合理的にして折れることのない、生に貪欲な男のみ。
やれやれ、と言いたげに大巫は肩を竦める。とんでもない人間を送り込んできたものよ──と、その目が如実に物語っていた。
「……良かろう。ならば、私は村祭りが終わるまで、あくまでも金峰村の大巫としてお前に接するとしよう。どう足掻いたところで、お前が陽向の本拠地に連絡を取ってくれねば、私は身動きひとつ取れぬのだからな」
「お心遣い、感謝致します。此方としても、村祭りを成功させないことには何も始まりません。ある程度耐性があるとはいえ、祭祀を疎かにして呪い殺されるような事態は避けたい。まあ、ないとは思いたいですが」
「随分と自信があるようじゃな。しかし──篝、お前は何故そうまでこの村の祭りに心を砕く? お前にとっては、厄介の原因であろうに」
大巫から問いかけられた篝は、一瞬──ともすれば数秒にも満たないとてつもなく短い時間──沈黙した。
──が、彼は心の移り変わりを表に出すこともないまま、別に、と切り出す。
「これといった理由はありませんよ。単に、この一件を解決しなければ
「──なるほど、ようわかった。これ以上話していたとて進展はなかろう、そろそろ舞の稽古に戻るとするか」
大巫は何かを察したのか、それ以上篝を追及することはなかった。そして、過去を懐かしむ老女から村の祭祀長の顔に戻る。
話のわからない人間でなくて幸いだった。立ち上がる大巫に続きながら、篝もまた舞い手としての練習を再開する。
──しかし。
「──ひむか……? とちがみ……? ──あの二人、一体何の話すてるんだべ……?」
壁に耳をくっつけながら、怪訝そうに眉を潜める少女。
手拭いを忘れたために舞い戻った彼女には、決して悪気などなかった。ただ、二人の話し声が聞こえたために、そっと聞き耳を立てただけの話であった。
「篝兄ちゃんと、大巫様……。おらだに、何か隠す事すてるんだべか……?」
──それは、水面に投じられた一石。
事情を飲み込めないながらも、少女──かよは、壁の向こうにいる篝と大巫を思いながら唇を噛んだ。
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