第四章 錯綜
1
「人が喰われていたらしい」
朝食を運んできた冬は、いつになくしかめっ面で開口一番にそう告げた。
間ノ瀬家は早朝から騒然としていた。それは余所者である篝にも一目瞭然で、ばたばたと駆け回る使用人たちに声をかけることは憚られた。
村長でも死んだのだろうか──と不謹慎ながら考えてみたものの、それにしては湿っぽさが全く感じられない。誰も彼もが顔を真っ青にして、故人への悲しみというよりは何かに対して途方もない恐れを抱いているかのような表情をしていた。
──これは、尋常でないことが発生したかもしれない。
余所者故か何も伝えられず、決まった時間に朝食が届かず腹を空かせていた篝は、やっと部屋を訪れた冬に何が起こったのかと問うたのだ。
──その結果が、前述の言葉である。
「喰われていた──とは。一体、どういうことだ」
冬の言葉をすぐに飲み込むことは至難の業であった。
篝は瞠目し、何度か呼吸を繰り返す。そして冬へと問いかけた。
冬は真っ直ぐに篝を見つめたまま口を開く。
「そのままの意味だ。今朝、この屋敷で働いている使用人が心の臓を喰われた状態で発見された。ご丁寧なことに、家畜の餌入れの中へ放り込まれた状態でな」
「し、心臓を……」
「この村に、医学の道に通じている者はそういないが……それでも理解出来るほど、わかりやすい遺体だったのだろう。私は目にしていない故知らんが」
人死にが出ているというこの状況でも、冬の仏頂面は崩れない。業務連絡でもするかのような淡々とした口振りには、篝も目を
異形とも取れる獣を狩っているから、こうも平然としていられるのだろうか。それとも、血風の吹き荒んでいた時代──御一新の真っ只中にでも、人を殺める者として生きていたというのだろうか。
村の者は皆動揺している。この一件が知らされようものなら、村は恐慌状態に陥るかもしれない。
非情だとは思わない。つい数年前まで、人死にが日常茶飯事だった場所もあるのだ。人の死ごときに、一喜一憂などするものではない。
(──だが、それでも)
篝は違和感を拭いきれなかった。
ぐ、と意を決し、篝は冬を見つめる。案の定、冬が怯む様子はなかった。
「……事の次第はわかった。とにかく、この屋敷で働いている使用人が殺されていたんだな」
「是。先程からそう言っている」
「では、冬──お前は昨夜、何処で、何をしていた?」
──
冬の表情が僅かに強張ったのを、篝は見逃さなかった。
冬は常に仏頂面だ。気付けば不機嫌極まりないといった顔付きで、此方を睨んでいる。
だからこそ、わかりやすいのだ。冬の感情の起伏は。
真一文字に唇を引き結ぶ冬を待つことなく、篝は続ける。
「お前も、この屋敷に住み込みで仕えているのだろう? お前に関しては、屋敷の者からも聞いているからな。私生活に関してはからきしだが、何処で寝泊まりしているかくらいは余所者の俺にもわかる」
「…………」
「冬──お前は、相当腕の立つ武人だ。昨日の狩りには、俺も圧倒された。あのような異形を無傷で撃破出来る人間など、そうそういまい」
それゆえに──と篝は切り込む。
「この屋敷に侵入者──それも、ただ忍び込むだけではなく、人を殺めることが目的の者を、そう簡単に許せるものかと思ってな。お前のような一騎当千の武人がいながらも、人殺しを可能にするなど……余程の手練れか、それこそ化け物でなくてはあり得まい」
「…………」
「──冬、お前は何か知ってはいないか? 昨夜、この屋敷にて起こったことを」
す、と篝は顔を近付ける。
冬が動揺しているのは明らかだった。近くに寄れば、それがより一層見て取れる。
青白い顔をさらに青くさせた冬は、薄い唇を強く噛んだ。
よくよく見ると、冬には八重歯がある。犬歯のように尖ったそれは、もう少し力を込めようものなら唇の皮を突き破り、最悪出血させてしまいそうだった。
「…………悪いが、昨晩屋敷で起こったことはわからない。私は昨晩出払っていたから」
「出払っていた──? それは何故」
「獣が出たからだ。日が昇っているうちならば対処もしやすいが、夜間となると難しいだろう。血の臭いを嗅ぎ付けて、また獣が下りてくるとも限らん。それゆえに、村の者たちと連れ立って見回りをしていた」
屋敷に戻ったのはつい先刻のことだ、と冬は付け足した。
たしかに、冬の言い分は通っている。昨日の今日で再び獣──もとい異形に襲われでもしたら堪ったものではない。数日の間は警戒体制を敷いておくのが妥当と言えよう。
違和感があれば、後で村人にでも問えば良い。そうは思いつつも、篝はある疑問を覚える。
「冬」
「……何だ、まだ私に疑念を抱いているとでも?」
「いや、そうではなくてだな。お前、いつ寝ている?」
冬の目の下にうっすらと浮かんだ隈を見遣りながら、篝は単刀直入に問うた。
冬の顔色が芳しくないのは日常茶飯事である。初めこそその青白さにぎょっとしたものだが、今となってはすっかり慣れてしまった。
それでも、冬の生活が乱れているというのならそれはそれで気掛かりではある。
いらぬお節介だと一蹴されてしまいそうだが、此処で知り合ったのも何かの縁。多少口は悪いが世話にはなっているし、そんな相手が不健康な生活を送っているとあらば一言物申したくもなる。
突然問いかけられた冬はきょとんとしてから、すぐに口をへの字にする。
「そのようなことを聞いてどうする。貴様のためになるまい」
「俺の損得はこの際どうでも良い。ただ、お前が倒れでもしないかと心配なんだ。寝不足は後々祟るぞ。聞いた話によると、万年徹夜で仕事に追われていた役人は長生きしないそうだ。詰まるところ、寝られる時に寝た方が良い」
「私は別に、長生きなどしたくはないが」
「ああ言えばこう言う……。とにかく、冬。俺が食事を終えるまでで良い。其処の布団で寝ていろ」
これ以上遠回しに寝ろと告げても、冬はいっこうに聞こうとしないだろう。そう考えた篝は、言葉を飾ることなく冬に命じた。
篝の使用している布団は、毎日使用人が干すことになっている。外出をする時も、そのまま部屋に置いておいて構わないと言われていた。そのため、起床してからそこそこの時間が経過している現在も、部屋には布団が敷かれたままである。
冬はぱちぱち、と何度か目を瞬かせた。まさか寝ろ、と言われるとは思ってもいなかったらしい。
「だが、私は──」
「だがもしかしもあるか。そのような辛気くさい顔をされていては、此方の気も滅入る。眠れずとも横になるだけはしておけ。良いな」
何か言おうとした冬を先んじて制し、篝はもう言うことはないとでも言わんばかりにそっぽを向いて食事に手を付け始めた。こうでもしなければ、冬も負けじと言い返してくるだろうと踏んでの行動だった。
背後から、むむむ、と唸り声らしきものが聞こえてくる。冬は悩んでいるのだろう。わざわざ声に出してしまう辺り、己が感情を繕うことは不得手のようだ。
しばらく冬はどうするか決めあぐねていたようだったが、やがてごそごそと布団に潜るような音が聞こえてきた。何だかんだで仮眠をとることに決めたらしい。
(やはり眠かったのだろう)
あの様子では、普段からあまり眠ることが出来ていなかったに違いない。肌色は生来のものかもしれないが、顔色の悪さに拍車をかけていたと判断しても差し支えはなさそうだ。
やれやれ、と篝は肩を竦める。
食事を終えるまで──と告げはしたが、これはしばらく休ませてやるべきだろう。この調子だと、冬は誰かに言われなければ休むこともしないのだろうから。
(まったく、生き難いだろうに)
冬の心に、自愛の二文字はないのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えつつ、篝は引き続き出された食事をつついた。
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