第2話


 この世には毒を宿す鳥がいる。その毒に捉えられたが最後、ほんの一寸の毒がまたたく間に全身をむしばみ、激しい苦痛の中、息絶えるという。

 その毒には解毒のすべはないため、人々は毒鳥を死の象徴として恐れた。


 けれど、瑞国の名家、董一族はその毒を完全に制することができた。代々鴆を飼育し、その血肉を食すことで毒に耐性をつけた彼らは世界で唯一鴆を使役できる人間だ。

 そんな彼らを保有する瑞国は小国ながらも鴆毒よって他国を牽制し、強国へとなった。

 董一族はその生き様から毒鳥より恐れられている。キリルも自分が仕える少女が、董一族の末姫であることに恐怖を覚えた。


 きっと、父や母が言っていたように苦しみの中、死んでいくものとばかり思っていた。


 しかし、末姫はひどく大人びいた少女で、全てを諦めた目をしていた。キリルに向かって癇癪かんしゃくを起こす事もなく、失敗しても叱責すらしない。いつも一線引いて接してくる。

 今もキリルが勢いよく末姫——寿莉の髪をくしで引っ張ったのに顔を顰めることもない。


「すみません! 痛かったですよね?!」


 少女の狗となり、二年の月日が経った。瑞語もだいぶ操れるようになった。

 キリルは小さな背中を覆い隠す黒髪に触れた。櫛目に絡まった髪を解こうとするが、キリルの手を覆う革製の手袋のせいで細やかな動きができないのがもどかしい。


「大丈夫。手袋それじゃあ、力加減ができないもの仕方ないから気にしないで。無理しないで、切っていいわ」

「そんなっ、勿体ないですよ!」


 キリルはどうにか櫛と髪を引き離そうとする。いっそのこと、素手で触れてしまえば楽なのだが、寿莉の髪に素手で触れればキリルの手は見るも無惨に荒れ果ててしまう。

 苦戦しつつも、やっとことで分離させることに成功した。


「そろそろ奉納の時期ですね。いつ切りますか?」


 もつれた髪を櫛だかしながら、キリルは疑問を口にした。

 血も汗も、その身は全て毒となる董家の人間は年に一度、散髪した髪を国に奉納する決まりだ。キリルの提案に寿莉は鏡越しに視線を送った。自らの吐息ひとつがキリルにとって毒となることを理解した上での行動だ。彼女は絶対に、近距離で顔を合わせることはしない。


「ねえ、キリル。お前は恩赦おんしゃを望まないの?」


 キリルは両目を瞬かせた。またこの質問かと辟易へきえきしながらも首を左右に振る。


「俺に帰る場所なんてありませんから」

「今宵、陛下がお渡りになるわ。キリルが望むのなら宝玉を与えて、新しい住居を建設しくれるはずよ」

「興味ありません」

「お前はわたしの側に二年もついたのよ。そろそろ役目を終えたいと思わない?」


 突き放すような、けれど、どこかすがるような響きを持った声音にキリルは小さく笑う。


「俺はこの先もあなたの側に仕えたと思っています」


 それっきり寿莉は黙り込む。二年の歳月を共にしても、キリルには寿莉の考えは分からない。




***




 寿莉は瑞王の妃嬪つまである。夫が夜に寝所に訪れるということは、すなわち夜伽を所望されていること。


 ——は、一切ないことはこの二年間でよく分かっていた。


 瑞王との面会は二、三ヶ月に一度、大広間にて行われる。寿莉は何重にも面紗めんしゃを重ね、吐息がもれないようにしていた。対して、瑞王も顔を分厚い面紗で覆っている。

 両者の間には垂れ幕が下がり、距離がある。寿莉の毒に侵されないための策だとしても、まるで汚物のような扱いはキリルにとって不快でしかない。

 後宮で暮らす寿莉は、本家と比べて毒喰どくはみは少量に留めているため、そこまで警戒する必要はないのに。


「久しいな。寿莉」


 キリルの心情を知らない二人は笑うこともなく、義務的に会話をする。

 と、言っても喋るのは瑞王だけで、寿莉は顎を引くだけだが。

 言葉に表さずとも瑞王の機嫌は損なわない。寿莉が喋る方が危険だと考えているからだ。


「君の父上から預かった」


 瑞王が背後に視線を送ると、従者が月白色の箱を運んできた。大人が抱えなければ持てないほどの大きさだ。


「それでは私は帰らせてもらう」


 箱がキリルの手に渡ったのを確認すると、瑞王は早々に去っていく。

 瑞王の姿が見えなくなると寿莉は大きく息を吐いた。


「……なぜ、くるのかしら」

「寿莉様に会いに来られているのですよ」

「お父様の機嫌を伺うためにね。董家の後ろ盾がなければ、こんな小国なんてすぐ侵略されてしまうもの」


 つい、と寿莉は箱に視線を投げる。眉間に皺を作り、嫌悪の表情を浮かべた。

 しばらく考え込んだ後、寿莉はキリルの名を呼んだ。


「離れなさい」


 命じられるままに壁際へと下がる。

 キリルがきちんと距離を置いたのを確認してから寿莉は箱を開けた。中には木箱が仕舞われている。その次も木箱で、最後の一つは鉄製だ。


こうしなきゃいけないのかしら」


 鉄箱の蓋を開けると寿莉は手を突っ込み、指先でをつまみ上げた。あらわれたのは鮮やか羽を持つ鴆の死体である。


「わたしは、毒に耐性をつける必要はないのに」


 寿莉は、呂家おうぞくが董家と繋がりを得るために入内を命じられた娘だ。瑞王の妻という立場だが、毒を宿す身体のため夜伽の任はない。夫が亡くなり解放されたとしても通例に乗っ取り、道観に入るため次世代に血を紡ぐ必要はない。


「毒を喰らわなければ、になれるのに」


 寿莉は自嘲すると鴆の羽根を毟り取り、口へと運んだ。毒を味わうために。

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