挿話 (4)

「もう、ゆる……、……くだ、さい」シノブはしぼりだすように答えた。

「え、なんだって、聞こえない、はっきりいいなさい」トビタは気分を害したという風に、いらだちを言葉にからませて言った。

「もう、ゆるして、勘弁してくださいっ」

 シノブは、目に涙をためて、叫ぶように言った。

「もう、つらいんです。私の生活が、もうめちゃくちゃなんです。だから、仕事のお手伝いは、今後はできません」

「ふうん、そんなこと言うんだ」

 トビタは、シノブの心痛などしったことではない、というくらいに冷酷な言いかたをした。

「子供がさあ、保護者の手伝いをするのは、あたりまえじゃないかな。俺もさ、ガキのころは、親におつかいに行かされてさ、いやだっていうと、頭をひっぱたかれたもんだ。そんなの、普通だよ、あたりまえだよ」

「でも、アルバイトもクビになってしまって、学校も休みがちに……」

 シノブは、涙で頬を濡らし、両手の指で涙をふきながら、そして、むせびながら言った。

「え、なに、保護者に逆らうの?誰のおかげで生きていけると思ってるの?」

 そして、トビタは、決定的なひとことを口にした。

「またあのみじめな生活にもどりたいわけ?」

 その言葉を聞いた瞬間、シノブは、頭が真っ白になった。

 この男の本性が、ついに発露された瞬間だという気がした。

 トビタがシノブを助けたのは、いきがかりだったのかもしれないが、それは、優しさや憐れみからの行動ではなかった。結局のところ、自分の手足のように使える人間が欲しかった、そこにちょうどシノブがいた、それだけだったのだ。

 シノブは、自分がバカに思えてきた。

 そうともしらず、シノブはずっとトビタを慕ってきた。ほんとうの兄のように、いや、それ以上の存在に思えることさえもあった。しかし、それはすべて幻想だった。シノブの思い違いでしかなかった。

 シノブのなかで、なにかが、プツリと音をたてて切れた。

「もう、いいよ」

 シノブは抑揚なく、ぼそりと言った。

「なに?だから、はっきりと」

「もういいって、言ってんだよ!」

 トビタは仰天したという顔で、シノブを見た。

「私が嫌だつってんのに、てめえの勝手な理屈で人をコキ使いやがって。ああいいよ、だったらいいよ。とことんやってやんよ」

「あ、あの」

「だまれっ!」

 トビタはびくっと体を震わせると、目を丸くする。

「お前が私のことを食いつぶそうっていうんなら、私もお前のことを食いつぶしてやる!」シノブは引きつるような声で叫ぶように言う。「骨と皮しか残らないくらい、お前の人生を食いつぶしてやる、覚悟しろっ!」

「いや、そうじゃなくってね、シノブちゃん」

「もういい、帰れっ。おとりでも潜入でもなんでもやってやるから、もう帰れ、クソ刑事っ」

 トビタは、シノブの、あまりにも突然すぎる豹変に、完全に面食らったといったていで、しぶしぶ部屋からでていった。

 玄関のドアがしまる音がすると、シノブは、ベッドのまくらに顔をうずめて、泣いた。

 なにかが決定的に終わった、という気がした。

 この瞬間、ふたりの関係は変わってしまったのだ。

 もう、もとには戻れないのだ、と。


  数日たっても、ケンカをしたあとの胸のもやもやは消えてくれない。

 ああ言ってしまったことを、後悔しているわけではない。だが、トビタに縁を切られると、この先どう生きていけばいいのか、まったくわからない。

 男を楽しませてその日のかてを得るような、あんな暮らしにはもう戻りたくはない。

 テレビをつけて、別段何か番組をみていたわけではなかったが、ちゃぶだいの上に顔をのせて、ぼんやりと、画面をながめ、来し方行く末を思う。

 いつしかそこには、小学生の探偵が事件を解決する、長寿アニメが流れている。

 ――探偵か……。

 この少年は、事件を解決しても、謝礼を求めたりはしない。ただ難事件を解決すること自体が報酬だとでも言いたげに、犯人を追いつめ、謎を解きあかし、満足している。

 ――私なら。

 五千円くらいくれ、と被害者に要求しそうだ。この少年探偵も、ちゃんと探偵業をなりわいにすれば、けっこうな実入りになるだろうに。そう考えるのは、私の心がすさんでいるからだろうか。人としての思いやりがないからだろうか。

「探偵か」

 シノブはしらず声にだしてつぶやいた。

 うん、面白いかもしれない。

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