挿話
挿話 (3)
二カ月働いたコンビニエンスストアをクビになった。
君は突然休む。そんなことをされては、シフトが混乱する。一度や二度じゃない、もう何度めだ。やめてくれ。
中年ぶとりのおじさん店長は、いかにも憎々しげに、愚痴まじりの解雇通告を、シノブに向っていい放った。
シノブは返す言葉もなく、うなだれて、コンビニを後にした。
なにか新しい仕事をさがさなくてはいけない。
秋の日の肌寒い、木の葉が舞い落ちる街を呆然としたようすで歩きながら、シノブは考える。
最近、トビタはお小遣いも、部屋の光熱費も援助してくれなくなってきた。
――君は、ちゃんとした仕事をしなさい。そしてお金のありがたみを知りなさい。
ある時、しかつめらしい顔をして、彼は言った。
急にトビタが訓戒めいたことを言いだしたので、シノブはいささか面食らう気持ちだったが、そんなことは、言われなくてもわかっている。ついこの間まで、シノブは食うや食わずの、ぎりぎりの生活をしてきたのだ。売春まがいのことをして、どうにかこうにか命をつないできたのだ。お金で困ったことがないような、公務員の軽薄男に言われたくはない。いちいちおためごかしを言う必要などない。
しかも、働け働けと言いながら、なんの前触れもなく、いきなり仕事を手伝わされるので、アルバイトも休みがちになり、とうとうクビになった。
最初の尾行をしたその後は、聞き込みを手伝ったりした。
キャバクラに潜入し、犯罪者とのかかわりを見つけ出す、なんてこともさせられた。
その程度ならよかった。シノブも、刑事のマネ事ができて、おもしろ半分、遊び半分でやっていた。
だが、先日のおとり捜査はいけなかった。
麻薬の売人の証拠を見つけ出すべく、家出少女のふりをして、その男に近づくことになった。
男のマンションにころがり込み、隙をみて、家のなかを捜索した。
だが、男に気づかれた。
殴ったり蹴られたりしたうえ、服をはぎとられ、レイプされかけた。
シノブは必死に抵抗し、半裸の状態でなんとか逃げ出した。
トビタは、
――大丈夫か。
などと、シノブを気づかうようなことは言わない。
ただ、少女に暴行をはたらいたことを口実に家宅捜索をし、目的の麻薬や売買記録を見つけ出し、トビタは、署長から表彰された、と自慢げに後で語った。
シノブは急速につらくなってきた。
心の片隅に追いやっていた、黒い塊が、突如として猛然とした勢いで膨れ上がってきて、シノブの心だけでなく体全体に黒く、重く、のしかかり、地底の奥底に沈められていくような気分だった。
トビタの仕事に手を貸すのは、もう嫌だ。
アルバイトも二度クビになった。
いいかげん、うんざりしてきた。
しかし、トビタには助けてもらった恩がある。
やはり黙って、手伝いつづけるよりほかないのだろうか。
翌日、トビタが家にやってきた。
トビタは、ちゃぶだいの、いつも指定席にしている壁ぎわに腰をおろすと、ネクタイをゆるめながら、言う。
「今度の仕事は面白いぞ。市会議員だ。お前は、そいつの事務所に事務員としてもぐりこんで、不正の証拠を調べてくるんだ。な、楽しいだろう」とトビタは子供がいたずらの計画をたてるときのように、にんまりと笑って、「権力者を叩きつぶせるなんて、最高だな、おい」
シノブは、下唇をかむような顔で、その話を聞く。
トビタはその顔をみて、ちょっと不振に思ったようだ。
「なに?嫌なの?」
「はい……」
「なに、逆らうの?保護者の頼みをことわるの?」
――ここで気おされてはいけない。
とシノブは心のなかで自分を叱咤する。
――心のわだかまりを、トビタさんに伝えなくてはいけない。
このままずるずると、彼の手先のような生活をおくるのは、シノブの人生の重しにしかならないのだ。
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