16 隘路 (10)

 シノブは、スマホを耳にあてたまま、いつでも機械の陰から飛び出せるように、身構えた。

 それから、数秒、数十秒、一分、二分。

 一日千秋どころか一秒が千年にも思えるほどの果てしない時がながれる。

 だが、いつまでたってもトビタからの知らせはない。

 ――なにやってんだ、トビタ。はやくしろよ。

 いらだつ気持ちをぶつける相手は、電話の向こう。

「おい、トビタ?」

 スマホに話しかける。

 まさか、もう、敵にやられてしまったのだろうか。いや、そんな気配はない。

「おい?」

「ぎゃあっ」

「なんだ?おい、どうした?」


 その少し前。

 クロスは、スコープを通して工場を監視しつつ、弾ごめを急ぐ。

 と、左方向、車用スロープの入口のほうから人の気配がする。ゆっくり、足音を忍ばせ登ってくる。

 ぴたり、と気配の動きがとまった。スロープの入口で足をとめたのだ。

 おそらく工場から逃げた男だ。男がここに到着したのだ。

 ――イサミめ、なにをやっていた。

 まったく、役に立たない少年だ、これが片付いたら、おしおき・・・・をしなくてはな。

 気配が動いた。

 クロスはすぐさまライフルをそちらに向け、撃つ。

 ぎゃあ、という悲鳴とともに、男の影が壁の向こうに消えた。

 クロスは、ボルトを操作しつつ、工場へと照準をもどす。


 それよりさらに前。

 トビタは、スロープを登る。

 曲がり角の手前にある二階入り口を通りすぎ、角を曲がって三階入り口、四階入り口と通りすぎ、五階――屋上への入口に到達する。ここまで、敵からの攻撃は、ない。狙撃手は、ひとりで行動しているのだろうか。

 スロープの出口の壁から左目だけだして、様子をうかがう。

 五十メートルほど向こうの駐車場の壁際に、ライフルを構えた男がいる。男は、目にバイザーのようなものをしていて、ライフルの照準をのぞきながら、器用にカートリッジに弾をこめている。

 ――今なら、やれるかもしれない。

 トビタは思った。シノブにこれ以上人殺しはさせたくはない。自分でケリをつけよう。

 壁の位置関係で右手持ちだと銃を撃ちにくいので、左手に銃を持ちかえ、壁から半身を出す。

 と、狙撃手は、くるりとこちらを向き、即座に引き金を引いた。

 ボン、とサイレンサーでも消しきれない銃声とともに、風圧がトビタの左頬をかすめる。

「ぎゃあっ」

 叫んで、トビタは壁に身をかくした。

「トビタ、トビタ、大丈夫かっ」

 スピーカーに切り替えていないのにもかかわらず、スマホからシノブの大声が聞こえてくる。

 トビタは、ポケットからスマホを取り出し、

「ああ、どうだ、動けたか?」

 とシノブに聞く。

「え?いや、なにが起こったかもわからないのに、なにもできるわけないだろ、バカ野郎」

 ちぇっ、っとトビタはシノブとそっくりな舌打ちをする。

「じゃあ、もう一度、やるぞ、今度はカウントダウンをするからな。三、二、一、でこっちでヤツの注意を引くから、お前は事務所の屋上へ出て、けん制してくれ」

「けん制?いや、私が倒す」

「バカ、変な意地を張ってんじゃない。たまにはお兄ちゃんにまかせろ」

 ちぇっ、とスマホの向こうから舌打ちが聞こえる。

「じゃあ、行くぞ」

 トビタは、ひとつ深呼吸をし、息と気持ちを整える。

「三。二。一っ!」

 言ってトビタは壁から飛び出して、銃を撃つ。

 狙撃手も体をねじって、トビタを撃つ。

 お互いの弾丸は、空中へと消えていった。

「クソっ」

 いらだちを叫声に変え、トビタはふたたび壁へ体をもどす。


「三。二。一っ!」

 スマホから聞こえるトビタの号令とともに、シノブは走りだす。

 工場内を横切り、階段をのぼり、ドアの鍵を素早くあけて、事務所の屋上へ飛び出す。

 M16を構える。

 五百メートル向こうの敵。フロントサイトとリアサイトを重ねる。

 照準が合った。

 引き金を引く。

 深夜の工業地区に響く轟音。


 クロスは、男をけん制すると、すぐに銃口を工場にもどす。

 だが、機械の陰には女はいないだろう、と直感で理解する。

 どこだ。

 スコープを動かす。

 いた。

 事務所とおぼしき建物の屋上に人影。人影はライフルを構えて狙いをさだめている途中だった。

 照準をその人影にあわせる。

 引き金を引いた。

 瞬間――。

 シノブのライフルから撃ちだされた弾丸が、赤外線スコープを破砕し、ヘッドマウントディスプレーを割り、クロスの右目を穿ち、右側頭葉に食い込む。

 クロスは、苦痛を感じる間も、自分の敗北を認識する間もなく、生命活動を停止した。

 そしてその体を、ゆっくりのけぞらせ、駐車場の床に倒れこんだ。


 クロスのマクミランTAC-50から放たれた弾丸は、シノブの右肩をかすり、屋上の床にめり込んだ。

 シノブは、ことが終わったのを感じた。

 同時にどっと冷や汗が流れ出す。

 息をするのさえ忘れていたことに気づき、大きく息を吸い込む。

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