17 隘路 (11)

「クソっ」

 トビタはふたたび叫んだ。

 結局シノブに人殺しをさせてしまった。

 まったく、ダメな保護者だ。

 トビタは自責の念にかられつつも、辺りの様子をうかがった。

 周囲に人の気配はまったくない。

 ただ、秋も深まった深夜の冷たい空気が、だだっ広い駐車場をつつんでいただけだった。

 トビタは息絶えた男を見つめた。

 いったいどういう男なのだろう、と好奇心が動く。刑事としての好奇心というよりも、純粋な、人としての好奇心だった。

 男の遺体を調べるため、トビタは一歩ふみだす。

 が、駐車場の反対側にある非常階段の扉が開き、数人の人影が現れた。

 なにかの道具を持っているものや、担架のようなものをかついでいるものもいる。皆、グレーの作業着のようなものを着ていた。

 トビタは壁の陰に身を隠し、銃を身構える。

 だが、その数人の人影は、トビタのほうには見向きもせず、狙撃手の遺体に向かい、あるものは銃や弾丸などをかたづけ、あるものは遺体を担架にのせて運んでいき、残った者たちは、なにかの薬品をまいて、死体のあったあたりをブラシで掃除しはじめた。

 ――いっさいの証拠を消している。

 トビタは理解した。これまで、シノブが倒した相手の遺体や戦闘の痕跡が、まったく消滅していた謎が解けた。

 ――と、いうことは……。

 シノブのいる工場にも、掃除屋があらわれるかもしれない。シノブに伝えて、退避させなくては。

 トビタはスマートフォンを耳にあてる。


 シノブは、建物の屋上にたち、ほうけたように突っ立っていた。

 戦闘が終わった安堵も生きのびた歓喜も、まったく感じない。ただ、虚無の状態の心で、シノブは、いまさっきまで敵がいた立体駐車場の屋上をみつめていた。

「おい、いるか、おい、おい」

 どこかから、声が聞こえる。ひどく懐かしく感じる声。

 シノブは、床のちょっと離れた位置に落ちていたスマートフォンを拾いあげた。どうやら、屋上へ飛び出した瞬間に、われしらずスマホを放り投げていたらしい。

「ああ」シノブはうつろに答える。

「おい、大丈夫か?」

「ああ、大丈夫」

「ホントに大丈夫か?」

「ホントに大丈夫」

 ただオウム返しに言葉を繰り返すだけのシノブを不審に思ったらしい、トビタがさらに、なにか喋りはじめたが、シノブは、通話をきった。

 工場のなかから音がする。

 耳をすませる。

 いつの間にか工場内に数人の人がいる。

 数人の男と、女がひとり。なにごとかを話し合っている。なにを話し合っているのかまでは、まったくわからない。ただ、一定の音量で、――まるで事務的な会話のように抑揚のない話し声がしている。

 話し合いが終わったのか、声が聞こえなくなり、かわりに足音が工場内に響いている。

 そのうちのひとりが、こちらに向かってくる。

 ――どうする。戦うか、どうする。

 シノブはとりあえず、工場の壁に身を寄せた。ドアの死角になる場所だった。

 足音が、一歩、また一歩、階段をのぼってくる。鉄の階段をふむ足がかわいた金属音をたてる。

 ゆっくり、ゆっくり、シノブの不安な心情をもてあそぶように、ゆっくり近づいてくる。

 足音がとまる。

 ちょっときしんだ音がして、ドアが半分ほど開く。

 シノブは、息を殺して、相手の出方をうかがう。

 その人物はなにをしているのか、そのまま動かない。シノブを探しているのだろうか。

 数瞬――。

「ねえ」

 若い女の声がする。

 シノブの鼓動がひとつ、大きく脈打つ。

「ねえ、まだいるんでしょう?」

 シノブに話しかけているのだろうか。だが、その女は決して答えを期待してはいないだろう。シノブは貝のように沈黙をつらぬく。

「いまから、ここをハイパーナパームで焼却するわ。巻き込まれないように、はやく逃げなさい」

 ――なんだ?

 シノブは怪訝に思う。なぜ敵がそんな警告をするのか。

「銃も置いていきなさい。いっしょに処分しておくから」

 言って女はドアを閉め、工場にいる者たちに向けて、誰もいないわ、作業を急いで、と命令する。まるで、わざとシノブに聞こえるように大声で喋った感じだった。

 シノブは、M16を床に置き、堤防のほうへと走った。屋上からは下におりられるような階段もはしごもない。しかたがないので、腰ほどの高さのフェンスを乗り越え、屋上の端にぶらさがって、地上におりた。おりるとすぐに、走りだす。二、三百メートルほど走ったところで、後ろで凄まじい爆発音がした。衝撃波と熱と振動が、シノブを襲う。

 立ちどまり、振り返る。

 状況を観察するため、土手をのぼり堤防上の道路へとあがる。

 ふたたび、大きな爆発。

 真っ赤な炎、立ちのぼる黒煙、焦熱の気流。

 その凄絶なまでに美しい光景から、シノブは目をはなせないでいた。

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