14 隘路 (8)
シノブは辺りをみまわした。窓からの弱い光をたよりに、目をこらすと、壁際に一斗缶が三つほどあるのが目についた。
シノブは、それを取り――さいわい中身はからだった――、電話でトビタに、やるぞと合図をおくり、機械の端から外にだして、振る。
ドンと、缶を持つ手に衝撃が走り、一斗缶が飛ばされる。
もう一個、一斗缶を取り機械の端に出す。
またはじき飛ばされる。
「どうだ、トビタ、渡れたか?」
「渡れ、た、なん、とか」はあはあ、と息をきらしてトビタが答え、「じゃあ、もう、切る、ぞ、電話」
「いや、まて、つないだままにしろ」
「なんで?やっぱり、怖いの、シノブちゃん?」
「違うって言ってんだろうっ、バカトビタっ。つないだままのほうが、なにかと都合がいいだろう。お互いの様子もわかるし」
「はいはい、そういうことにしといてあげる」
「しといてあげるじゃねえよ、ホントにそうなんだよ」
いいつつも、シノブは心の不安感が薄らぐのを感じていた。あんなに腹の立つ男なのに、うっとうしい存在の人間のはずなのに、なぜ、こんなときは頼りにしてしまうのだろう。
――いや、違う、頼りにしてるんじゃない。
利用しているんだ。おたがいが寄り添って生きてるんじゃない、利用しあっているだけなんだ――。
男が橋を渡った。そして、すぐに家並に隠れ、見失った。
――そうか。
とクロスは合点した。
女が工場内にとどまってこちらの気を引いている隙に、男はここに近づく。そして、
――オレを攻撃するつもりか。
クロスは苦笑した。
駐車場の入り口には、使い走りの少年イサミを配置してある。たいして役に立つ少年ではないが、暗がりから人を狙い撃つくらいのことはできるだろう。もし、イサミがしくじったとしても、クロスひとりでうまく対処できる自信はある。
それよりも、
――女を機械の陰からおびきだすほうが、難問かもしれん。
夜が明けるまでじっと
トビタは橋を渡り、マンションの陰に走り寄り、一区間ほどさらに走って、足をとめ一息つく。ここにある脇道からショッピングセンターを目指せば、駐車場からはずっと死角になるはずだ。
ぎりぎり車二台分ほどの幅の道。街灯の間隔は広く、長くのびた闇のなかに、点々と明かりが灯ってい、普通に歩いても不安で押しつぶされそうになる、深夜の道。
トビタは不意に立ちどまった。
――やはり、やめておこうか。
あきらめるのは簡単だった。この暗黒の道を進まず、こうこうと街灯のともる大通りを進めばいい。
――いや、やめておけばよかったんだ。
トビタは今更ながらに後悔の念がわいてきた。
ちょっとした行方不明者さがしのはずが、ここまで面倒な、命を脅かされるほどの方向に進んでいく事案だなど、思いもよらぬことだった。
それに、トビタは、そろそろ潮時だとも思っていた。これを最後にシノブを使うのをやめよう、と思っていた。
最初、シノブを助けたのは、ただの気まぐれ、ただの偶然だった。
ヤクザたちに囲まれて連れ去られようとしていた少女を、助けた。少女には記憶がなかったので、いろいろと奔走して、――いささか職務違反もしたが――住民票も手に入れたし、学校も見つけてやった。
そのあと、ちょうど都合がいいから、とシノブに仕事を手伝わせはじめたのが、いけなかった。それは、親が子供にちょっとお使いを頼むくらいの気持ちだった。子供が親の手伝いをするのは、当然。その程度の軽い気持ちで、そのままずるずるとシノブを頼りつづけた。危険な案件に関わらせることもたびたびあった。
いい加減、学業に専念させ、大学にも入れてやり、それなりの人生を送らせてやりたい。
それに、今のシノブを見ていると、なんだか危なっかしくてしかたがない。この数日の間に戦闘を数回体験しただけで、妙な慣れのようなものを持ち始めている気がした。あの子は人を傷つけることも、命を奪うことも平気になってきているのではないか。このままでは、ほんとうに、凶暴な、なんでもかんでも暴力で解決するような女に成長してしまうのではないか。そんな危惧に心がさいなまれる。
やっぱり、シノブには普通の生活をさせておいたほうがいい。
「よしっ」
思っていたよりも大きかった気合い声が路地にこだまする。
――たまにはいいとこ見せないとな。
トビタは暗い道へと、走りはじめる。
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