13 隘路 (7)

 シノブは、印刷機と壁の間にすべりこんだ。

 段ボールを流すレール台の高さが想定よりも低く、敵にみつかって攻撃をされたが、床にスライディングしていたので弾丸をかわすことができた。

 おかげで、制服が埃だらけだ。実際は暗くて制服の汚れを確かめようもないのだが、シノブはそう直感した。

 ――もう、予備の制服がないんだから……。

 これ以上汚れたり破れたりしたら、新しい制服を買わなくてはいけなくなる。とんでもない臨時出費になってしまうところだ。

 シノブはそう思いながらも、腹ばいで印刷の輪転機の裏まで進み、上半身だけおこして、機械にもたれかける。

 ――ここから……。

 工場の反対側にある、事務所の屋上へ上る階段まで進まなくてはならない。そして屋上へ出て、敵を攻撃しなくてはいけない。

 うまくいくだろうか。反対に攻撃されて一巻の終わり、という結果におちいる可能性だって、充分にある。いや、その可能性のほうが高いかもしれない。

 シノブは、アサルトライフルM16を抱え込む。

 トビタは、うまく敵をけん制してくれるだろうか。ひょっとして、私が向こうへ行った方がよかったんじゃないだろうか。

 ――トビタ。うまくやってくれ、トビタ。


 トビタは、走った。

 工場の立ち並ぶ隙間を抜け、堤防下の道を進み、目的の橋に向って必死に走った。

 こんなに走ったのは、いつぶりだろうか。警察学校以来じゃないだろうか。

 工場から敵のもとへ向かうために、ショッピングセンターの近くにある橋を渡れば、必ず敵に攻撃される。なので、しんどいことではあるが、狙撃されにくい、遠方の橋までぐるりとまわって、敵のいるであろう立体駐車場まで走らなくてはいけない。

 工場から橋まで一キロメートルくらい。橋の長さが五十メートルくらい。橋から駐車場まで一キロちょっと。

 まだ、三百メートルほどしか走っていないのに、完全に息が上がってしまっている。

 ――オレ、まだ二十八だよ。まだ若いはずだよ。

 もはや、自分で自分に言い聞かせるしかない。オレは若い。まだ若い。二キロや三キロ全力疾走する程度の話だ、造作もないことだ。まだ若い。

 と、スマートフォンの着信音が流れる。

 ――誰だこんなときに。

 いらだちながらも、スマホを取り出し、画面を見る。

 着信、シノブ。

 通話ボタンをタップするがはやいか、

「おいっ、なんの用だっ」

 息をきらして叫ぶ。

「いま、どこだよ」

「まだ、橋にも到着してないよっ」

「はやくしろよ、ノロマ、グズ。こっちはじっと待ってるんだからよ」

「だったら、余計な電話をいれるんじゃない」

「いや、だって、不安じゃん」

「あそ、不安なの?さびしいの?まっ暗な工場にひとりっきりで怖いの?やっぱり女の子だね、シノブちゃん」

「あ、いや、ちがうよ、そういう意味じゃない」

「じゃあ、どんな意味だよ」

「お前が、逃げ出さないか、不安だって言ってんの」

「ホントかなぁ」

「ホントだよ」

「さびしいって言ってごらんよ、怖いって言いなよ、正直に。そしたら、お兄ちゃん、がんばっちゃうから」

「は?バカなの?バカじゃないの?」

 ふたりで駄弁をろうしあっているうちに、トビタは橋のたもとにたどりつく。電柱に身を寄せて、立ちどまる。ふう、とひと息つくと、スマホに話しかけた。

「おい、これから橋をわたる。お前、ちょっとそっちで敵の気をひいてくれ」

「ああ」

 人通りも、車が通る気配すらもない、静まりかえった橋をトビタは見つめる。片側一車線の道路ではあるが、車線自体が幅広で歩道も広くとってあるし、昼間ならそれなりに交通量の多い道なのだろう。しかし今聞こえるのは、風の音と川の音、そして、すっかり弱々しくなった秋の虫たちの独唱。堤防道路との交差点にある信号が明滅しているのが、なぜか異様な不安感を揺り起こす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る