2 渉猟 (1)
「おい、そのミルク、いらないならくれ」
シノブはトビタの前にある、ミルクピッチャーをつまみとると、自分のカップにそそぐ。
トビタはその一連の動作を、苦虫をかみつぶしたような顔をして、みつめている。
月曜朝のヨメダ珈琲は、通勤前のサラリーマンや通学途中の学生で、けっこうな繁盛ぶりだった。せかせかと動き回るウェイトレスに、朝から大声で会話にいそしむ女子高生たち。ガヤガヤとした喧騒のなか、落ち着かない気分でふたりは声を張りあげるようにして会話する。
「おい、お前、自分が注文した物がなにかわかってるんだろうな。それは、カフェオレというんだ。もうすでに、たっぷりミルクが入っているんだ」
トビタの説教めいたお喋りを聞き流し、シノブはテーブルの脇にあるスティックシュガーの容器をとると、一本を取りだして、カフェオレに入れる。つづけて、二本、三本……。
「おい、いい加減にしろ」すかさずトビタは忠告をいれる。「お前、以前より砂糖の量が増えてるじゃないか。いくら甘党でも、体を壊すぞ」
「大きなお世話だ」
「おにいちゃんはね、お前の体の心配をして言ってるの」
「うるせえな。頭を回転させるには糖分がいるんだ。私はまだ半分眠ってる脳ミソを、これで活性化させるんだよ」
言いながら、シノブはモーニングのトーストに、小倉あんをたっぷり、トーストとほとんど同じ厚さで、塗る。
それを見ながら、トビタは苦々しくした顔をさらに苦々しくゆがめて、ブラックコーヒーをすする。
「で、体はもう大丈夫なのか?」
トビタが多少不安な色を声ににじませて、言った。
「ああ、土、日とほとんど寝てたからな。ずいぶん痛みも引いた」
そうか、とうなずいて、トビタは話を続ける。
「それで、調査のほうはどうだ」
その言葉を聞いたとたん、シノブは嫌悪をあらわにする。
「あのな、よくまあ、こないだ変質者に襲われたばかりの女の子に、仕事の催促ができるな」
「もうふつかも休んだだろう。充分休養もとれたみたいじゃないか。若いんだから、どんどん働け」
ちっ、とシノブは舌打ちした。先日、ちょっと親愛の情をわかせれば、今日はすでにこれだ。コイツには好意などという甘い感情をよせるもんじゃない、とシノブはつくづく思うのだった。
「ああー、なんだ。あの、そう、ウンノからの連絡待ちだ」
シノブは投げやりに言う。
「モモサキさんのことを知っていそうな例の男か?本当に連絡なんてくるのかよ」
「わからんが、連絡がくれば、こっちのものだ」
とシノブは、その先の計画は万端ととのえずみという顔で話す。
「待ってるだけじゃ、芸がないだろう。なんか他に手はないのか?」
「まったく、ケガ人に言うことか。ホントにお前はクソだな」
「はい、クソ野郎でけっこうです。けっこうだから、知恵をしぼってなんか出せ」
「まあ、なくはない」
「そうか。で、どんなのだ」
「それは、見てのお楽しみだ」
シノブはちょっといじわるそうに口もとをゆがめてつづける。
「今日の……、そうだな、夕方の四時ごろに、カチシマの漫画喫茶の前に来てくれ」
「カチシマ駅のちょっと北にある?」
「そう」
「わかった。けど、俺がなんか必要なのか?」
「ああ、ちょっとだけ手伝ってもらうよ」
「なにを」
「それはお楽しみだって」
言って、シノブはトーストの最後のひときれを口にほうりこみ、カフェオレで流し込むようにして、食べ終わる。
「学校に遅れるから、行くわ」
「ああ、俺はもうちょっとゆっくりしてく」
「じゃあな、四時に来てくれよ」
シノブは立って、席をはなれようとすると、
「待て待て待て」
トビタがとめる。
「あん?」
「待て、なんか忘れてるぞ」
「なんだよ」
「カフェオレ代、ちゃんとおいてけ」
「なに?なんだよ、おごりじゃねえのかよ」
「ねえよ、自分で飲み食いした分は、自分でちゃんと払え」
「ちっ。社会人だろ、学生のぶんぐらい出したらどうだ。どんだけケチなんだ、守銭奴め、吝嗇漢め」
シノブは呆れたように同義語を並べたててののしると、財布からカフェオレ代を、きっちり消費税ぶんの細かい金額までとりだし、机にたたきつけるように置く。
トビタはそんな、とげとげしく荒れたつシノブの感情などおかまいなし、といった風情で、
「じゃ、四時な。なにを見せてくれるか、楽しみにしてるよ」
微笑みながら言う。
シノブはくるりときびすを返し、ほくそ笑む。
――くくく、まっているがいい、クソトビタ。今日の四時が楽しみだ。
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