6 端緒 (2)

 サバタリアン・ファーマスティカル。略してサバタリアンファーマ、さらに略して、サバタファーマ。

 この製薬企業のビルが、広大な敷地のなかに周囲を圧迫するような威容でそびえたっている。中央塔が二十五階、そこから二十三階建てで長さが二百メートルほどの棟が三方向にのびている。地図アプリでみるとわかるが、上からみると辺が同じ長さのYの字を描いたデザインになっている。そのビルは、周りに高層の建築物がないこともあり、あるいはランドマークとして、あるいは目障りな障害物として、市民たちから認識されているものだった。

 社屋を中心に一キロメートル四方ほどの区域は、この会社の関連会社が占め、社員の住居も寄り集まっていることから、付近の人たちはこの一帯を本来の町名ではなく、「サバタ町」などと、なかば揶揄をふくんだ名称で呼んでいる。

 戦後から高度経済成長期にかけて急速に成長し、国内では有数の製薬企業だったが、数年前に流行しかけたウイルス感染症のワクチンを、パンデミック寸前に開発、生産供給したことから、莫大な利益を得るとともに、世界中に一躍名をとどろかせることとなった。


 シノブは、敷地のわきにあるコンビニエンスストアの駐車場から、ビルのその威容をながめて思う。

 町全体が平野のすみの丘陵地帯に位置していることもあり、あのビルの最上階から下界をながめるのは、そうとう気分がよかろう。この企業が、忽然と姿を消したモモサキ・ハルコという女性の失踪に関与していたのだとしたら、トビタがいうように、警察に圧力をかけることなど造作もないことだろう、と――。

 トビタが捜索に圧力がかけられたのワイロがおくられたのと論じはじめたときは、ずいぶん飛躍しすぎた、トンチンカンな発想だと思ったものだが、いざこうして社屋を目の当たりにしてみると、あながち的はずれな発想だとは思えない気がしてきた。

 モモサキさんが失踪して、たかだか三年。彼女が勤めていた会社の人間なら、当時のことを覚えていないはずはない。彼女となんらかの関係を持っていた人間が現在もかならずいるはずだ。社員と手当たりしだいに接触すれば、いつかかならず、該当する者にたどりつける。とシノブは考えた。

 根気のいる作業になることは明白だったが、いやいやながらも依頼を引き受けてしまった以上は、

 ――まあやるだけやってみよう。

 という気になっていた。

 今は夕方の五時すぎ。

 社員たちは仕事を終え、そろそろ帰途につくはずだ。そのなかのいくらかの人たちは、会社の正面ゲートからほど近いこのコンビニに立ち寄る可能性は高い。

 当然のように予想は的中した。

 自動車、自転車、徒歩。社員たちはそれぞれのスタイルで門からぞろぞろとでてくる。

 知人とお喋りをしながら歩くもの、一心不乱に帰途を急ぐもの、様々な人たちがコンビニの前を通りすぎる。

 さて誰に声をかけようか。

 選り好みしている場合ではないが、かといって、めったやたらに声をかけては、すぐに怪しまれてしまう。

 さてさて、と考えていると、スーツを着た壮年の男性がコンビニに近づいてくる。

 ――とりあえずは。

 とシノブは、男性に歩み寄って、すみません、と声をかける。

「あの、私、姉を探していて。モモサキ・ハルコといいます。ご存じないでしょうか」

 男はシノブをじろりと一瞥。あきらかに不審者をみる目つきだ。

「あの……」

 と、さらにすがりつくシノブであったが、

「いや、知らないね」

 すげなく言って、男はコンビニに入っていった。

 ――ダメだったか。

 しかしこの程度でくじけるわけにはいかない。

 シノブはその後、数人の社員に声をかけたが、一様に知らぬ存ぜぬ、だった。

 その誰もがウソをついているとは思えなかった。しんじつみんな知らないというふうだった。

 ――まあ、この程度で失踪者の手掛かりがつかめるのなら……。

 だれも苦労はしないだろう。警察だって、圧力がかかる前にモモサキさんの行方をつかんでいたことだろう。

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