5 端緒 (1)
――ちょっと近道をしようと怠け心をだせば、こんなもんだ。
両腕を広げると両側の家の軒先にとどいてしまいそうなほどの
築年数が数十年もたっているほどの朽ちかけた家々が
――医薬品会社の研究員が住むような家だろうか。
とシノブは思った。
サバタファーマといえば、日本のみならず、世界にも名の知れた大手の製薬企業だ。そんな会社の研究員、それも主任などという役職にいて、こんな古ぼけたアパートにしか住めない薄給しかもらっていなかったのだろうか。それとも、この家や町の雰囲気が好きで、あえてここに住んでいたのだろうか。それにしても、もっと条件のいい物件がいくらでもあっただろうに、とシノブは道の突き当りにある十階建ての大型マンションを眺めて思った。
トビタに渡された資料にざっと目をとおしてみたが、モモサキ・ハルコという二十八歳(失踪当時)の女性には、身内がなく、人づきあいも希薄で、天涯孤独といっていい人生をおくっていたようだ。
彼女の行方をさぐるといったところで、どうにも、とっかかりになるようなポイントがみつからない。こうなれば手探りで、なんでもいいから、
アパートの管理人の部屋をおとない、姉の行方をさがしていて、とつげると、管理人の初老の女性は疑うそぶりもみせず信じてくれた。いちおう自分もつきそう、という条件で、モモサキさんの部屋にも入れてくれた。
「なんとなく、片付けるにはしのびなくてね。いまでもひょっこり帰ってきそうな気もしてね」
と管理人のおばさんが寂しそうに語る部屋は、新しい入居者がはいらないのか、あえていれないのか、三年前のまま、きれいに保存されていた。
無味乾燥なほど、必要最低限の調度類しかなく、生活臭といったものがまったく感じられない部屋だった。
「でも、そろそろどうにかしなくちゃね、なんて思うんだけども、片付けるにも、その、いろいろと、ねえ」
「はあ」
シノブは気のない返事をする。
なんだかんだと思いやり深いことを言いながら、結局金銭的問題で始末できないだけじゃないか。
だがシノブは、その程度のことで人を嫌悪する気にはなれない。いくら思いやりを持った人でも、お金がなければなにもできないのも、人間社会のひとつの真理なのだろう。
おばさんの目を気にしないようにして、ざっと部屋のうちをみてまわる。歩くたびに床板がきしんで音をたてる。
シノブの部屋とさほど変わらない広さの六畳ほどのワンルーム。色気のないスチール棚にパイプベッド、窓のそばにある机と椅子も事務用で、個性のかけらも感じさせない。
みたところ、日記のようなものもなければ、パソコンやタブレットのようなものもない。ひょっとしたら、その手のものは警察に押収されてしまったのかもしれない。これでは彼女の人となりを知るすべさえなさそうだ。
おばさんが玄関の外にでて、階下にいる誰かと大声で話し始めた。
それを機に、シノブは机の引き出しや小物入れをのぞいてみたが、文房具類やちょっとした化粧品くらいしかない。
棚にある本をだしてめくったりしてみる。薬学の研究書、ナショナル・ジオ・ナントカ……。彼女のマジメさだけはさっせられる。
残念ながら、べつだん目を引くものはなにもみつからなかった。
何の気なしに窓をあけて外を見わたすと、右手のほうに、さっきみたマンションが町を
――ねえ、モモサキさん、あなたはいったい、この景色をみながら、何を思っていたの?
話しがすんだようすで、部屋にもどってきた管理人さんに、それでは私はこの辺で、とシノブは声をかける。
「お姉さん、みつかるといいわね」
「はい、お手数おかけしてもうしわけありませんでした」
と殊勝な顔でシノブは謝辞をのべ、アパートを後にした。来た道を通らずに、大通りにむかうことにする。
徒労だった、という気がした。彼女の存在した形跡、――生きた証のようなものが、まったく見つけられなかった。
――さて、どうしたものか。もうちょっとだけ、労力をかけてみようか。
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