2 二人 (2)

「それをなんで今さら」

 イライラと、はねた後ろ髪をもてあそびながらシノブが話に割りこむ。

「話はまだ終わってませ~ん。最後までちゃんと聞きましょう、シノブさん」

「どうぞ、続けてください、トビタさん」

「でね、このモモサキさんには家族がいない。親戚もいない。失踪は、彼女の住んでいたアパートの大家と管理人が、最近姿を見かけないということで警察に届け出て、はじめて発覚したんだ」

 と、ここで意外にも、トビタはちょっと顔をくもらせた、ようにみえた。

 なんだ、このクソ刑事も少しは人情というものを持ちあわせていたか、とシノブは感心した。いつの間にか消息をたち、誰の記憶からも忘れさられてしまったような孤独な女性のことを気に掛けるなんて、案外いいところもあるじゃないか。

「けれど、当時の警察は、どうも型通りの仕事をしただけで、すぐに捜索を打ち切っている。これは、アヤシイ。どうもどこかから圧力がかかった形跡すらある」

 シノブは相づちをひとつうつ。

「でだ――」とトビタは続ける。

「でだ、このモモサキさん失踪事件を掘り起こしていけば、さて、どうなるでしょう」

「知らん」

「きっと何か出てくるんだよ。警察と企業とか政治家なんかとの癒着が。ひょっとするとワイロのやり取りなんてのもあったかもしれない。それをあばいてやれば、課長も部長も、署長すらも追い落とせるし、ボクは大手柄。いっきに警察庁に復帰できる、ってわけだ」

 シノブはあきれた。

「どこをどう展開すれば、そんな結論にたっするんだ、お前の脳みそは」

「え、わかんない?」

「圧力がかかったなんて、お前の思い過ごしかもしれないだろ。癒着だのワイロだのもそうだ。お前の発想は八艘飛びしてやがるんだ」

「ハッソウがハッソウ飛び、オヤジギャグ?」

「ちげえよ」

 まったく、この男が持ってきた仕事にろくなものはなかったが、今回もその根底にはくだらない動機があった。トビタが、このモモサキさんへの憐憫れんびんの情から再捜査をはじめたんじゃないか、などという発想が、ちょっとだけでも心によぎった自分がみじめだ。

 ――コイツはクズだ、正真正銘のクズだ。

 その人当たりのいい笑顔と、たっしゃな口舌に隠されているが、この男の正体はたんなる落ちこぼれ刑事だ。

 トビタという二十代後半の青年は、けっこうな学歴をもち、警察庁に就職し、あのキャリアという高尚な部類の人種になってエリートコースを歩みはじめた矢先、――本人はくわしく話したがらないが――とんでもないドジをふんだらしい。上司からさんざん訓戒をあたえられたあげく、ハルハラ市などという、こんな田舎の警察署の刑事課に飛ばされてきたというわけだ。だが、本人の心に罪の意識はまったく内在せず、いわく、

 ――オレはハメられた。オレの才能に嫉妬した同僚が、よってたかってオレを罪におとしいれたんだ。

 だが、それは、自己肯定の強さからくる被害者意識、いってみれば妄想性障害のようなものだということを、シノブは知っていた。

「というわけで、シノブちゃん、この仕事を……」

「やらん」

「あ、食い気味でことわってきたね。っていうか、完全に食ってことわったね」

「たとえば、このモモサキさんの恋人が彼女を忘れられず捜索を依頼してきたとか、ご両親が今も娘の身を案じているとか、そんな理由だったら私もソッコー動いてやるよ。でもな、依頼の理由がてめえのくだらない、ちっぽけな、どうしようもない野望のためだっていうんだから、受けたくなくなるのも当然だろうがよ、え?どうだ、クソ刑事」

「あれ、いいんですか、シノブさん。そんなこと言っちゃっていいんですか?」

 シノブは一気に鼻白んだ。あの決まり文句が飛び出すぞ。

「あなた、また昔のみじめな生活にもどりたいんですか?」

「くっ」

 二の句がつげなかった。シノブは唇をかんだ。

「あ、これ、警察に残っていたモモサキさんの資料ね」

 トビタは鞄から数枚のコピー用紙をとりだした。

「んじゃあ、たのんだよ。二、三日したらまたくるからね、それなりの結果を用意しといてね」

 立ちあがり、出ていこうとして、トビタは振り向いた。

「それとね、シノブちゃん」

「なんだよ」

「パンツにオシッコがついてるよ」

「え?いや、これ、汗だ!もしくは、風呂あがりでまだ水滴がついてたんだ、バカヤロウ!」

「へいへい、そうですね」

 じゃあね、と手をふり部屋をでていくトビタに、シノブはありったけの憎悪をこめた視線を注ぎこむ。トビタはそんなことを意にもかいさずに鼻歌まじりに帰っていった。

 まじめそうに頭髪を七三分けにし、優しく語り、人懐っこく微笑む。しかしその裏には計り知れないドス黒い、しかし程度の低い野望をもっている。人に対する思いやりもデリカシーも皆無な、最低最悪悪辣悪徳極まりないトビタというクズ刑事は、シノブの人生にヘビのように絡みついてはなれない忌まわしい存在だった。

 いや、今ではすでにシノブもトビタを利用し依存しているところもあった。これまでの関係でトビタの悪事の証拠もずいぶんにぎった。彼と知りあってからのこの二年あまり、シノブは片棒をかついで、ずいぶん働かされつづけてきたのだ。もはやシノブ自身が証拠だと言ってもいい。

 ふたりはもう、行くも戻るも一蓮托生、離れたくても離れられない腐れ縁。

 まるで互いの尾に食らいついて離れない、二匹の蛇ウロボロスのように……。


 シノブはちょっと不安になって、パンツのシミを指でこすり、その指を鼻にもっていって臭いをかぐ。

 ――やっぱり、ただの水じゃねえか。

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