1 二人 (1)
オフィスビルや雑居ビルなどの雑多な建物が林立する地区のはずれにある八階建てのマンション。その六階606号室がシノブの部屋だった。いささか築年数は古いものの、壁も厚くて隣近所に気兼ねすることもなく、南向きで日当たりもよく、大通りに面していて車の音が多少気になるけれども、女子高生のひとり暮らしにはもったいない、いい部屋だった。
部屋に入ると、シノブはすぐに制服を脱ぎ下着も脱ぎすて、バスルームに飛び込むとシャワーを浴びる。身体にこびりついた汗と埃と、ついでに今日体験した心にこびりつくような嫌な出来事もいっしょに洗い流してやりたい気持ちだった。
入念に体を洗い終え、もう出かける用事もないこととて、パンツにTシャツだけをひっかぶって部屋にもどろうとする。
と、玄関の呼び鈴が鳴った。
ちぇっ、っとシノブは舌打ちして、さてスウェットでも着ようかどうしようかと思案しつつ、のぞき穴に目を当てた。
部屋の前に男がたっている。
――嫌なヤツがいる。
シノブは心のなかでまた舌打ちする。
――無視しよう、うん、それがいい。
だが、男はさらに呼び鈴を連打する。
数秒、シノブは耐えたものの、やがて我慢の限界をむかえると、ドアをちょっとだけあける。冷淡に男をみつめて、
「うるせえ」
言いはなつ。
そのスーツ姿の男、トビタはシノブの姿をみとめると、ニコリとさわやかな笑みを浮かべた。しかも、どこかで見張ってでもいたのか、
「ずいぶん遅いお帰りじゃないか。さっきも来たんだよ。でもいないからさ、そこの喫茶店でヒマをつぶしてたんだ。何してたの?ご飯は食べたの?」
などと言う。
「ああ」
無愛想に言い放ち、すぐにドアを閉じようとする。が、トビタは閉じさせまいと足を引っかけ、手で強引にこじ開けようとする。
「そんな邪険にすんなよ。ねえ、入れてよ、シノブちゃん」
「うるせえ、帰れ」
「帰らん、入れろ」
「入れん」
「入れろ」
ドアをはさんで、いや、トビタは体を半分ドアにはさんで、らちもない押し問答を続けた。
やがて、いい加減バカバカしくなったシノブが手をゆるめ、トビタは、「ありがと」
などと微笑んで玄関に入ってき、靴を脱いで、シノブを押しのけ、勝手知ったるといわんばかりに部屋に入っていく。
シノブは冷蔵庫からハーゲンダックのアイスクリームをつかみだすと、スプーンを食器棚からとりだして部屋に向った。トビタはちゃぶ台の前にすわり、スーツを脱いで、ネクタイをゆるめ、すでにくつろぎムードだ。
ちなみにこの男、刑事である。一応は、であるが。
「おや、ノーブラでお迎えとは、気が利いてるね」
「利いてない」
「とうとう、お兄さんとしたくなっちゃったのかな?」
「なるか」
「そんなパンツ丸出しでいうことかね。お兄ちゃんも男だからね、辛抱たまらず、襲っちゃうよ」
「襲ってみろよ。チンコつぶすぞ」
「こわ。お歳ごろの女の子がいうセリフじゃないよ。こわいわ」
ふんと鼻をならして、ベッドに腰かけると、シノブはアイスのフタを開ける。
「オレにはないのかな?」
「ないよ、自分で買え」
「ひどっ」
トビタの嘆息を聞き流して、シノブはアイスを食べはじめた。
トビタは、警察での不満を口にしはじめる。
「課長がいうわけよ……」
シノブはアイスをひとくち。
「後輩の○○がさ……」
シノブはさらにアイスをふたくち、みくち。
「聞き込みに行ったオッサンがよ……」
シノブはアイスを完食する。
「あのさ、保護者であるオレがだよ、今日一日体験した苦痛苦難を嘆いているんだからさ、もうちょっと、こう、なんかないかな」
「ない」
「いや、あるだろ、かわいそうだね、とか、私がなぐさめてあげようか、とか」
「ねえよ」
「ほんと、ひどいよね、シノブちゃん。保護者に向っていうことじゃないよね」
「愚痴も言いおわってスッキリしただろ、もう帰れ」
「いやいやいや、まだ用事はすんでないよ」
「ちっ」
「あ、舌打ちしたね、いま。女の子が人前で舌打ちしたね。男子にモテないよ、そんなんじゃさ」
「ああ、もう、なんだよ、うるせえな、とっとと要件を言えよ」
言いながら、シノブは、またかと呆れる思いだった。コイツの持ってくる要件などろくなものじゃない。自分の仕事の一部、またはその大半をシノブに押し付けにきたのに決まっている。
「はい、注目~~~」
「してるから、はやくいえよ」
「ここにひとりの女性がいます。いました」
言いつつトビタがちゃぶ台においた写真にシノブは視線を落とす。
そこには、
「いました?」シノブのつぶやきを、
「うん、いました」
トビタは拾って、話を続ける。
「このモモサキ・ハルコさんは、三年前に失踪している。蒸発した、という形容が正確にあてはまるほど、きれいさっぱり姿を消している」
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