第一章 発端

序幕

 ハルハラ駅前にある、町の喧騒を感じさせない公園の、噴水わきにあるベンチに人待ち顔に腰をかけ、その女子高生はぽつりとひとり、落ちつかなげに右に左に視線を動かしている。

 セミロングのつややかな黒髪が顔の動きに連動して、ふわりふわりと優雅にゆれる。

 エリとスカートが水色のセーラー服が、彼女の楚々とした容姿を引き立てていて、急ぎ足に通りすぎる家路につくひとたち――特に男性の、視線を集めずにはいられなかった。

 あかね色に染まる日の光に照らされて、噴水が音をたてて水を噴き出し、勢いよくアーチを描い水面に打ちつけている。それはひと月もまえなら清涼感のある心地よさをあたえてくれたのだろうが、秋もなかばの肌寒い夕暮れどきでは、身震いするほどの寒々しい光景でしかなかった。

 そこに、同じ制服を着た少女が、不意にどこからともなくあらわれ、歩みよる。ベンチの少女とくらべても遜色ないほどの整った顔立ちをしていたが、その瞳には人を寄せつけないような、けんのようなものがあった。

 その、明るい赤毛の、襟足だけがぴょんと跳ねたショートカットの少女――キリュウ・シノブが近づいて声をかけると、噴水の音のせいで気配をさっせられなかったのか、黒髪の少女は驚いたように振りむき、一瞬見ひらいた目をすぐに細めてシノブを見つめる。

 シノブは約束の品物を取り出すと、少女はたおやかに手をさしだした。細い指をそらした純白の手のひらにUSBメモリーをのせると、少女は即座にそれを制服のポケットにしまい、かわりに綺麗に四つ折りにたたまれた五千円札を取り出してシノブにわたす。

「毎度あり」

 シノブがぶっきらぼうに言い、少女は立ちあがる。

 歩きだす瞬間、少女の唇がわずかにゆがんだ。こらえきれない歓喜が表にでたというふうにみえるそれは、懸念を払拭できた笑みなのか、それとも……。

「また、ごひいきに」

 シノブは少女の背中に常套句をなげかける。

 真っ赤な夕陽に照らされて、真っ黒な影を長くのばし、少女は歩きさる。

 ――あんな清純を絵に描いたような女が……。

 シノブは眉をひそめた。

 彼女からの依頼は、彼女と高校の教師との情事の証拠を入手すること。端的にいえば、セックス時に撮った動画の回収だった。彼女は、別れることになったのでリベンジポルノを回避するため、と依頼してきたが、はたして真意はなへんにあったのだろう。この先彼女が動画をどうあつかおうとも、シノブにとってはもはや、あずかりしらぬこと。報酬が支払われた時点で依頼者との関係も終わり。たとえ彼女が破滅に向かおうとも――。

 シノブは手の中の五千円をひらいて、夕日に透かす。紙幣に描かれた女性が、シノブにほほえみかけているようにもみえなくはない。それとも、シノブの人生を、境遇を、嘲笑しているのだろうか。

 教師の家に侵入してパソコンのデータをすみずみまで調べあげ、教師本人を脅してむりやりにUSBメモリーを差し出させ、さんざん法にふれる危険をおかして、五千円。

 キリュウ・シノブ、十七歳。女子高校生兼探偵。

 いや、探偵という呼称はまったくの自称にすぎない何でも屋。

 脱走した犬の捜索に、ゴミ屋敷のかたづけに、こじれた恋愛関係の解消、グループデートの人数あわせ、エトセトラ、エトセトラ。

 なくしたスマートフォンを探しても五千円、ストーカーを半殺しにしても五千円、任務遂行のためなら法に抵触することもいとわずに五千円。

 ――昔から五千円が好きだったな。

 シノブは自嘲気味に吐息をつく。

 

 風が吹く。どこの飲食店から流れてきたのか、肉の焼けるこうばしい香りが鼻をくすぐる。

 収入もあったことだし今日は外食でもしようかな、さて、なにを食べようかな、と感傷をぬぐって歩き出す。

 ――駅前にある洋食店の肉汁たっぷりのハンバーグでも食べれば、気持ちよくなれるかもしれないな。

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