いずれお母さんになる人だろうが。
「起きなさい」
「ぐふっ」
お腹に強烈な痛みを感じて、俺は目覚めた。
「痛いんですけど……。何?」
目を開けると、やはり文月先生が、俺の顔を覗き込んでいる。
後頭部には、柔らかい太もも……。
しかし、それを堪能することは叶わないレベルで、お腹が痛い。
どうやら、思いっきり殴られたようだ。
「体罰ですよ。文月先生」
「だって、ず~っとニヤニヤしているだけで、起きる様子がありませんでしたから」
「ニヤニヤ……。あっ!」
そうだ。俺、犀川に抱き着かれて……。
気持ち良かったな。女子の温もり。
いつまでも浸っていたいような……。
「もう一発殴りますか?」
「やめて先生。死んじゃう」
「犀川さんは、あの後この家を出て行ってしまいました」
「……マジですか?」
「マジです。カウンセリング大失敗ですね。あはは」
「笑ってる場合じゃないですよ」
「犀川さんのお母様が、探しに出かけて行きましたよ。私も行きたかったですが、年ごろの男子一人、こんな場所に置いて行くわけにもいかないと思ったので、仕方なくお留守番です」
……信用無いな。
「俺、行ってきます」
「心辺りが?」
「無いですけど……。体に匂いがまとわりついてるんで、それを辿ればなんとか」
「……犬みたいですね」
「いや、わかってて言ってるでしょ?」
俺が最後に見た犀川は、かなり興奮状態だった。
おそらく、濃いフェロモンがにじみ出てるだろう。
きっと、感覚で後を追うことができる……。と、思う。わからんけど。
「体に匂いがまとわりつく状況って、なんでしょうね」
「さぁ~。推理しておいてください。俺は行きますよ」
☆ ☆ ☆
「はい。見つけた」
「……なんで?」
家を出て、たった十分で、犀川を発見した。
大きな橋の下で、蹲っている。
「お前が抱き着いてくれたおかげで、フェロモンが体に染みついてて、それを辿れたんだよ」
「……キモっ。なにそれ」
「お母さんが心配してると思うぞ。帰ろう」
「……」
「そもそも、何で逃げたんだよ。話の流れ的に、あれは俺に心を許すシーンだったと思うけどな」
「勝手に決めないで。冷静に考えてほしいんだけどさ。元から私のこと、エチエチな目で見てるような人を、信用できると思うの?」
「正論だな」
認めざるを得ない。
犀川が、ため息をついた。
「武藤くん。ただの大人しい陰キャだと思ってたのに。結構グイグイくるんだね」
「辛辣過ぎないか? 俺、犀川に嫌われるようなことしたっけ」
「嫌われるようなことしかしてない」
「……そうだな」
「嫌い」
「だけどさ……。こうして、会話は成立してるだろ?」
「何が言いたいの?」
「学校、行こう」
犀川は、川に向かって、石を投げた。
「……毎日毎日。お母さんに送ってもらって。学校の裏門から入って。教室じゃなくてオカルト研究部の部室に行って。帰りは武藤くんに送ってもらって……。そこまでして、学校に行く意味って、あると思ってるの? 通信制の高校に転校すれば良いだけだし」
「それも正論だな」
「だったらほっといてよ」
「でも、俺が寂しいぞ」
「……は?」
「お前がいなくなったら、俺が寂しい」
「今までろくに会話したこともないのに、なに?」
「それを言うなら、俺はお前以外の女子とも、ほとんど会話したことないぞ」
ドヤ顔で言うセリフではないが。
マジで、完全無欠のボッチを貫いている。
「つまり、現状お前が一番、会話している女子だ。急上昇一位おめでとう」
もちろん、文月先生とかは、除外するけども。
あくまで、同級生の話だ。
「茶化さないで。……なに、もしかして、エチエチになった私に、惚れたとか?」
「……まだわかんないのかよ」
「え?」
「散々、言ってるだろうが。こうなる前から、お前をエッチな目で見てたって」
「……な、なに?」
いきなり距離を詰めた俺に、犀川が慌て始めた。
「来ないで。何? キモいんだけど」
「……直接的な言葉にしないと、ダメか?」
それでも、構わず近づいていく。
「俺はな……。ずっとずっと、ひっそりではあるけど、犀川のことが――」
「待って。キモいからやめて」
「……じゃあ、学校に行くと言え」
「……行く。行くから。その続き、絶対言わないでよ」
「わかった。じゃあ家に戻ろう。お母さんが心配してるからな」
「さっきから、お母さんお母さんって……。武藤のお母さんじゃないのに」
……いずれ、お母さんになる人だろうが。
なんてセリフは、今禁止されたばかりなので、飲み込んでおこう。
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