市場通り《ルドゥマ》の銀猫亭

流々(るる)

姫鱒《クイナ》の香草焼き

 四方を山々で囲まれた、魔国ガルフバーンは別名「砂漠の奇跡」と言われている。

 領土の四分の三が砂漠で占められているにもかかわらず、その中央に位置するムーナクト月からの恵み湖のおかげで繁栄を得た。

 生活に必要な水の確保はもちろん、湖から揚がる豊富な水産物を主とした交易の拠点となり、隊商の中継地としても重宝されていた。


 人が集まり、物が集まる、王都モスタディア。

 ここの春を呼ぶ風物詩と言えば紅鶴フラマの飛来であろう。

 この街はムーナクト湖の東端に接しており、この時期になると紅鶴の群れが繁殖のために飛来する。

 薄紅色の大きな翼を広げて滑空している様は『天からの使い』とも呼ばれ、数が多いほど、また飛来が早いほど、吉兆と言われていた。

 そしてもう一つ、王都の春を彩る行事が「魔道闘技会」である。

 魔力を尊ぶガルフバーンでは、魔道による一対一の闘技会を毎年この時期に開催していた。人々はお祭り騒ぎを楽しみ、街も華やぐ六日間を過ごす。


 これを機に名を上げるため、あるいは自らの力を試すため、各地から魔導士たちがここモスタディアの魔闘技場へとやって来る。

 白い僧衣に身を包み、銀髪を短く刈り揃えた青年、ブリディフもその一人だった。魔導士としての修行を終えた彼は、師匠の勧めに従い、自らの力を知るために魔道闘技会へ参加した。


「王都と言えど、ここでの暮らしは私にとってはなかなか難儀なものだな」


 北方の山間やまあいにある街、ルンディガで生まれ育った彼には、この砂漠の暑さにも人の多さにも慣れていない。

 照りつける陽射しの中、この日も市場通りルドゥマは多くの人で賑わっていた。

 赤みを帯びた土レンガの道からはもやのように熱気が立ち上る。

 湖から吹く風が心地よいとはいえ、山育ちのブリディフにはいささかこたえる。


「お姉さん、うちの薄焼きパガティンは美味いよ。一つ、どうだい!」

 通りを進むと威勢のいい売り子の声が響いていた。


 腹も空いたことだし、何か食べてから帰るか。

 それに――


 彼は背中への視線が気に掛かっていた。

 闘技場を出て間もないころから、ずっと感じている。

 しかし、振り返ることなく、通りに並んでいる露店に目をやりながら歩く。

 店先にはモスタディア名物の魚の干物ペシュレや干し肉、ヤシの実パルメに魔道杖と、様々な品が並んでいた。


「お兄さん、ウチの焼き魚は美味しいから食べていきな」


 声に釣られて振り向くと、石積みの柱に掲げられた一枚板に『銀猫亭』とあった。

 おばさんの愛想のいい笑顔に誘われるまま、ブリディフは奥へと入っていく。

 路地角に面したこの店は壁も少なく開放的な造りになっていて、香ばしい匂いが漂っていた。


 通りを見渡せる席に座り、品書きを見る。


「ここの名物は何ですか」

「そりゃあ、姫鱒クイナの香草焼きだよ。これはモスタディアいちの美味しさだね」



 店自慢の品を頼み、通りへと目をやると、こちらを伺う一人の少女がいた。

 年のころは十二、三といった所か。

 この国の者にしては珍しい黒い髪をしている。


 彼女だったのか。


 ブリディフと目が合うと、悪戯が見つかってしまったかのように「あっ」と小さく口を開けた。

 それでも、彼がほほ笑むとはにかんだ笑顔を見せる。

 おばさんにひと声掛けて、席を立つ。


「こんにちは。私に何か用があるのかな」

「わたし、さっきの闘技を見て、あなたのことが気になっちゃって」

「ほぉ、それはうれしいね。ありがとう」

「あの魔道、アウルだったでしょ?」


 その言葉に彼は驚いた。


「ここは暑いし、よかったら中で話を聞かせてくれないか」



「あら、妹さんも一緒だったのかい」


 銀髪の彼とは全く似ていないのに、そう笑いながら水を持ってきた。

 おばさんが離れてから、あらためて少女に話しかける。


「私はブリディフ。君はモスタディこの街アに住んでいるの?」

「いいえ。わたしはカリナミラ、カリナって呼んで。ここにはお父さんと一緒に闘技会を見に来たの」

「一人で出てきたら、お父様が心配してるよ」

「大丈夫。お父さん、今は忙しいから」


 にっこり笑うと、器の水に口を付けた。


「カリナはどうしてアウルだと思ったのかな?」


 あの魔道は思念波となって攻撃するので、目で見えるものではない。

 そもそも砂漠で暮らしている人々の多くは、その存在さえ知らないだろう。


「うーん、何となく。急にさっと現れて」

「あれが見えたのか」

「いいえ、そう感じただけ。森で獲物を襲うのを見たときと似ていたからかな」

「君も山の生まれなんだね。私はルンディガだよ」

「やっぱり。きっと山の人なんだと思った。私はトゥードムよ」


 北の山間にあるルンディガと反対に、南の山岳地帯にあるのがトゥードムだ。

 ムト山羊シェヴの飼育が盛んな地域でもある。


 そこに料理が運ばれてきた。


「いい匂い」

「よかったら一緒にどうぞ」


 山で育った二人には魚料理というだけで珍しい。

 姫鱒クイナの表面の皮は香ばしく焼かれ、紅色の身はふっくらとしていた。

 口に含むと香草の香りが広がり、魚特有の匂いも感じさせない。


「美味しい」

「これは旨い。さすがに自慢の一品だというだけある」


 彼がおばさんの方へ振り返ると、彼女は親指を立てて片目をつぶった。


「ごちそうさま。とっても美味しかったわ」

「カリナが私の魔道を気に入ってくれたお礼だよ」

「頑張ってね。あなたのことを応援しているから」

「ありがとう。頑張るよ」

「でも、あなたのことは二番目だけどね」


 意味が分からず、ブリディフは小首をかしげる。


「一番はお父さん。お父さんも闘技会に出ているの」

「そうだったのか。なるほど」


 きっとこの少女も父から魔道の教えを受けているのだろう。

 だからアウルにも気づいたんだな。


「して、お父様のお名前は?」

「ヴァリダンよ。対戦することになったらお手柔らかにね」


 カリナは笑いながら手を振り、闘技場への道を走って行った。

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市場通り《ルドゥマ》の銀猫亭 流々(るる) @ballgag

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