第3話 グルメ男

 貴志は事務所で一人、連絡を待っていた。あの電話男からの返信だ。その間、被害者のレポートを見返しては先程帰っていった二人の女子高生のことを思い返していた。ただの女子高生に対して随分とキツイことを言ってしまっただろうかと柄にもなく他人の心配をしてみたり……

「はぁ、めんど……」こんな風に他人を心配する時は経験上、大体にしていい方向には行かない。

 あぁ、だるくなって来た。

 ソファに座りながら天井を見上げる。典型的な格好はやはり落ち着く。不意に机に広げられた資料を見た。

「俺、マヨネーズ嫌いなんだよなぁ」口の中にネットリと広がるあの唐揚げに良くつける黄色いクリームが舌の上に広がる感覚が想像できた。二重の意味で貴志は苦い顔をした。

 部屋にスマホの着信音が響く。机に置かれた水を飲み干して、その感覚をかき消した。

「さっきは出れなくて悪かったな。それでお前から連絡入れて来るなんて珍しいな。何か分かったのか?」

「犯人を見つけた。」

「は!?おま、こっちはどれだけ……」生気が抜ける腑抜けた声が電話越しに聞こえる。流石の貴志もこれには悪気を感じずにはいられなかった。

「今度はどんな裏技使ったんだ。怒らないから言ってみ、ほら」どうやら貴志は前科があるようだ。その時の影響で今回の早過ぎる犯人発見も疑われている。

「今回は偶々たまたまだ。お前と別れた後、依頼が入った。川崎市から女子高生のな。その事でお前の、警察の力がいる」先程までの少しふざけていた電話男も人が変わった様に真剣な声色になった。貴志は今回の依頼内容と利夢の証言、バラバラ死体の被害者との相似点を指摘した。それを踏まえて早めの対策を貴志は電話男に要求した。

「確かにそれなら早くした方がいいな」貴志は電話男が余計な手間をする前に付け加えて伝えた。

「安心しろ。被害に遭った方の子にお前の名前を伝えておいた」

「そりゃどうも、それならこっちは数を揃えないとだな」意気揚々と電話男は犯人の悔し顔を拝むだけの人材を集める為電話を切ろうとしたが、それには及ばない。

「今回は少人数でいい。人避けと尾行できるだけの人数だけでいい」電話男はその一言を聞いて残念そうに舌打ちをして電話を切った。通話の切れる音を聞き終えると既に闇夜の外を眺めていると、またスマホに着信音が鳴った。何かと不満顔で画面を見ると不通知の電話番号がそこにはあった。

 

 「ないないないないない。何もないよぉ〜」街灯の明かりに照らされてフラフラと足元のおぼつかないコート男が夜道を一人歩いている。もちろん夜道にあからさまに怪しいそんな人物がいれば補導されるのも必然である。

一台のパトカーが路地に入って行くコート男を見つけた。

「あの〜ちょっとすみませんね。どうしたの?お兄さん?」

 2組の警官のうち丸い方がコート男に声をかけた。

「ないんですよ」伸び切った前髪が顔を隠している。少し振り向いた程度ではその様相は見えない。丸まった背中はそれをさらに難しくした。

「落とし物?それならおじさん達も手伝うからさ。ほらこれでも警官なんでね」

 物腰柔らかにコート男に近づく丸顔の警官。

「違うんだ。そうじゃないんですよ。お腹の中に何もないんですよ……お前達にこの苦しみが理解できるか!!」

 最初は弱々しかった口調がいきなり跳ね上がって、丸顔の弛んだ頬が多少左右に揺れるほどには警官を驚かせた。奥で待機していた若い警官が面倒臭そうにため息を吐いた。吐いた息の分を取り戻すように腰からタバコを取り出した。

「パイセン、そいつ頭のネジ飛んじまってるタイプの奴ですよ」タバコを咥えながら若い警官はコート男の頭を鷲掴みした。

「おいお前なぁ……」

「ちょっと圭介けいすけくん鷲掴みはダメでしょ」圭介と呼ばれた警官は丸顔の警官を一瞥して煙を吐いた。

「それとタバコは……」弱腰に注意はするものの、そんなものは圭介の癇に障るだけのようで苛つきが募るばかりであった。

「うっさいすね。羽村田はむらだパイセン、そんなんだから色々言われちゃうんすよ」羽村田は色々[#「色々」に傍点]と言う単語が必要に気になってしまった。

「色々ってなんだい!悪口なのかい悪口なんだね悪口はね、悪い事なんだよ!!」

 目の前にいる事情聴取するはずのコート男を無視して羽村田の悪い癖が出てしまった。不必要に何度も聞いてくるこの言動も圭介の癇には刺激的なようだ。

「あぁぁあ、もうそう言うところっすよ」この会話の最中も圭介はコート男の頭から手を離す事はなかった。その軽薄な行動が禁じていたコート男の衝動を否応なしに刺激させた。その変化は、過敏に物事を感じ取ってしまう羽村田にとって怖いほどに脳天に響いた。コート男の異様さに気付いた羽村田は急いで手を退けるように圭介に催促する。

「圭介くんその人様子がおかしい。早く手を退けて、早く!」

 いつにも増して必死な頬の肉を揺らす羽村田を見て面白くなってきた圭介は俄然にもその手を退ける事はなかった。

「何そんな必死になっちゃってんですか」笑い飛ばす圭介の手を無理矢理に羽村田は払い退けた。こんな事をされては当然我慢ならない圭介は羽村田を怒鳴りつけようとした時、圭介もようやく異変に気付いた。自身の手が何故か真っ赤なのだ。そして羽村田の方を向くと何故か地面で丸くなっている羽村田を見下ろしている事に気付く。

「くわぁぁぁあ、あ、あ……」断末魔の叫びを漏らしながら、羽村田は無くなった右手を押さえ付けていた。何が起こったのか理解出来ない。ただ呆然としている圭介は目の前にいる痩せ細った男に見下される。

圭介の横を通り過ぎて丸くなった羽村田の近くに寄り添う。

「やっぱり見た目通り脂身が多過ぎなんだなぁ。その脂身でさえも独特の臭みがあって、そこもマイナスだ」先程までの情緒不安定な感情的なものとは違いこんだは冷静な…いや、この場合は普通になったという方が表現的には正しいだろう。そして余裕を持って値踏みをするように肉の感想を流暢に語り出した。

「くそ、不味い。こんな不健康の塊のような中年男の肉を口にしてしまった」そうコート男だが何故かその顔はニヤけ高揚しているようだった。

「これも君のせいなんだよ。君の肌にキスをするまでどの肉にも口にしないと決めていたんだ。のに我慢できずにこんな不味い肉に口をつけてしまった。僕もまだまだだね」

 舌なめずりして独り言を言っているコート男の隙をついて羽村田は、不思議と動いた無事の腕を伸ばして転げ落ちたトランシーバーを掴もうとするも、それを許す訳もなくコート男はトランシーバーを踏み砕いた。

「余計な事をするんじゃないよ。ただでさえお前の不味い肉喰ってイライラしてるんだ」砕ける音に当てられた圭介は腰を落として座り込んでしまった。

「圭っ介、君。立って!早く!」

 途切れ途切れな苦し紛れの呼び声にハッと目が覚めた。その時には圭介は立ち上がり走り出していた。後ろは決して振り向かず、耳に蓋をして走った。ただただ自身の命の保身のためだけに足を動かした。後ろに転がっている先輩を、助けてくれたいつも鹿先輩を置き去りにして。

走っている最中肩を何かが掠ったが気にせず走った。翌日の速報のニュースには『三十代後半の警察官男性、川崎市内にてバラバラ死体として発見』と報道された。

 

 「佐藤さん聞こえますか。聞こえたら咳を一回してください」両耳に有線のイヤホン、周りからはただ音楽を聴いている普通の女子高校生に見えるだろうが、その実は同じ車両に待機している覆面警察と繋がっている。今回のストーカーもとい殺人犯捕獲作戦は囮作戦が採用された。もちろん利夢の両親は猛反対をしたが本人の強い希望と警察官の説得あり現在に至る。作戦は至ってシンプル、利夢に夜道で襲い掛かった瞬間に取り押さえる。ただそれのみである。

「何度も言いましたが、犯人を見つけたらすぐLINEで詳細な位置を教えて下さい」小さく「はい」と答えると腹面警官はそのまま無言の返事をして今のところいつも通りの下校ではあるが、利夢の心拍は凄い事になっていた。脳天にまで聞こえてくる高鳴る心臓の音が余計に不安にさせた。

 こんな時はカップルイラストでも見て心を落ち着かせようとスマホを開こうとしたときに次の駅に着いたようだ。隣の人も席を立ち電車を降りて行った。利夢は気にせずカップルイラストを凝視している。イチャイチャしている純愛カップルを眺めて少し気分も落ち着いてきたところだったのだ。そのせいだ、今電車に入って来た人物が誰か気づけなかった。利夢が不意に顔を上げたとき目が合ってしまった。そいつは細身で縦顔、身長は175cm程度、前髪は長く、黒髪。コートを羽織っている男である。

(早く連絡しないと)そう急く程に事はうまく運ばないものだ。震える手で急いでLINEを開いたところまでは良かったがそのコート男はあろうことか利夢の左脇に座り込んだのだ。その事実に蓋をするように利夢はゆっくりとスマホを伏せた。

(どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……)隣にこの音が聞

 こえないだろうかと心配になる程早まる心拍。

 発狂しそうな思いを歯を噛み締めて抑える。

 ここに来るまでは勇気も覚悟もあったがそんなものは全て恐怖に吹き飛ばされた。いや、違う。元から勇気も覚悟もはなからなかったのだ。ただ実感がなく、どこか見切りをつけていた。どうせ大丈夫だと、何とかなると。

ただ目を背けて、(悦に浸っていただけ)

(私あの時から何も変わってない)手も足も体の何処も動かない。動いているのは心臓だけ。そして思い出す。事務所で聞いた被害者の無残な姿と最後。この後、私は同じ目に遭う。きっとすごく痛いのだろう。昔、遊んでいて膝小僧を擦りむいたことがあった。あの時も相当に痛く、泣いてしまった事を思い出した。一体それの何倍もの痛みが自身に襲って来るのだろうとまた想像する。

最初はそうだな、足だろうか。自由を奪うために、そして次は腕だ。抵抗するすべを断ち切って、そして最後は目。暗闇を彼女にプレゼントするだろう。

そしてゆっくりと楽しむように、お腹を開くのだろう。きっとすぐには死なない。じっくりと死んでいく。体も心も。

(痛いのは嫌だ。懲り懲りなんだ。キツイのも、痛いのも、苦痛いたいのも)嫌悪するそれが、波になって襲ってくるのだと思うと内臓が締め付けられ吐き気がしてきた。息も荒くなってきた。だめだ悟られては。隣にいる。いるんだ。分かってる。そんな事。でもこっちは分かってくれない。

新しく悩むのも葛藤する事も嫌いな事リストに追加する事になるだろう。いや確定だ。こんなの最悪だ。

(あぁ、もう……)

 そんな恐怖のみの中、聞こえるはずのない聞きなれた声が聞こえてきた。

「利夢、奇遇だね」あたかも本当に偶然かのように自然に声をかけたのはここにいるはずのない霞だった。

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