第2話 訪問

「やっと来たか。このアル中野郎。これが今回の資料だ」男は電話で話していた相手、仮にと名付けるが、その電話男からある数枚のレポートを渡された。ちなみにアル中野郎と罵る段階は寝不足で機嫌が悪い証拠だ。中身は今朝ニュースで放送された女子高生の死体の写真だった。

「ニュースではバラバラ死体と報道されたが少し内容は違う」電話男は資料の傷口を指差した。

「刃物の様な鋭利なものじゃない。もっと引きちぎったような統一性のない傷跡だ。あと圧倒的に足りない」死体の傷跡はまるで噛みちぎられた様に無くなっていた。損傷部分は頭部、胸部、内臓、太腿などの損傷が激しかった。

「喰われた……か?」電話男は頭を伏せて写真を見つめる。まるでリンゴをかじったかの様なその有様。そして悲惨なのがその表情から察せるその時の状況である。目蓋は腫れ上がり口の周りには血の跡、眼球はくり抜かれている。

「踊り喰いってところだろ。悪趣味な奴もいたもんだ」生きたまま喰われたという事だ。

「それにしても物喰いとは珍しいな」

「お前程じゃないだろ?」

「俺と比べるなよ」見つめ合う両者。考えていることはどちらも同じようだ。

「何にしても情報不足だ。こちらでも捜査は続けるが、お前の方でも調べといてくれ。ちゃんと代金は払う」二人は今回の事件だけでは情報が不足気味との結論に至り、情報の収集を急務とした。

「なぁこれなんだ」男が目をつけたのは死体の鎖骨あたりに付いた白いクリーム状の何かだった。

「あ?あぁこれはただのマヨネーズだよ被害者の家では親御さんが留守にして、一人で夕食を食べる事が多かった様だ。事件当時もそうだったみたいだ。争ったときに偶然かかったんだろ。何か気になる事でもあるのか?」

 男はそのかかったマヨネーズについて気になる様だが現状分からないことで頭を悩ませる時間はない。

「いや、何でもない」ここでは一つ訂正して終わらせて自身の心にだけ留めることとした。その後二人は別れ、男は自身の自宅であるあの雑多ビルに帰宅途中、自身の経営している会社のホームページにメールが届いているとの連絡が入ったのだ。どうやら女性、しかもの高校生のようだ。なんでも友達がストーカー被害に遭って困っているらしい。


「この辺だよね」

「うん、多分」二人はスマホと睨み合いながら土曜の東京、八王子まで来ていた。二人の高校は川崎市にあるため約2時間の中々の長旅を終えたところだった。何故二人はこんなところに居るのか、理由は簡単、あのあと霞の姉より返信が返ってきたのだ。何でも今は目を離すことのできない案件があるようで、代わりにある八王子にある探偵事務所らしきものを紹介されたのだ。何でも警察とも繋がりのある信用できるところらしい。姉曰く。そのため二人はわざわざこんな遠い事務所に足を運んでいるまさにその最中なのだ。

「ここだ。風鐘カゼカネ事務所」そこは四階建ての雑多ビルの三階に門を構えていた。階段を上り扉の前に立つ。こんな時妙に緊張してしまうは霞の気の弱い部分なのだろう。自身の事の様に深呼吸して緊張を鎮めようとしているが、当事者である利夢の方は意外にもあっけらかんとしドアノブに手をかけた。

「ちょ、待って」いきなりの利夢の行動に落ち着こうとしていた心臓が体から冷たい水分を吹き出させる。

「え!?何で?」

「ちょっと緊張しちゃって」あれほどの意気込みはどこへやら、2時間前は強気でイキていた彼女はまるで萎びてしまったようだった。今回の事務所訪問も最初は一人で行くつもりだった。それはこれ以上巻き込みたく無いという利夢の密かな優しさだったのだが、そんな利夢の優しさを無視して最後まで付き合うと最終的には強引について来たのだ。

「もう、開けるよ」

「ちょまって……」こんな奴のために、と思うと少し前の自分が恥ずかしくなってきた。羞恥心をかき消すようにドアを足早に開け放った。

狭いが機能的な部屋がそこには広がっていた。

「すいません。予約を入れていた者なんですけど……」声をかけた利夢の声が返って聞こえそうなほど静かなものだった。もう一度。今度は少し声を張って。

「すみません!風鐘さんいらしゃいませんか!」やはり今度もと思った矢先、奥の方から呻き声が聞こえてきた。二人は恐る恐る中に入って確認してみるとソファから転げ落ちたのかソファと机の間でうつ伏せになって寝ている男がいた。どうすればいいのか二人してあたふたしていると眠っていた男は不意に起き上がり、二人と目が合った。

「えっと、おはようございます」霞がそう男に伝えると、まだ寝ぼけているのか、ぼーっと霞を見つめていると次第に目が覚めてきて…

「あんた誰?」


 「いやーすみませんね。昨日徹夜してたもので」ヘラヘラと軽薄な態度としわの目立つ赤いYシャツ、両手には時期外れの黒い手袋。二人のこの男に対しての第一印象は一致していた。

(大丈夫かなぁ……)

 不安、姉からの印象が二人のハードルを上げていたのか、その落差はどうしようもないものだった。机の上には先ほどまでビールの空き缶が転がっていた。今は粗茶が出されてはいるが、そう人の第一印象は変わるものでもない。

「申し遅れました。俺……じゃねぇは私は風鐘貴志と言います」男は机に置かれた名刺入れから二枚を取り出して渡した。

「佐藤利夢です」

「今回、予約していた撫子なでしこです」互いに手短に済ませた。余計な事はいい、本題に入れと言う二人の気迫が透けて見えた。

「それでは被害に遭われている方はどちらですか?詳細な状況が知りたいのですが」利夢は今現在に至るまでの事、ストーカーと思われる人物の特徴を出来るだけ事細かに話した。その顔は霞も初めてみるしわの寄った複雑なものだった。

「最初おかしいなって思ったのは今から一週間よりちょっと前なんですけど」

 学校からの下校、電車内での話。

「今日の夜ご飯何食べよっかな。別にこれと言って食べたい物もないし適当でいいか」両親が互いに仕事に行って帰って来るのが遅いので夕飯を自炊する事が多い利夢にとって面倒な日々の生活習慣でしかない夕飯はそれほど特別なものだはない。そうやってスマホをいじりながら次の駅までの暇を潰していると、不意に真正面にいる人物に目が行った。その人物も利夢と同じようにスマホをいじりながら過ごしていた。縦長の顔に細い体躯、その人物からはある意味特別なオーラというか雰囲気というか、そんな異様に目を引くその人物は利夢と同じ駅で毎回利夢の後に電車を降りて来る。そして不意に居なくなる。そんな事が毎度毎度起こればどんな鈍感だろうと不審に思う。そこでいつもより一つ手前の駅で降りてみる事にした。

(今日はあの人降りて来るかな?)

 電車が走り続け、いつもの手前の駅に着々と近づいていく。そしてついにその時が来る。

 放送が流れる。 自動ドアが開いた。 なるべく自然に、普通に。 

そう考えるほど体が硬直する気がして、なるべく他の事を考えようとした。

(そうだ、この後本屋に寄って買いたい漫画を買おう。そうしよう)

 そうやって降りるとその人物はその駅では降りてこなかった。ホッとした勝手な勘違いなのだとその時はそれ以上考えないことにした。することにした。

その次の日、利夢は霞にこの事を相談して、それ以来その人物は見ていない。

「私の思い違いかもしれない。でもどうも不安で……」この話を聞いて霞は泣きそうになった。と同時に不甲斐なくもあり、嬉しくもあった。友人が自身が思っていたよりも不安な目に遭っていて、それに気付けずに何日も過ごしていたこと。自分はほとんど何もできないが最初に自分に相談してくれた事は何よりも嬉しかった。なんとも言葉では言い表せない感情が霞の中で渦巻いていた。

「佐藤さんの家では一人で食事をする事が多いんですよね」

「はいそうです」すると貴志は頭を抱えてうつむいて頭を掻きむしった。。一致してしまう。女子高生。家に一人。川崎市。タイミング。ただの偶然にしては奇跡的すぎる。

「おいおいマジかよ」その可能性に貴志はよそ行きの口調を崩してしまう。

「どうかしたんですか?」

 貴志は利夢の方に向き直り、顔を下ろしている霞にも声をかけてこれから話す事を落ち着いて聞いて欲しいと促した。深刻な表情にさらに心をかき乱される霞と無表情な利夢。

「よく聞いてください。もしかしたらその人物は殺人犯であり、今度の標的を佐藤さん、貴女にしたのかもしれない」

「は!?」「んっ……」

 当たり前の反応だ。この前まで目の前にいた人物はもしかしたら殺人犯かもしれないと告げられれば誰だろうと驚く。そして貴志は二人、もとい利夢が驚いている間に素早く一つ提案を持ちかけた。

「佐藤さん、もし良かったらこのまま普通を装って生活をしてみませんか?」

「なっ!」

貴志の驚きの発言に耳を疑ったのはもちろんのこと怒りを抑えきれずにいたのは利夢ではなく、霞の方であった。

「なんでそんな、……第一本当に殺人犯何ですか?」

 貴志は無言の会釈で答えた。愕然と肩を落とす霞、未だ無言のまま少し俯いて人形のように無感情にしていた。

「ここ最近、川崎市である事件が発生しました。佐藤さん、貴女と同じように両親が夜遅くまで家に帰らない家庭での事です」霞はいつかのニュースを思い出した。

「バラバラ殺人」その単語を聞いて無表情だった利夢も顔の色が蒼白へと変わっていった。

「もちろん確定した訳ではありません。可能性の話ではありますがなくはないと思われます」恐怖が人の精神を飲み込むのとても早い。そして飲み込まれた人は皆一様に現実を否定し、受け止めようとしない。塞ぎ込んでしまった利夢達の元に一通のメールと画像が送られてきた。タイミングがいいのか悪いのか、利夢にとって苦痛である事には変わりないが……

「佐藤さん、今確かな所からメールが届きました。昨夜巡回中の警察官が犯人に襲われて一人が死亡、一人は軽症との事」死亡、死という事実が未来の自身と重なる可能性。十分にあり得るリアルさに嗚咽を催す程利夢は追い詰められていく。だが人とは不思議なもので過剰な体への負荷を与えられるとそれを自動で排除する。事実利夢はあの時の電車内の人物の顔にモヤがかかったように思い出せずにいた。

「そして佐藤さん,君に見て貰いたい物があるんだ」利夢は返事を返さずに目蓋を手で覆ったままだ。嫌な予感がする。このままでいたい。

「もう一人の警官の証言から推察される似顔絵を見て欲しいんだ」利夢は無言で首を横に振った。このまま忘れたままでいたい。怖いのは嫌だ。ここまで弱い利夢を見るのは霞も初めてだった。いつもは何でも卒なすこなし、小馬鹿にしていた利夢も普通の女子高生なのだと思い知る。

「利、夢……」霞から聞き慣れない声が聞こえるものでつい閉じていた目蓋を開いて横を向くとそこには今にも泣きそうな霞の顔がこちらを向いていた。

「何それ」一言そう溢すと利夢は何故か自身がニヤついている事に気がつき急いで手で口を押さえつけた。

「写真を見せて下さい」俯いたまま利夢は要求した。なぜそんな事を言ってしまったのか利夢自身にもわからなかった。鉛筆で描かれたそこには頬骨の浮き出た縦顔に口元が乾燥で赤く裂けているのと大きなコートが特徴な人物が写っていた。その似顔絵を見てモヤが消えるように思い出した。ここまでミイラのように角張ってはいなかったが確かに電車内で見かけた人物がそこにいた。

「もちろん警察とも連携をとって対処に当たるつもりです」気休め程度の希望が逆に利夢に恐怖を駆り立てる。

「動機は何なんですか」まだ捕まえてもいない相手の真の目的など分かるはずもない。それでも何故こうなってしまったのかの理由を聞かずにはいられなかった。まともな返しなど期待してはいなかった。だが貴志は即答した。

「欲ですよ。殺したいと言う殺害欲とでも言えばいいんでしょうかね。奴ら[#「奴ら」に傍点]は実に欲に忠実で中には最も人間、人らしい人間であるとも言われ……」

「辞めてください!!」

 今にも泣き出しそうな目で貴志を睨みつけ叫んだのはやはり霞だった。

「辞めて、ください……」

「確かに少し言い過ぎました」部屋の中に静寂が広がる。

「私やりますよ」突然の発言に耳を疑う霞は普段絶対にあげないような声をあげる。

「本気!?相手は殺人犯なんだよ、もしもの事があったら私……」

「大丈夫心配しないで」俯いた利夢を見下ろして霞はあの時の父親と母親の気持ちがようやく真に理解する事が出来た。本当に娘である霞の事が心配で仕方なかったのだと。

「恐らく犯人が姿を消したのは下見のせいでしょう。下見が終わればすぐにでも襲って来る筈です」犯人は休んでなどはいなかったのだ。

 二人は風鐘事務所を後にして帰路に着いた。流石に警察沙汰にまで発展した今回の件を親に相談しない訳には流石にいかず、利夢は目に見えて落ち込んでいる。

「どうやって説明しよう。まず何処から話せば……」悠長に頭を悩ませている隣に霞は我慢できずにはいられなかった。

「私も一緒に行くからね」

「そうだね。霞も一緒に来てくれたら親への話もスムーズに行くかも」

「そうじゃないよ!作戦の時は私も一緒に……」前を歩く利夢の足が止まる。振り返った利夢は呆れた。

「何で泣いてんのよ」歯を噛み締めて頰を膨らませた霞は両目から大粒の涙を流していた。苦しいのは自分じゃなく利夢の方のはずなのに泣いちゃダメとは分かっても溢れ出た涙を止める術を霞は知らない。

「別に泣きたい訳じゃないのに」霞の豪快な泣きっぷりに少し吹いてしまった。笑われたと分かった霞は膨れていた頰をさらに膨らませて利夢の肩を揺らした。その変顔とも言える顔面に利夢は笑いを溢す。

「はははひひは、はぁ笑った笑ったこんなに笑ったのは久しぶりだよ」泣き疲れて目の下を真っ赤に腫らした霞は利夢の肩を掴んだまま下を向いている。利夢は自身のポケットからハンカチを取り出して霞の顔を拭う。

「ごめん。霞、それはできないよ。貴女が私を心配してくれるのは嬉しいけど私も霞が私のせいで危険になるのは私が許せないから」分かっている。霞自身も利夢の立場ならそうする。絶対に突っぱねる。分かっていた筈だ。一緒に電車に乗って帰る時、ずっと考えていた。でもどんなに考えてもそれ以上の結果が見つからなかった。そしてこの先の答えも霞には予想できていた。

「だからこれ以上は、はっきり言って迷惑。虫がいいのも分かってるよ。でももう決めた事だから」それを言われたら流石に何も反論は出来なかった。だが予想はしていた。来るときは何とも気軽な心持ちだった。こんなことになるなんて思いもよらなかった。もっとあったはずだ。こんなこと想像する事しかできないが、(利夢はどんな気持ちできたんだろう)それなのにどれはど軽薄な心持ちでついて来てしまったのだろうかとやるせない気持ちが溢れた。

「分かった。もういい。利夢のバカ」霞は利夢を追い越してさっさと行ってしまった。

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