第六話 ユウの過去

 これは俺の、橋谷ユウの過去の話。


 ある夏の日のこと、当時5歳だった俺と3歳の妹、メメと母とで買い物に行っていた時だ。 夕陽がとても眩しかった。 橙色の太陽は俺ら3人の影を作っていた。 住宅街の道路を横に広がって。 とても贅沢に。 メメが真ん中で手を繋いでいたのを鮮明に、怖いくらいに覚えている。


 そうして歩いていると、有安家のシンボルであるバッチをつけた黒スーツの3人集団が前から歩いてきた。 慌てて母はいつも通り、道の端に俺らを連れて行き、礼をした。 俺もメメもそうしていた。


 そこで事は起きた。


 3人のうち1人が、ポケットから手を出す弾みでハンカチを落としてしまったのだ。


 メメの前で。


 気づいた時にはもう遅かった。 メメはそれを拾い、


 「あの、……はい。 落としますたよ……」


 と渡しに行ったのだ。 


 「ああ、すまな……」


 と、受け取ろうとした声が聞こえた。


 パシン!


 メメの手からハンカチを払い落とす音が聞こえる。 とっさに飛び出そうとした母を俺は服の裾を引っ張って止める。 そう。 通り過ぎる か、 合図がある まで動いてはいけないからだ。


 我に帰った母は動こうとした足を止める。 表情はみえなかった。 礼をしているため、見ることができなかった。 ただ、体の震えだけが服の袖を通して伝わってくる。


 「誰が顔をあげて良いと言った……? 」


 怒気を含んだ、野太い声が聞こえる。


 「おい、お前ら、顔を上げろ」


 そう言われた瞬間、母は肩を震わせるメメのところへ駆け寄り、抱く。 そして、


 「本当に申し訳ございません……!! どうか、見逃してはくれないでしょうか……!!」


 と、震える声で懇願する。 しかし。


 「何言ってんだ、お前? お前の教育がなっていないせいでこうなってんだろうがっっ!! 」


 と後ろに倒される。


 「お願いします……。 私が代わりに罰を受けますので、どうか、娘だけはっ……」


 母は土下座をする。 だが、そんな母の言葉は届くこともなく、


 「おい、車を呼べ。 『再教育』 だ」


 指示が出る。 はい とその中の1人が電話をし始める。

 メメは泣き暴れながらもう1人の男に持ち上げられている。


 「お願いします……。 お願い、します……」


 その男に母は泣き縋る。


 「ッチ。 るっせぇなぁ……! 貴様も連れて行かれてぇのかぁ!」


 メメを担いでいる男とは別の男が言い、母の顔に蹴りを入れる。


 「うッ…………!! 」


 飛んだ母はぐったりと横に倒れる。 いつのまにか来ていた車にメメが入れられる。


 「ママ……っ! ママぁぁぁーー……!! 」


 泣き声が聞こえてくる。

 そうして、車は遠のいて行った。


 「……メメ……」


 と言う、母の弱々しい声。 いつのまにか、雨が降っていた。


 ──え? 俺は何をしていたのかって?


 はは。 笑ってくれ。 買い物のレジを持ったまま、ただ、ただ……

 立ち尽くしていただけだ。 ボーッとみていただけだ。

 何も。 何も出来なかった。


 ……いや、いやいや。 怖くて、恐ろしくて、何も、何もしなかっただけだ──


 その後は周りの家から人が出てきて父に連絡してもらい、完全に衰弱しきった母と俺は父の運転する車で帰った。


 その日から、母はずっと部屋に籠りっぱなしだった。 


 「私が……あの時……別の道へ行っていたら……あの時……あの時……あの時……」


 と、ずっと何かにすがるように、唱えるように言っていた。 父は、頑張って話をしようと試みていた。

 だが。

 その事件の3日後。 


 母は自殺をした。


 第一発見者は俺だった。

 朝、父と一緒に起きて、母を見てきて欲しいと頼まれたのだ。

 父の考えでは、子供の方がもしかしたらという考えだったのだろう。 俺も幼心にもあの日の自分の何もできなかった行為に対する責任を思って母に会いに行った。

 果たして扉の先には……


 「お母さん……? 」


 目に着いたのは、ぐったりと机に伏せた母だった。自殺だった。

 死因は何かの薬だったらしい。 何かはもう覚えていない。

 父は、泣き叫ぶ俺の声を聞いて部屋へきた。 そうして、警察と救急に連絡。


 その後の葬儀では、父はたくさんの人から責められていた。


 「あなたがしっかりしないせいで……」


           「家族2人も失って……」


 「何をしていたのよ……」


           「何が幸せにするだ……」


 必死に頭を下げる父の姿を俺はまた、ただ立ち尽くして見ているだけだった。 一番悲しいのは父のはずなのに。 立て続けに家族を2人も失ってしまったのに。 親戚の奴らはそんな事情を知らぬ顔で父を責め立てた。 それでも父は、その後の生活を俺が心配しないようにしっかりとしてくれた。 家事はてんでダメだった父は俺と一緒に、二人三脚でこなしていった。

 父はいつも明るかった。

 本当に凄いな……お父さん……

 と幼心にも思った。


 でも俺は知った。

 ある夜、トイレに行こうと起きた俺はリビングに誰かいるのに気が付いた。


 「う……っぐすっ、……すまない……本当に……すまなかったっ……」


 母の仏壇の前で泣いていたのは、父だった。 両手で顔を覆い、両膝を立てて。

 そんな父は、普段俺に見せる優しい笑顔とは違い、とても弱々しかった。

 それは、その時に限らなかった。

 毎晩、毎晩、毎晩──


 俺は決意をした。

 何としてでも、絶対にメメを取り返すと。

 それが俺に残された父と母と、メメへの唯一の責任の取り方なのだから。


△△


 それでも、家族を2人失った俺は、明るく振る舞う事は出来ず、友達も出来なかった。

 5年生が始まろうとした時、転校してきたのがハジメだった。


 「ねぇねぇ、ユウ君って言うんでしょ? 宜しく! ハジメです!! ──」

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