第五話 平手打ち
すると、アガサ先生が、
「あー、皆、有安ソナ様……さんは、俺らと同じ、〝一般人〟になったそうだ」
いつもの元気はどこかへ、たどたどしく説明をする姿は新鮮で驚きだった。 だが……一般人になっただと? 何故不便な一般人へ? こちらの驚きの方が遥かに大きい。
疑問は尽きるところを知らない。
「だから……な! 皆!! これから仲良くしてやってくれっ!! 」
アガサ先生はいつもの調子のように言った。
俺らの答えはもちろん「いいえ」だ──
△△
──ホームルームが終わった。 アガサ先生は他にも夏休みの過ごし方等々を話していたが、全く頭に入ってこなかった。 俺を含めたクラス全員の視線は、アガサ先生にはなく、一番前の席に凛とした姿勢で座る有安ソナへとむけられていた。 真っ白な髪は頬に描かれた紅の縦のラインを強調するかのようだ……。 本来、有安家に対して目を合わせることすら禁じられていることなのだが、〝元〟有安……ということなので扱いは一般人のそれと同じでよかった。 いつの間にか先生の話は終わっていて、有安ソナは手続きがまだ残っている、と先生と共に教室を後にした。 ドアが閉められた瞬間、ハジメは後ろを向き、抑えた声で言う。
「ねえねえ、結構危ないんじゃない? 」
「まあ、……そうだな。 有安だしな」
有安。 日本の最高権力の家系。 確かにアガサ先生は一般人だといったが、有安ソナの一声でそんな定義はひっくり返される。 どういった経緯で、何の目的でここにやってきたのかは知らないが、少なくとも俺たちのこれからの生活に悪い方向に起因することは容易に推測できる。
だが、ハジメの考えは違うらしかった。
「じゃなくて、周りの声」
「え? 」
俺は耳を立てる。 すると、
「アイツ、有安って──」
「俺、おじいちゃんを──」
「まじでどうする──」
「私も、ぅう……父さんを──」
と言う声が聞こえてきた。
「ね? 多分、ソナちゃんいじめられるって」
「おまっ……! 〝ソナちゃん〟って……」
よく呼べたな……。
「え? だってソナって呼んでいいんでしょ? 」
「いや、だけどあいつ有安だって……」
そう言いかけると、
「関係ないよね」
と、誰かが言った。 ……いや、今俺と話しているのは一人しかいない。 その言葉の意味を理解するのに時間がかかってしまった。
「……関係ないって、どう言う意味だよ……」
「有安とソナちゃんだよ」
ハジメは躊躇なく、その言葉を言ってのけた。
「は? なんでそうなるんだよ。 アイツは元有安なんだぞ? 」
「そう。 だから僕らで守らない? ソナちゃん」
ハジメは意味の分からないことを言い出した。
……本当に意味がわからない。
「……何言ってるんだよ。 アイツら俺らにどれだけのことをしてきたと思ってんだよ? え? お前も知ってるだろ!? 俺らはやっと、やっとここまでたど……」
パンッ!
乾いた音がなった。 何が起こったかわからない。 周りが静かになる。 俺の前からハジメがいなくなった。 ……いや、違う。 ここで初めて平手打ちを喰らったことを理解する。
全然痛くない。
けれど
とても冷たい。
俺はハジメの方に顔を戻す。 見たことのない表情だった。 普通に見るとただ怒っているように見える。 でも、俺には分かる。 とても泣きそうな表情が。 言い返そうと思っていたが、俺はそれを止める。
「ちょっと来て」
と、腕を掴まれ、そのまま引っ張られた。
△△
ハジメが言いたいことは何となく分かる。 ただ、俺はそれを認めることができない。 認めてはならない。 許してはならない。 〝アイツら〟を。
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