第2話 拐われた娘②
降り注いだ暗闇が全て男の身体に吸い込まれると、男は何事も無かったかのように起き上がった。
男は自分がどうして倒れていたのかわからない。
何故かレミリアが近くで倒れている。
レミリアは怪我を負い、随分と動揺していた。
男が調子に乗って怪我をさせてしまったせいだ。
非常に疲弊した様子だったので、もう少し寝かせてやりたいところだ。
しかし、男は外に人の気配を感じたので起こすことにした。
男がレミリアに声をかけ、肩を軽く叩く。
「すまないが、起きてくれ」
ぴく、と頬が反応する。
「ん……」
レミリアの目が少し開く。
目線が少し彷徨う。
死んでいたはずの男と目が合った。
「………………へ?」
慌てて上体を上げて辺りを見回す。
「ね、寝ている間に何かしましたか?」
「するわけないだろう。怪我をして泣きじゃくっていた子供だぞ。それに手を出すとかどんな嗜好だ」
男はじっとレミリアを見ている。
「どうしたんですか? 死んだものとばかり思ってたけど、本当に生きてて良かったです」
「死んでいた? 確かに気を失ったようだが、目が覚めたらお前が倒れていて驚いた」
「そうなんですか? 息してないし、心臓の音が聞こえないし、私これでもかなり焦ったんですよ?」
「そんな馬鹿な。見ての通りだ」
よくわからないが、とりあえず城の者達に処刑される道は回避できたようだ。
「レミリア、何かして欲しいことはないか?」
レミリアはきょとんとする。
突然何を言っているんだろうか。
「いきなり言われても意味がわかりません」
「上手く言えないんだが、目が覚めてから、お前に何かしてやらなければならないと、ずっと心の奥から声がする。そんな感覚なんだ」
どういうことだろうか。
自らを領主と言っていた人物が、レミリアのお願いを聞いてくれるというのだ。
(さっきの黒い雲の力かしら……せっかく力になってくれるなら、お願いしてみようかな?)
「じゃあ、私を奴隷から解放してください。契約書、お城にありますよね?」
もう奴隷商人のところには戻りたくない。
割と運良くここまでこれたが、今後は何があるかわからない。
奴隷は契約書を介して契約魔術で縛られているはずだ。
「契約書は直接取引した役人に聞かないとわからないが、必ず解放すると約束しよう」
男ははっきりと約束した。
「あと、しばらくここに住まわせてもらえませんか?」
村に帰りたいが場所がわからない。暫く衣食住が欲しい。
「部屋を用意しよう」
「ありがとうございます……領主さま名前なんて言うんですか?」
「ベオウルフだ」
「ありがとうございます、ベオウルフさま」
レミリアは溢れるような笑顔でお礼を言った。
ベオウルフは満足したようだ。
それから、レミリアはハンガーにかかっていた服に着替える。
「ベオウルフさま、ちょっとあっち向いててください」
「何も出ていないのに隠す必要もないだろう」
「むかっ」
レミリアがパンチするがベオウルフは避けた。
「わかったよ。もう少し筋力も鍛えるんだな」
ベオウルフが後ろを向いたのでさっさと着替えた。
薄汚れた服とはいえ夜伽の服よりはマシだ。
流石にそのままでは人前には立てない。
「もういいか? 開けるぞ」
「大丈夫です」
少し時間を遡る。
事実上、ベオウルフに次ぐ立場である家令のノイマンが、
現状を確認している。
ノイマンは肩骨隆々として眼光の鋭い、
なかなか迫力のある中年の男だ。
小領地のバリアント騎士爵領において、内政官の取りまとめと城内の切り盛りをする有能な男だ。
見回りの兵士から「領主が奴隷と入った部屋から大きな音がしたので、確認のため扉を叩いたが全く反応がない」と報告を受けた。
今回、ノイマンは全く知らされていなかったが、ベオウルフが夜伽の最中ということで、臣下としては軽々しく扉を開けられないのだ。
ノイマンは奴隷を用意した役人を追求する。
「夜伽の奴隷を用意したのはお前か?」
ノイマンの声は低く響くし、とんでもない迫力だ。
問われた役人の男が、冷や汗を拭いながら説明する。
「教会から紹介された奴隷商に、是非領主様にお譲りしたい奴隷がいると言われ、話を聞いたところ、妙齢のそれは美しい娘だということで……」
ノイマンが睨みつける。
「怪しいとは思わなかったのか」
ひいっ、と役人は仰け反るが説明を続けた。
「一応、領主様に確認したところ、大変興味を持たれまして……実際見たところ、少々若すぎるかなとは思ったのですが……それもご報告したところ主上が購入を決められ、清めてこの部屋に連れておけと」
(教会の紹介だと? どういうツテだ)
ノイマンは目の前の男に少し違和感を感じた。長年の勘という程度でしかないが。
メイド長のカミラが前に出てきた。
「私供が、清めと着替えをさせていただきました」
ノイマンが頭を抱える。
「カミラ達は把握していたのか」
「申し訳ございません。主上に直々に頼まれたもので我々も断れなかったのです。」
「領主様がノイマン様には内緒とか言ってましたよー」
軽いタッチで若いメイドの一人が言ったが、
ノイマンに一瞥されてメイド長の後ろに隠れる。
メイド長が続ける。
「確かにとても美しい娘でしたが、あれはどう見ても魔族でした」
「うんうん、レミリアちゃんだったかな? とっても目が大きくて可愛いの。私、見つめられた時ちょっとドキドキしちゃった!」
その場にいる全員が思った。
(((めちゃくちゃ怪しい)))
そのとき、扉が開きベオウルフが現れた。
「なんだ、騒々しい」
「主上! ご無事でございましたか!」
ノイマンが安堵して声を上げる。
レミリアからは扉の向こうにたくさんの人が見える。
(うわ、大事になってる。ベオウルフさまどうやってごまかすんだろ。あ、ノーラちゃんが手を振ってる)
いちいち一言多かったメイドが手を振っていた。
茶色い髪をツインテールに結っている、レミリアと同年くらいに見える少女だ。
レミリアもにこっと手を振り返す。
ノイマンがチラッと見て少し眉を潜めたように見える。
「邪魔をするなと申し付けてあったはずだが」
ノイマンも負けてはいない。
この馬鹿主人は自分に内緒にしていたのだ。
じろりとベオウルフを睨め付ける。
「このノイマンの耳に入れたくない事をなさっている、と聞き及んでおりますが?」
「許せノイマン。教会が勧めるという奴隷商の商品に興味が湧いてな」
悪びれもせずにベオウルフが言うと、
ノイマンがまくしたてる。
「殺し屋だったらどうするのです。もっとご自愛いただかないと。主上の安全は我々の最優先事項です。大体、一言でもお返事いただければ引き下がっておりますよ。何をしておられたのですか」
ベオウルフは答えに窮した。レミリアを大人気なくからかって怪我をさせ、そこからは気を失いあまり覚えていない。正直、説明のしようが無い。
少しの間、沈黙が流れた。
レミリアがふと扉の外を見ると、長い金髪を垂らした長身の美しい人がベオウルフをじっと見つめていた。
(わわ、すごく綺麗な人!)
客員魔道士のアレイスターだ。
エルフの貴色である緑のローブを身につけている。
アレイスターは厳しい目で一通り領主を観察すると、
レミリアの方を見た。
アレイスターは状況を正確に分析していた。
ベオウルフの状態がおかしい。
見た目は普段とかわらない。
アレイスター以外は誰も気づいていない。
生きていないのに動いている。
しかし
横にいる少女が操っているのだろうか。
これは異常な事態だ。
少女はいろいろ混じっているが確かに魔族のようだ。
何か企んでいるのか?
(あの少女から邪悪な感じはしないが、いずれにしても、早急に話を聞く必要があるね)
幸いこの城には魔術に精通する者はいない。
もし資質がある者がいて、ベオウルフに漠然とした違和感持ったとしても、どうすることもできないだろう。
レミリアは急に目線を変えたアレイスターと目が合い、慌てて目を逸らした。
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