きっとあれは涙

@imoko_07

きっとあれは涙

 目が覚めたことにした。

 頭が痛くて眩暈がする。このワンルームマンションは狭くて、それに合わせて作ったみたいに小さなベッドから私は見事に落ちたみたいだ。部屋選びを間違えた、次はもっと広い部屋で眠るふりをしよう。


 「じゃあ返すね」


 本来のこのベッドの持ち主、床に転がしたままだった大学生くらいの女の子を丁寧に寝かせて布団をかけてあげて私は部屋を後にする。女の子は眠ったままだった。

 まだ太陽は昇ったばっかりで空気は涼しくて、辺りは静かだ。マンションから出て、適当にふらふら歩いて着いた運動公園で歩いてみる、走ってみる。随分動いてなんだか気持ち悪いから併設されてるプールに服を着たまま飛び込んで、着替えもせずに公園を後にする。太陽はさっきと同じ位置。


 ふらふらと何時間も歩き回って服が乾いた頃には眠くなってきたような気がしたから、近くの大きな家にお邪魔して空いてた部屋のベッドで眠ってみようとした。さっきとは違って大きなベッドだったから落ちる心配もなく体感十時間は寝ようとしてみた。太陽はまだ動かない。

 ピアノには詳しくないけど、見るからに高そうなピアノが一室に置いてあった。そういえば私はピアノを習ったことがなくて、ピアノが弾けるようになったらなと思ったことがある。発想即実行、善は急げ。近くの本棚に入っていたピアノ入門から始めて置いてあった全部の楽譜を制覇するまで、実に体感十年。ずっと文字通りピアノの前に座り続けて今の私はピアニストを名乗ったっていいぐらいに上達していた。いい暇つぶしになったなあ。この部屋に窓はなかったから久しぶりに朝日を拝んだ。もちろん微動だにしていない。

 


 もうずっと、ずっと、朝に閉じ込められている。


 正直言うとここがどこかは分かっていない。というかどこから来たのかも怪しくて、ただ朝の世界を長い間私は動き回っている。私だけが動き回っている。


 「あ、かわいい」


 閑静な住宅街に入り込んだら犬を散歩させている人に出会った。犬飼ってみたいなあ。この犬めちゃくちゃかわいいじゃん、こういう子飼いたいなあ。命名ハナちゃん。今からしばらく私が飼い主ってことにして、ちょっとリードを拝借、散歩ごっこだ。動かない犬を抱っこして、適当に歩き回る。海に行ったり山に行ったり、ちょっと雪を見に行ったりした。その間ずっと私は犬を抱っこしていて、案外毛が硬いななんて思ったりもしたけど結構楽しかった。体感二年かけて私はまたこの場所に何とか戻ってきて飼い主さんに犬を返した。


 「じゃあねハナちゃん」


 最後にもう一回ハナちゃんを撫でて、ハナちゃんの首輪にタグが付いていることに初めて気づいた。


 「なんだ、君タロウくんって名前なんだ」


 急に犬を飼いたい欲が冷めてしまった。


 次は何をしようかな。今まで色んなことをしてきたけれど、どれも楽しかった。


 「おお、懐かし」


 ふと通りがかった公園に大量のバケツが山積みになっていた。体感三千年前に集めに集めたバケツたちが公園中に転がっている。特に種類も考えずに集めたせいで色も大きさもバラバラで正直ガラクタ感が強い。当時は集めて持って来ては次のバケツたちを探しに行って、公園が埋まった時くらいに唐突に飽きたんだっけか。その後は全国の家のベルを鳴らす旅をした気がする。全国を巡る旅はとにかく時間がかかるからいい。また別の旅でも始めようかな。今度のテーマは……。


 「これ、いいかも」


 黒づくめの格好をした男が金庫の前で蹲っている。勝手に侵入しているのは私もこの男も一緒だけど、こいつの鞄の中には貴金属とかがたくさん入っていて私が持っているのはご飯茶碗、こいつの目的は十中八九高価な品目当ての泥棒だろうけど私の目的は全国のご飯茶碗集め。法律には全然詳しくないけどこいつのほうが罪は重いよね?よし、決めた。


 男を転がしたり引きずったりして私は大きな市民ホールまでやってきた。ステージ上に男を放置して次のターゲットを探す。今度の旅は題して『泥棒あつめ』、泥棒を見つけるたびにここまで連れてきて集める。遠すぎると連れてくるのに時間がかかるし人間は重いから一人連れてくるだけで中々の時間がかかるからとりあえず五十人にしよう。泥棒なんて結構珍しいしかなり時間が潰せるはずだ。

 ……結果から言うと私の目論見は外れた。この地域泥棒多すぎじゃない?予想していた半分くらいの時間で五十人集まってしまった。一棟のアパートで五人捕まえたときはなんだか笑ってしまった。とりあえず『泥棒五十人捕まえました、暇人より』とホールの住所と一緒に書いたメモを警察署に置いてきた。本名書いておけば感謝状とか貰えるのかもしれないけどあえて書かない私の謙虚さよ。……本当は名前が思い出せないからだけど。

 

 

 

 どうせ出られないのだから仮に時間がまた動き出した後のことなんか考えずに私は好き勝手やっている。もう何千年何万年、もしかしたら何億年、ずっと私は一人でいる。最初は色々どうにかして脱出できないか試してみたけれど全部ダメで、いつ諦めたのか最後に挑戦したのはいつだったのかもちょっと覚えていないけれど、こんなに長い間一人で好き勝手してきたんだからいざ時間が動き始めても上手くできないかもしれない。普通の人って十年ぶっ続けでピアノ練習したりする?私は今少なくとも三千年過ごしたけれど人間の寿命って何年だっけ、二百年?


 「八十年くらいでしょ」

 「そうだっけ」


 一人で声色をコロコロ変えてまるで集団で話しているようにするのは千五百年前くらいに体得した。今みたいに明るく言ったと思えば肩をすくめてみたり。なぜだかあまりにも寂しくて体得したこの技術。今はなんで寂しかったのかは分からないけど、面白いものを見つけたり考えついたりしたときにこれは役に立つ。今私と話しているのは同い年の女の子の設定なんだけど、もう三年くらい話しっぱなしだからお爺ちゃんに変えようかな。


 「うわ」


 ゲリラ豪雨が降っていたらしい地域に迷い込んでしまった。小雨ぐらいなら気にせず進むけど前が見えないくらいのゲリラ豪雨だから進んだらびしょ濡れになってしまう。前にここに来たことは無かったっけ。雨の境目沿いに進むこと五分、私の体型ぴったりに雨が見事にない部分を見つけた。やっぱりここに来たことあるじゃん私。ただ腕のスペースがやじろべえみたいであのときの私は何を考えていたのかちょっと心配になった。

 雨の中を進むこと一時間、ついに雨が全く降っていない場所に出た。しかも虹が出ている。虹は好きだ、綺麗だから。普通なら虹はすぐ消えてしまうけど私はいつまでも眺めることができる。

ひたすら七年くらい眺めた後、綺麗なものを見たおかげだろうか、最高の暇つぶしになりそうな考えが思いついた。今まで私がやってきたことで自伝を作ってみるのはどうだろう?

 とりあえず色んなところから話の書き方の本と紙とペンとインクを山ほど持ってきた。インクの色はブラックとブルーブラックかで悩んで、一瞬グリーンにも惹かれたんだけど、とりあえずブラックにした。あと書くなら山奥がいい、近くに湖があって静かなところ。別に使わないけど、暖炉がある山小屋……コテージか。条件に合う理想の山小屋探しに六年、荷物を運び込むのに三年かけた後、ついに私は執筆に取り掛かった。まずは持ってきた本を片っ端から読んだ。時折眠るふりを挟んだり突発的に海を見に行ったりしつつ持ってきた本を全部読んだ後、いよいよペンを持って原稿用紙に向き合う。まずは何だろう、時が止まってから千年間くらいの間にやったことかな。


 「私は最初はパニックになって泣いていました……多分四時間くらい……その後誰か動いている人はいないか探し回りました、多分三ヶ月はかかっていました」

 「その後は?」

 「うるさいな、今思い出してるところだよ、えっと、とにかく探し回って全国を歩きました……途中で多分髪を切ってます、多分。なぜかというと、髪を切って呪いが解けるおとぎ話を読んだことを思い出したんだと思います。結果は失敗だったけど……その後自分がどこから来たのかを忘れるくらい泣いていました。というか本当に忘れました。私はどこから来たんだろう?……多分その時に薄々分かっていたけど眠れないことに気づきました……そこから三十年くらい経った時かな、急に絵を描けるようになりたくなって絵の勉強をしました」

 「なんで?」

 「それも今から書くよ!……えっと、私はずっと絵が下手だったから上手く描けるようになりたかったのかも。とりあえず五百年練習しました。で、その後描いた絵を全国の美術館に勝手に置きました。多分私が一番上手だと思います。それで、次は…」

 「ねえ、その話本当に面白いのかしら?いきなり時間が飛んだわね、正直言って雑じゃない?」

 「……」

 「最初の方読むよー、『今から何年前、いや何秒前、本当は一瞬のことかもしれないけど……』うわ、つまんな!」

 「……」

 「そもそもですね、絵を練習するのに五百年かかったなら文章書くのにも同じくらい必要なのではないでしょうか?」

 「うるさいな!」


 ビリ、とせっかく書いた原稿を破り捨てると私の喉から落胆の声が漏れた。文章を書くのは止めた!小屋から飛び出して湖で散歩、いっそ脳内総入れ替えだ、私の中にいる五百三十二人、全員追い出してやる。 

 

 「……というわけで今に至ります、まあ今といっても今も今、さっきだって今、明日も今、私が勝手に数えてるだけで実際は時間なんか過ぎてないし数え方が合っているかも分からないのですが……とりあえず私はこれを書くのに四十年かかりました……終わり。どうかな?面白いかな?」

 「絶対面白いよ!」

 「そうだよね?そうだよね?」

 「著者名書かないと!ほら」

 「あー、本名思い出せないから適当にペンネーム考えよ」


 こんなのどうかな、とちょっと照れながら書いてみた名前はちょっと普通だけどいいんじゃない、と私に受け入れられた。

 五百三十二人追い出して新たに三百人を迎え入れて、原稿を書き終わって、随分時間が経ったと思う。千年くらい経ったかな?二千年?五千年くらい?


 「もしかして三分くらいだったりして」

 「それは笑える」


 原稿の束というか山を小分けにして国会図書館に運び込んだけど、果たしてこれを読んでくれる人なんているんだろうか?いざ置くとなるとなんだか恥ずかしくて人目につかないところに隠すようにして置いておいた。絵は自信満々だったけど文章は苦手かもしれない。


 「次は何する?」

 「……家に帰りたいかな」

 「家ってどこか覚えてる?」

 「ん、全然?」


 というわけで次の目的は家に帰ることにした。なにせ全く家の場所を覚えていないわけだからとりあえず一番北、最北端まで行って家という家に全部入る。バケツの旅と同じような感じだけどあの時は正直、ぶっちゃけるとちょっと手を抜いていたから意外と入っていない家がある、ような。まあもし辿り着いたらその時思い出すでしょ、家だし。自分の帰巣本能的なものを信じて建物を見つける度に侵入する。


 「ここ、家の気がする」

 「あんた納屋に住んでたの?」


 「ここ、家じゃない?」

 「そもそもここ旅館だから。家じゃない」


 「ここは?」

 「プールじゃん、あんた魚?」


 「ここだったらな……」

 「まあ高層ビルの最上階は憧れるよね」


 「ここだよここ、絶対ここ」

 「夢の国住みかー」


 片っ端から入る。山小屋とかに住んでた可能性もあるから山にも入る。流石に海渡った覚えはないから島には行かないけど。思ってたより私の家は遠いようで、数えるのが正直面倒だからあんまり覚えていないんだけど、多分かれこれ三千年は探し続けていると思う。本当に私どこから来たんだろう。


 「あ、久しぶり」


 いつごろかベッドを拝借した女の子の家にまた来た。とりあえず部屋全部を見たけどここも私の家じゃないみたいだ。


 「家族写真飾ってんじゃん、あ」


 机の上に置いてある写真立て、この子の家族が写っていて、前は気にも留めなかったけど自分の家に帰るって目的だからか、なんとなく手に取って見てみたら私が写っていた。


 「あ、あ、あー」 


 ピースしちゃってる髪の長い女、私だった。


 「あ、姉さんか。久しぶり」


 私の隣で超上手に笑っていた茶髪の女は姉さんだった。今はなんか金髪になってるけど。私こんなことまで忘れてたんだ。そりゃ家に帰れないわけだ。

 テーブルに乗っていた郵便物の中に私からの手紙があった。字が下手で吹き出しそうになった、いや実際笑った。ずっと前にひたすら字の練習をした時期があるから今の私の字は上手いけど、私って元々はこんなに字が下手だったんだ。住所が書いてあるから、この通りに行けば帰れる。帰れる!いや帰ったところでどうにもならないけど。

書かれていた住所はこの部屋からは結構遠くて、ついでに途中で侵入した豪邸でバイオリンとかハープとかを練習してから来たから、結局着くまでに四百年もかかってしまった。家に帰ったあとは前に書いた自伝の続きを書こうかな。姉に会った話と家に帰る話で数千ページは書ける気がする。


 「ここかー」


 帰ったところで何になるわけでもないことはよく分かってるけど、どうにもならなくても帰るでしょ、家だし。意味なくない?意味なくなくないから。私も一人暮らししていたみたいで、簡素なアパートの三階、階段を上って角部屋、ドアは開けっぱなしで不用心。


 「おっ」


 ぱしゃ、といきなり顔に水滴が当たった。ここだけ雨が降っていたんだろうか?いやそんなわけはなくて、あとなんかしょっぱい。上手く逆側を歩いていたみたいで全然気づかなかったけど、よく見たら階段から外までぽつぽつと水滴が浮いていた。なんでだろう。ここ、雨が降っていたのかな、でもこれしょっぱいんだよな。あと高さが私の顔辺りだし、不思議だな。


 「まあ、とりあえず、ただいまー」


 久しぶりの、久しぶりの我が家。どのくらい留守にしていたんだろう。一億年とか?


 「ここでだったら眠れたりして」


 ベッドに寝転んでみたけどもちろん眠れるはずもなく。目を開けて顔を上げると黒猫が描かれた目覚まし時計が視界に入った。これ、お気に入りの奴だった気がする。毎日寝る前に六時にアラームをセットして、十一時に寝て……。


 「現在時刻は午前五時五十九分五十九秒」

 

 六時一秒前。あと一秒過ぎていたら私は普通に起きて普通に毎日を送って、ピアノもバイオリンもハープも弾けなくて絵も下手で自伝を書いたことがないまま、下手な字を書いて生きていたんだろうか。

その一秒の間の無限に近い時間を私はずっと泳いでる。


 「もう十分好き勝手やりつくしたと思うんだけどな……」


 ゴロンと寝転がって目を閉じた。ああ、急に自分の名前を思い出した。ペンネームと一緒だった。ハナちゃん……じゃなくてタロウくん、いとこの家の飼い犬じゃん、私が名付けさせてもらったんだ。このままゴロゴロしたままでいて起きたくないな。


 アラームが鳴った。

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