第56話 亜人種の侵攻 3

 天幕を出たサンデーとエミリーは、真っ直ぐに河岸を目指して歩き始めた。


 その後を僅かに遅れてアシュリス達も追う。結果を見届けなければならない。


 5人が歩く先に、河岸を埋める兵の人垣が現れる。

 そうそうたる面子に気が付いた兵士達が、慌てて左右に割れて道を作り、敬礼をしていく。


「姐さーん!!」


 サンデーが声がした方を見やると、ナインが人垣をかき分けながら近寄ってくる所だった。


「姐さんも来てたのかい。戦となりゃあ俺らも出番だぜ。なあ?」


 何故かナインの背後に隠れるようにしているアルトが、声をかけられてびくりと震え、おずおずと前に出る。


「おはようございます……」

「ああ、おはよう。よく眠れたようだね。顔色が良いよ」

「あ、あああ、ありがとうございます……」


 どもりながら言葉を返すも、サンデーの顔を直視できない様子だ。これだけの会話ですでに顔が真っ赤だった。


 出発前には気合を入れていたが、いざ本人を前にすると、やはり昨日の事が思い出されてしまったのだろう。


「ふふ、嫌われてしまったかな?」

「いえいえ~、照れてるんですよ~。アルトさんは残念女子でしたから~、好意を素直に伝えられないと見ました~」

「そこ、解説しないで!」


 耳を覆いながらアルトが叫び、再びナインの後ろへ逃げ込む。


「……おい、ナイン。何だこりゃ」

「俺が聞きてぇ……」


 怪訝そうなオーウルに、ナインがげんなりとして答えた。


「まあそれはそれとして、私は少し用事があるのでね。また後で相手をしてあげよう」


 サンデーは手を振ると、再び人垣の間を歩き出した。


「あっ……じゃあせめて途中まで見送りを……」


 アルトがぼそぼそ呟きながら、サンデーの横へとちゃっかり張り付く。


「おや~? 意外と大胆ですね~。なんだか私のポジションが危うくなったような~」


 サンデーを挟むようにして、アルトの反対側に陣取るエミリー。


「何と言いますか……奔放ですね」

「緊張感が欠落していく……」


 前を行く者達を見やり、ソルドニアは苦笑し、アシュリスが眉間を抑える。


 そうこうする内に、河辺へと一行は辿り着いた。


 開けた視界の先。広大な河向こうでは、巨大な二足歩行の甲殻類、あるいは蟻に似たような異形の者達が列を成しているのが遠目に見えた。


 体色は様々で、茶色や黒の地味な物から、赤やピンクに近い明るい色の者も混ざっている。


 やはり外殻が防具代わりなのだろうか。鎧や衣服に相当するような物を身に着けている者はいない。


 背中辺りから突き出した4本の腕に、思い思いの武器を持っている。


 鋳造技術は持っているのだろう。

 棍棒や石器などみすぼらしい物ではなく、剣や槍、斧などのきちんとした金属製の武装である。


 それらで武装した兵隊が、整然と隊列を作っていた。


 確かに蛮族というよりも、規律を持った軍隊のような意思を感じさせる。


「それでは行って来るとしよう。いやはや、異文化交流だよ。なんとも楽しみだね」


 サンデーは胸元からするすると白旗を取り出すと、エミリーに持たせ、河へ向かって共に歩き始めた。


「あ、あたしも……うわっと!」


 二人を追って水面へ踏み出したアルトが、片足からばしゃりと河に突っ込んでしまった。


 浅いとは言え、一気に膝まで浸かりその動きが止まる。


 サンデーとエミリーは氷の上を行くかのように、すたすたと水面を歩いて行く。


「むう、置いていかれた……」


 足を引き上げながら呻くアルト。自分だけ魔術の対象に入っていなかったのが納得できないようだ。


「まあ、邪魔しないで留守番してろってこった」


 ナインが背負い袋からタオルを出して、アルトに渡してやっている。


 そうしている内にも、二人の姿はすいすいと進んで行った。


 岸辺を固めるフロント兵の視界にもそれが入り、何事かとざわめきが起こっている。


 しかしすぐに待機の伝令が飛ばされたようで、次第に声が収まって行く。


 やがて二人は、中州の小島へと辿り着いた。ちょうど河の中央に位置する場所だ。


 エミリーが白旗を振りかざすのを横目にして、サンデーが軽く咳払いをしてから話し始めた。


『──あ~聞こえるかね、森の民の諸君。今日は君達とお話をしにきた。束ねる者がいれば、名乗り出てくれないかね?』


 拡声魔術を使ったのだろう。


 戦場にいる全ての者に聞こえているが、怒鳴っているような響きは受けない。

 子守歌を聞かせるような、穏やかささえ感じる、耳に心地良い声である。


 尋常に目の前で話しかけられているような不思議な感覚に、聴衆は耳を疑った。


 果たして、サンデーの言葉が通じているのかどうか。

 亜人種の兵達は、互いの顔と思われる部位をしばし見合わせる。


 その時、「キィィィッ」という、金属を擦り合わせたような奇妙な音が響き渡った。


 直後、亜人の兵達はざっと姿勢を正し、列を戻す。


 もう一度、同じような音が響くと、前列の者が一斉に弓矢を構えて引き絞った。


 一切の躊躇も無い先制射撃である。

 大きく弧を描いて空へと発射された矢は、放物線を描いてサンデー達の立つ中州へと向かっていく。


「やれやれ。白旗を掲げた使者に対しての礼儀はなっていないね。領主君からの使者が帰ってこないのも頷ける」


 サンデーは肩を軽く竦めると、片手を前方の宙に上げる。


 そして何かをつまむように指を曲げると、すすっと横に手首をずらして見せた。


 折しも雨のような矢が天から降り注ごうとしていたその時だ。


 ジジジジ……


 何処からともなく、何かがこすれるような、低い金属音が響く。


 初めに異変に気付いたのはアシュリスだった。周囲に膨大な魔力が収縮していくのを感じ取ったのだ。

 その発生源は、今にも矢が落ちて来る先……即ち空だ。


 ジジジジ……


 音は続いている。


 変化はすでに現れていた。


 空の一点に、ばくりと穴が開いていた。その穴の周囲はギザギザしているように見える。


 いや、一点ではない。その穴は摩擦音を立てながら横方向に行く。


 例えるなら、鞄のファスナーだろうか。細かい凹凸の輪郭を持った穴が、冬空を大きく跨いでいる。


 輪郭の内側は暗く、何も見通せない。


 中州の中空を完全に覆い尽くすように開き切った真っ暗な空洞。

 その穴に向けて、上から矢の雨が一斉に降ってくる。


 そして──それだけだった。


 突如出現した穴に、全て吸い込まれていき、地面には矢の一本も落ちて来なかった。


 サンデーが逆方向に腕を引くと、再びジジジという摩擦音を立てながら、空の裂け目が元に戻って行った。


 恐らく、この場で何が起きたのかを推測できたのはアシュリスくらいだろう。

 魔力を持たない者には、矢が空中で掻き消えてしまったようにでも見えたかもしれない。


 両軍の兵が、上空を見上げてぽかんとしていた。


(空間への干渉……!)


 それは上位魔術の中でも最奥の秘術に属する物。


 遠く異なる場所にある空間の点と点を繋いで、一時的に互いへ影響を及ぼす状態へと変化させる、とても汎用性の高い魔術だ。


 比較的有名な物では、空間転移だろうか。

 異なる場所へと一瞬で移動する魔術は、実践できる者こそ少ないが、広く世に知られた大魔術であろう。


 アシュリス自身も転移の術は行使できる。

 しかしそれは、予め移動場所へ目印となる魔術陣を刻み付けた上で叶う限定的な物だ。


 これ程大規模な空間干渉を一瞬で行うなど、この目で見るまで想像した事すらない。


 ギィィィィィィィ!!!


 事の異常さが、亜人の指揮官にも伝わったのか。


 若干の焦りが混ざったような、先程より大きな叫びが響く。


 呆然としていた亜人の兵達が、素早く突撃体制に入った。


 弓が駄目なら直接殴れ、とでも指令が出たのだろうか。


 何であれ、目の前で怪異を目撃したというのにこの立て直しの速さは、かなりの士気と練度の証拠である。


 巨体のため、ある程度の河の深さなど物ともしない。


 屈強な亜人の軍勢が、津波のように攻め寄せ始めた。

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