第57話 亜人種の侵攻 4

 亜人種の軍が一斉に動き出した様を見たサンデーは、羽扇越しにエミリーに尋ねた。


「ふむ。一応戦という事であれば、威厳がある言葉を使った方が良いかな?」

「そうですね~。え~と~、こんなのはどうでしょうか~?」


 エミリーがタブレットの辞書で素早く検索した言葉を見ると、サンデーがにんまりと笑った。


「よし、それで行こうか」


 水をかき分け、目前に迫った大軍を視界に収める。


 サンデーは羽扇を水平に構えると、下へと軽く降ろしながら、一言を放った。


『──頭が高いよ』


 ズシャリッ!!


 2000人はいるであろう亜人種の群れが、突如一斉に転んだ。


 いや、違う。


 頭上から何かに抑えつけられたかのように、不自然な態勢で地に伏している。

 当然、水に入っている者は頭から川床に突っ込む事になった。


 その光景に、防衛隊側からどよめきが沸き起こる。


「ふむ、彼らは呼吸はどうしているのだろうね」

「全員ぴくりとも動かないので判断しにくいですね~」

「仮に肺呼吸だとすれば、このままでは不味いかな」


 サンデーがそう言うと、水に浸かっていた全ての兵士の身体が水面に浮かび上がった。


 ただ水面に浮いているのではない。

 完全に全身が露出し、地面に置かれているのと変わらなかった。


 河の流れに乗っていないため、当然流されていく者もいない。


 単純な水面歩行の術をかけたのだとしても、1000に近い人数へと一瞬で同時にかけるなど、一体どれだけの魔力量なのであろうか。

 

 先の重力操作にも見えた金縛りにしても然りだ。


 岸辺で見ているアシュリスは立ち眩みを起こし、アルトは純粋に尊敬の眼差しをサンデーへと送っていた。


「さてと、見晴らしもよくなったところで」


 兵士の壁がなくなった事で、サンデーの目は目的の人物の姿を捉えた。


 そこには先程まで担がれていたであろう御輿から転落したと見える、多くの貴金属で着飾った者が倒れ伏していた。


 俄かにその指揮官と思われる亜人の倒れている地面に差した影が、水面のようにざわりと波打つ。

 そして彼の者の身体が、沼にずぶずぶと沈むように、飲み込まれていった。


 その次の瞬間、サンデーの前方の空間に同じような黒い水面が現れ、ぽいっという擬音が相応しい乱雑さで、今しがた飲み込んだ亜人を吐き出したではないか。


「やあ。君が族長かな?」


 サンデーの問いに、地面に抑えつけられながらも強い視線を返す亜人の長。


 黒い球体を真っ二つに割ったような形状の頭をしてあり、縦に裂けた口のような部位をぱくぱくとさせている。その左右には、クワガタのような立派な顎が突き出していた。


 口以外の顔の表面はのっぺりとした甲殻で覆われており、目にあたる器官がどこにあるかはよくわからない。頭部に生えた触角のような器官で周囲を伺っているのだろうか。


 ともあれその頭部は、サンデーを睨みつけているような気配を醸し出していた。


「落ち着いて欲しい。私は君とお話をしたいだけだ。それと、同様に君と話したいと言う者への仲介も請け負っている」


 ちらりとアシュリスの方向へ視線を投げるサンデー。


「応じてくれるのならば、君達には一切危害を加えないと誓おう。お互いゆっくりと語り合うために、まずは兵を退いてくれないかね? 君の命令が出れば即座に身体が動くようにしてある」


 その言葉を吟味するように、しばしサンデーへ顔向ける亜人。


「ああ、まずこちらからが筋だね」


 それを受けたサンデーはぽんと手を打つと、アシュリスへ向けて声を届けた。


「領主君、最低限を残して兵を退かせてくれないか。それがお互いフェアだろう」

「……ソルドニア」


 アシュリスの迷いは一瞬だった。即座に防衛線を下げるよう指示を出す。

 

 すぐさま伝令が飛び、河岸を埋め尽くしていた防衛隊は、わずかの見張りを残して撤収していった。


「これでどうかな?」


 再びサンデーが亜人に声をかける。


 ギィィィィッ!!


 素早く決断した指揮官の一声が響くと、同時に金縛りから解けた兵士達が、脇目も振らずにわらわらと森へ走り去って行った。まさに蜘蛛の子を散らすようだ。


「さあ、君も立ち給え」


 サンデーが亜人に手を貸す。


 甲殻に覆われた指先には長く鋭い鉤爪が伸びていた。


 その意外にも滑らかな感触の手を取ると、サンデーは自分の倍以上の身長差をものともせず、半ば宙に浮かせるような形で引っ張り上げて、亜人を立たせてしまった。


 それが済んだ頃に、アシュリスが水面を歩いて渡って来る所が目に入る。


 ソルドニアは万が一に備えて、防衛隊の指揮の為に残ったのだろう。オーウルや竜閃を伴って、本陣の方へと引き返していく背中が見えた。


「来たね、領主君」


 アシュリスが中州に辿り着いたのを見計らって、サンデーが声をかける。


 亜人は敵の要人が間合いに入ったというのに動きを見せない。

 すでに金縛りは解けているが、サンデーの底知れない力を警戒しているようだ。


「サンデー殿、やはり貴方の言葉は通じているのですか?」


 アシュリスが亜人とサンデーの顔を見比べる。


「何、誠意をもって話せば、ニュアンスは何となく伝わる物さ。それでは互いの親睦を深めるために、お茶の席をご用意しよう」


 サンデーが一つ両手を打ち鳴らすと、その前方に、前触れもなく一枚の大きな扉が出現した。


 4mはある亜人よりも更に高い。まるで城門のようだ。


 見ている間にも、その重量感のある両開きの扉が外側へと独りでに開いていく。

 中は深い闇が充満し、日の光さえ差し込まない。


「さあ、二人とも。遠慮せずに入ってくれ給え」


 思わず亜人とアシュリスは顔を見合わせてしまう。


「だいじょうぶですよ~。私が先に入ってみせますね~」


 躊躇いの空気を読んで、エミリーが一息に闇の中へと飛び込んでみせた。


 はっと息を呑む招待客二人だが、すぐにエミリーが半身を中から乗り出して無事を示してみせる。


「どうぞどうぞ~」


 エミリーがアシュリスの手を引き、中へと誘った。


「……では、失礼します」


 覚悟を決めたアシュリスが、その手に抗わずに扉を潜って行った。


「さ、君も。エスコートが要るかね?」


 サンデーも亜人の鉤爪のような部位を手に取ると、ダンスに誘うような足取りで扉へと誘導していった。


 そして4人が闇の奥へ飲まれると、扉は再び重厚な音を響かせながら自ら動き、ぴたりと閉じた。


 その後ゆっくりと、風景に溶け込んで消えていくのだった。

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