第44話 湖畔の町 2


「ようこそおいで下さいました、サンデー様」


 眼鏡をかけた四十代程の男が、にこにこしながら二人を出迎えた。


 案内されたのは、大通りから見えていた関所のすぐ近くにある大きな宿屋である。騎士団が駐屯所として借り受けているという。

 入り口に着いて、兵士が見張りの者へ何事か話しかけると、すぐに中へ通され広い部屋に案内された。そこで待っていた人物が彼だ。

 治癒術師を示す白いローブに身を包んでおり、温厚そうな顔立ちをしている。


「私はイチノ王国第二騎士団付きの治癒師をまとめている者、ハルケン・ベイルストと申します。お見知りおき下さい」


 丁寧なお辞儀をすると、サンデーへ握手を求める。


「かの高名な英雄殿にお会い出来て、誠に光栄にございます」

「君こそ結構な腕前なのではないのかね。騎士団長君の傷を癒したのは恐らく君だろう?」


 手を握り返しながら、サンデーが問う。


「これはお恥ずかしい。お聞きになられましたか」

「名前までは聞いてはいないがね。優れた治癒魔術の使い手が部下にいる、と言っていたよ」

「そうですね~。あの大怪我を治したんですから、とてもすごい魔術師の方なんでしょうね~」


 エミリーが追従する。


「いえいえ、私はそれだけが取り柄でして。治癒系魔術のみを修め、他の事はさっぱりなのですよ」


 自嘲するように頭を振って見せる。


「初級の炎の魔術すら扱えない有様でして」

「何、一つの技で高みに至るのも素晴らしい事だとも」

「ありがとうございます。そう言って頂ければ報われます」


 再び深くお辞儀するハルケン。


「それでは、そろそろ本題を聞こうじゃないか」

「そうですね。そちらへお掛け下さい。今お茶も用意させております」


 顔を上げたハルケンは僅かに厳しさを滲ませ、ソファを勧めた。

 二人が座るのを見届け、自らもローテーブルを挟んだ正面へと座る。


「すでにお察しかと思われますが、私共はこの地に蔓延はびこる奇病について調査するために派遣されました。私の部隊は、私を含め医学の心得も多少ありまして」


 言いながらテーブルに地図を広げるハルケン。この町を中心とした湖群周辺の地図だ。


「こちらで調査を進めているものの、あまり芳しくありません。此度の病は、治癒魔術を用いても、またすぐに同様の症状が再発してしまい、逆に内蔵へのダメージが蓄積されていってしまう厄介なものです。魔術だけで解決するのは難しいでしょう」


 苦々しい顔で言葉を続けるハルケン。


「そこで、多くの地を巡る貴方でしたら、似たような風土病や解決の糸口をご存じではないかと愚考致しまして。お知恵をお貸し頂きたいとお呼び立てした次第です」


 イチノ王国を含むワルトガルド本土では、大きな怪我や病気の治療は基本的には魔術で行う。その為医療技術はあまり発展していない。

 治癒魔術が本人の生命力の活性化を基本としていることは前述したが、病を打ち破る程の生命力が本人に残っていなければ、十全な効果を発揮できない事もある。


 ハルケンは人体構造の研究を進め、病の原因がどこにあるかを特定し、それぞれに特化した治癒術式を作りあげられれば、治癒魔術の精度が上がると考えている。

 そのための研究機関を立ち上げ、外科手術も視野に入れた医療技術の向上を目指しており、人体版鑑定の術とも言える「人体精査の術式」を確立しつつある。

 健康な人体を把握し、異常が起きた場合どこに病巣があるのかを探るための術式だ。


 しかしその試みは未だ途上であり、未知の風土病の病理解明は難航しているのだった。


「私は観光客であって医者では無いのだがね。まあ、素人意見で良いと言うのならば、とりあえず話は聞いてみようじゃないか」

「ありがとうございます」


 羽扇をひらひらさせるサンデーに、ハルケンが深く頭を下げる。


「この奥地の一帯の村で、三ヵ月程前に件の病の流行が始まりました」


 地図の赤い線で囲まれた部分を指し、ハルケンの説明は続く。


「流行の過程は割愛致しますが、発症した者は主に内蔵疾患を起こし、徐々に体力を奪われて衰弱死します。病状については様々で、臓器不全、腫瘍、腹水等々。痙攣やてんかんを起こす場合もあります。進行は非常に遅いのですが、今の所の致死率は100%です」

「それは怖いですね~」


 エミリーが身震いしてみせる。


「ただ空気感染や、単純な接触感染は起こらない事は確認済みです。この町であれば安全でしょう」


 ハルケンは安心させるように、エミリーに微笑んで見せる。


「地図によると、特定の水源を利用している村だけが罹患しているようだね」


 丸印の付けられた地図を眺めて、サンデーが指摘する。


「はい。水源の汚染を疑いましたが、水質については異常がありませんでした。詳しくはこちらに」


 ハルケンは言いながら、研究内容のまとめられたファイルをサンデーに手渡した。


 ぱらぱらとサンデーが流し読みをしている時に、部屋のドアがノックされ、ハルケンの応じによって一人の女性が入ってきた。この宿の者だろう、お茶を乗せた盆を持っている。


「失礼致します」


 一礼と共にテーブルへお茶が置かれていく。湯気と共に、甘酸っぱい香りが室内に広がった。


「変わった香りですね~。なんのお茶でしょう~?」


 エミリーがカップを手に取り、大きく香りを吸い込んでいる。薄い紅色の液体がカップの中で揺れている。


「湖で栽培されている、薔薇に似た花で作ったお茶です。香りにリラックス効果が有ると評判なんですよ」


 女性は笑顔で説明をすると、一礼して部屋を出て行った。


「いやいや~、まだ隠れた逸品があるものですね~。おいしい~」


 エミリーがお茶を啜りながら感嘆の息を漏らす。


「程良い甘さだ。頭が解れていくようだね」


 資料を読みながらカップに口を付けたサンデーも満足気だ。


「良いお茶をご馳走してもらったからには、お返しをしなければならないね」


 めくっていたページを止めると、一部を読み直すサンデー。


「虫下しは効果が無かったのだね?」

「はい。寄生虫については初期に疑いましたので、既存の物を処方しましたが」


 サンデーの問いにハルケンは首を横に振った。


 本土でも辺境では寄生虫が猛威を振るっていた地域があった。そこでの成果を踏まえ、今ある虫下しの薬を試したものの、効果は見られなかったのだ。


「ふむ。解剖はしていないようだね」

「……はい。遺体は保存してあるのですが、やはりなかなかご遺族の同意が得られず……」


 医療が発展していない地域に多く見られる事だが、死体を切り刻むというのは、死者に対する冒涜とされ、非難に値する行為だ。それが例え研究目的だとは言え、理解を得るのは難しいものである。


「これを読んで思い出したが、確かに似た症例を私は知っている」

「本当ですか!?」


 ガタリと、テーブルの上に身を乗り出すハルケン。


「ああ。しかし私の知るその寄生虫には虫下しが有効だったはずだ。現にその大陸では既に撲滅されている。魔術での検査にも引っかからないとなると、今回の物は別物と見るべきだろうね」


 資料をテーブルに投げ出すと、サンデーは羽扇を扇ぎ始めた。


「私としては、解剖をお勧めするね。君も医学を学んだと言うならば心得はあるのだろう?」

「ええ、本土では検死を何度か……」


 目を伏せるハルケン。


「君の中ではもう答えは出ていたのではないかね? 誰かに後押しをしてもらいたかっただけで」


 サンデーは羽扇越しに目を細める。


「……そうですな。もう一度遺族の方々を説得してみようと思います」


 顔をあげたハルケンの目にはまだ苦悩が残っているようだ。以前村長に解剖を打診した際に、散々叩きつけられた暴言が思い出されたのだ。


 しかし、やがて覚悟は決まったようだ。サンデーと目を合わせる。


「ご指摘に感謝致します」

「何、これから大変なのは君達だ。頑張ってくれ給え」


 サンデーは立ち上がると、ドアへと向かう。


「今日はここに泊めて貰えるのかね?」

「ええ、それはもちろん。お部屋を用意させましょう」

「助かるよ。では夕食前に少し散歩にでも行くとしようか」

「は~い。では失礼しますね~。お茶、ごちそうさまでした~」


 わたわたと立ち上がるエミリーを連れ、サンデーは部屋から出て行った。


 後に残ったハルケンは、硬く拳を握り締めて立ち尽くしていた。

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