第40話 野良犬

 石畳の街道を、3台の馬車が縦に並んで走っていた。


 周囲には20名程の兵士が歩哨として随伴している。そのため移動速度はそう早くはない。


 前後2つの馬車は荷車で、天幕や寝袋等の野営道具と、保存食等がそれぞれに積まれている。


 その2つの馬車に挟まれた1台の御者席には手綱を握った御者と、イチノ王国第二騎士団副官、ジャン・ヘイドリクが座っていた。


 団長であるソルドニアは、フロントの防備を進める為に一足早く早馬を駆って帰還しており、副官であるジャンが移送の責任者として同行していた。


 後ろの荷台には、拘束された狂犬が乗せられている。


 鋼鉄製の檻を幌で完全に覆い隠し、中から外の様子は全く伺えない。


 檻の天井と床は分厚い鉄板で、床の端には排水溝のような網が張られた小さな穴がある。垂れ流しの排泄物を水で洗い流す為の物だ。天井には小さな換気口がいくつか有り、臭いが籠らないようになっている。


 中央に太い支柱が床から天井までを繋いで立っており、その根元に椅子が置かれていた。

 狂犬がその椅子に座らせられ、支柱越しに手を後ろに回し、縛り付けるように手錠をかけられていた。


 サンデーによる壮絶なお仕置きのショックがまだ抜けていないのだろう。その眼は虚ろで、目を開いてはいるが、何も映していないように見える。

 口を半開きにし、ぶつぶつと何事かを呟いていた。




 狂犬の人生は、血と暴力に塗れた波乱の連続だった。


 既に何処だったかも思い出せない貧民街で、彼は産まれた。


 まだ物心も付かない内に親に奴隷として売られ、端正な容姿から男娼にするべく教育を施される事になった。


 しかし教育が進む内に、自分が何をされるのかを本能的に理解して、拒絶の為に激しく反抗した。


 どれだけ酷く折檻されても大人しくならず、調教師も匙を投げて処分される寸前であったが、娼館の経営に携わるマフィアの幹部がたまたま訪れ、身柄を預かる事になる。

 その不屈の凶暴性に目を付けて、組織の戦闘員に仕立てようと考えたのだ。


 その目論見は見事的中し、戦闘訓練を受けた少年は才能を開花させた。


 数年もせずに気功までも修めた彼は、めきめきと頭角を現していった。

 年少ながら大人の戦闘員達と共に他組織との抗争に参加し、多大な戦果を挙げるようになったのだ。


 圧倒的な暴力を以って他者をねじ伏せ、欲しいままに奪う。この時期に、彼の歪んだ人格が形成されたと言って良い。

 彼は奪われる側から、奪う側へと立ったのだ。


 少年の面影が薄れた頃、彼は一端のマフィアの構成員となっていた。己の力に心酔し、気ままに他者を嬲る毎日。


 彼には周りの人間全てがゴミ屑に見えていた。それは同じ組織に属する者達も同様だ。気に入らなければ仲間だろうと噛み付いた。


 悲惨な生い立ちから湧き出る人間不信が拭い切れず、群れる事に嫌悪を感じるようになっていたのだ。


 誰彼構わず喧嘩に明け暮れる彼を差して、狂犬の通り名が付けられたのはこの頃である。


 周囲との不和が進む内に、ある時幹部の一人と口論になった際、勢い余って殺害してしまう。

 それをきっかけにして彼はマフィアを抜け、放浪生活を始める事になった。


 追手を次々と返り討ちにしながら、各地で道場破りを繰り返し、路銀や新たな武術を手に入れる日々。

 他者を蹴落とし、強くある事が全て。それが出来なければ死んで当然だ。


 そう信じてきた彼の人生が、一瞬にして崩された。

 たった一人の女に、だ。


 巨漢や騎士にも手を焼いたが、結局は逃げ切った自分の勝ちだと思っている。


 しかし、あの女は別だ。


 戦いにすらなっていない。

 訳の分からないままに身体を操られ、家畜如きの攻撃を食らい、瞬時に拘束された。


 その上で、思い出すのも忌々しいあの仕打ち。

 幼少期の拷問ですら耐え切った、彼の不屈のプライドを叩き折ったのだ。


 そこまで思い至った時、屈辱と怒りが燃え上がり、遂に恐怖を上回った。


 狂犬の瞳に光が戻る。


「……す……す……」


 声にならなかった呟きに、力が込められ始めた。


 気が付けば、馬車の揺れが収まっていた。

 狂犬はうわ言を止め、耳を澄ませた。


 周囲ががやがやと騒々しい。野営の準備が始まったのだろう。


 檻の中では時間の経過が全くわからないが、日に二度の食事が差し入れられた回数を数えれば、金毛村を出発してから四日が経過しているはずだった。



 しばらくの喧騒が続いた後、檻の後方の幌がめくられる。


 出入口の鍵を兵士が開け、一人の騎士が食事を乗せた盆を手に、檻の中へと入ってきた。

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