第38話 大理石の館 4

 炎の狭間から現れてベッドの横へ立った美女は、微笑みながら周囲を見回した。

 そして、


 ぱしん。


 と、美女が手にした羽扇を打ち鳴らすと、燃え盛っていた炎と共に、あれだけ大量に蠢いていた蟲達も、たちまち掻き消えてしまった。


 見回すと、骨まで食い尽くされてしまったと思っていた部下達が、無傷な全裸のままで、蹲ったりひっくり返ったりと、襲われたままの姿勢で固まっている。


 自分の身体を見下ろしても、傷などどこにも見当たらなかった。


 それでは今のは何だったのか。夢か、幻か。


 髭面の男は改めて、突如現れた女を凝視した。

 見覚えがある。確かに、ベッドで横になっている娘と共に自分たちが攫ってきた美女だ。


 何故ここに? という疑問が先に来るが、その直後に恐ろしい事に思い至る。


(ボスがやられた・・・!?)


 自分たちの主である、数百年を超えた化け物。吸血鬼たるあの女を打ち倒したからここにいるのではないのか。


 そんな相手に自分達が何を出来る?


 蟲から解放されたのも束の間、更なる恐怖が男を襲い始めた。


「…………っ!!」


 命乞いをしようにも、声が出ない。口をぱくぱくさせるだけの男は、身体が動かない事に気が付いた。


 目と口だけは動かせる。その見える範囲で、部下達も同じような状況であるのが読み取れた。


 倒れかけて斜めになった、有り得ない態勢で止まっている者もいる。


 男の理解できない魔術が及んでいるのだ、と。


 ただそれだけが理解できた。


 ふふふ、と羽扇の陰で女が笑う様子が見える。


「お楽しみ中の所お邪魔するよ。君達のお陰で良い体験が出来た。お礼と言ってはなんだが、喜んで貰えたかね?」


 そう軽い調子で話しかけて来た。


 お礼? あれが?

 先程のおぞましい蟲の群れがか?


 男達の疑問を他所に、美女が続ける。


「さて、君達の処遇についてだが。妙案を思い付いた」


 これ以上何をされると言うのか。


 命だけは。


 声を出せない男は口だけをそう動かした。


 美女がベッドの枠を指でつつっとなぞる。


「それを決めるのは私ではないよ」


 その言葉が言い終わらないうちに、「それ」は現れた。


 娘が眠るベッド。初めは横たわっている娘が起きたのだと思えた。


 しかし違う。

 彼女に重なるように横になっていた、真っ黒な人影が起き上がったのだ。


 全身が黒い。まさに影そのものが立体になったかのように。

 背中に当たると思われる位置で、髪のような輪郭が揺れている様は女性を感じさせる。


「君達は随分と沢山の子のお相手をしてきたようじゃないか。この子は、そんな彼女達の想いが形を成した物だと思うと良い」


 残留思念とでも言うのだろうか。

 ともかく人の形を取った意志を持った影が、ゆっくりと歩き出した。


「君達が紳士的な態度であったなら、大した事もなく済むだろう。ただ、そうでなかったら……」


 笑っている。絶対にそうではない事を確信し、何が起こるかを楽しみにして笑っている。


 男達はただガチガチと歯を鳴らし、女の影の挙動を見守るしかできない。


 女の影は、男達には目──あるとすればだが──もくれず、テーブルを目指して歩いて行く。

 辿り着いた先で、何かを選んで取り上げた。


「ああ、それは良いね。良い選択だ」


 美女が正解を選んだ教え子を褒めるような口調で言った。


 女の影の手には、大きなハサミが握られていた。


 男達に、生理的な恐怖が走る。


(まさか……まさか……!!)


 女の影がハサミを握ったまま、一歩足を踏み出す。


 すると、女の影が


 立ったままの影が一つ。踏み出した影が一つ。


 踏み出した影が、同じように一歩踏み出す。


 やはり同じように分かれた。


 同様の行為を繰り返し、最終的に女の影は10体に増えた。手にはそれぞれハサミがある。

 男達の人数と同じである。


「君達はもう一生分楽しんだだろう? ではもう『それ』は必要ないね?」


 恐らく羽扇の向こうではにやにやとした笑みを浮かべているのだろう、美女の声が遠くに聞こえる。

 それぞれの男達の元へ、一人一体ずつ、女の影が歩み寄って行く。


 その後、部屋の外までも男達の大絶叫が響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る