第30話 山狩り 4
狂犬が素早く左右の様子を伺う。
周囲の兵に動きは無い。
彼らが攻撃に加わらない理由が分かった。あの騎士の間合いに入るのは邪魔になるだけなのだ。
先程の飛ぶ斬撃と、今の刃の感触で確信した事がある。
剣士にもモンクと同様に気功に似た力を操る者がいるのだ。熟達した剣気を練って、時に間合いの外に放ち、時に武具を覆い強化をするような。
先程受けるのをやめたのは、自分の気功を破る程の圧力を感じたからだ。
実際、一瞬触れただけの手の甲には赤い線が薄っすらと滲んでいる。
休む間を与えずに騎士が突進を再開した。
白銀のきらめきが同時にいくつも襲い来る。まるで複数の剣士を同時に相手にしているようだ。
なんとか躱し続ける狂犬だったが、旗色は明らかに悪い。
全く反撃の隙が無いのだ。
本来狂犬が得意としている戦法は、後の先を取るカウンターである。
敵の攻撃を素手で受け流し、体制を崩して驚愕の表情を浮かべる顔に、必殺の一撃をぶち込むのが彼のお気に入りだ。
しかしこの騎士は相性が悪すぎる。とにかく手数が多く、それでいて正確無比で速い。
今は勘を頼りに捌いているが、剣筋がよく見えていない。下手に手を出せば手首を切断されるだろう。
捕縛を目的としているために、急所を狙われていないのが救いか。しかし四肢くらいは迷いなく切断するつもりなのだ。
狂犬は拳法の達人ではあるが、所詮は我流の邪拳だ。
先の巨漢も強かったが、動きは獣に近かったため、それなりに戦いが噛み合った。
しかし対する騎士は別物だ。正真正銘対人戦を想定した、洗練された殺人剣である。狂犬の記憶にここまでの強敵は見当たらない。
次々と襲い来る斬撃を捌き切れず、全身に細かい裂傷が蓄積していく。
フェイントですらも必殺の気を放っている為に、どれが本物の刃なのかもはや判別不能なのだ。
心なしか、段々と速度が増している。
後が無いと悟った狂犬は、持てる力全てで賭けに出る事にした。
「ふっ!!」
騎士が気合を込め直して放った左肩への突きを、狂犬は敢えて避けなかった。差し出した手の平と共に、ぐさりと肩口を刺し貫かれる。
ぶしゃっと血飛沫が上がるが、気にせずに肩と手の平で刺さった剣をぐっと掴んで固定させた。
騎士の目が見開かれる。
「やっと捕まえたぜぇっ!!」
そのまま剣ごと騎士を引き寄せると、下から大振りの蹴りを放つ狂犬。
「ぬんっ!」
ソルドニアは咄嗟に狂犬の肩と手の平を切り裂いて剣の自由を取り戻すと、蹴りに備えて後退する。
(かかった!)
狂犬は躱され振り抜いた脚を、踵から全力で地面に叩き付けた。
ズドムッ!!
振動が広場を襲い、兵士達にも軽い動揺が浮かぶ。
地面が陥没し、土煙が辺りに舞う。ソルドニアの視界を奪った。
油断なく気配を探るソルドニアの周囲に、複数の影が飛び出して来る。
シャッ!
一振りで煙ごと切り払ったそれは、狂犬の姿をした残像だった。両断されて消えていく。
しかしその残像が煙に紛れて、次々と繰り出されて来るではないか。
周囲全方向から、10体の狂犬が襲い掛かる。
それをソルドロスが腰溜めにした横一文字で全て切り飛ばす──はずだった。
9体目までは確実に斬り払った。
しかし最後に残った1体が本物だったのだ。空中でソルドニアの刃に両足で乗っていた。
剣が来る方向が分かっていれば、一点に防御力を集中して防げると判断したのだ。その予想は的中し、両足の踵で見事に刃を受け止めていた。
そしてソルドニアの剣撃の勢いを利用し、自分の全身のバネと同調させて大きく跳躍した。
狂犬は放物線を描き、周囲の兵士たちの頭上を飛び越えると、猿のような勢いで枝伝いに逃げ去って行く。
「追いなさい!」
すでに自らは走り出しながら、呆けている部下に命令を下すソルドニア。
しかしこちらは全員重武装、あちらは軽装の上あの身のこなしだ。追いつけるかどうか。
森の周囲を固めている部下に時間稼ぎを期待するしかない。
ソルドニアは自分の見込みが甘かった事を認めた。
本土では道場破りを繰り返し、討伐隊も全て討ち取っている点から、狂犬は強者との戦いを求めるタイプだと判断していたのだ。
自分が最大の餌になるかと思い立案したが、全く当てがはずれたようだ。
彼の者の生への執着を侮った自分を恥じつつ、後を追うソルドニア。
狂犬は森を抜け放牧地へ回ろうとしているようだ。しかし重武装の彼らに道なき森を抜けるのは困難だ。遠回りになるが、森の入り口への道を全力で走る。
森から出た先を見渡すと、狂犬が放牧地を通り、村はずれへ向かっているのが確認できた。
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