第27話 山狩り

 狂犬は浅い眠りに浸っていた。


 山頂付近で冬眠中の熊の巣穴を見付けて奪ったのだ。

 眠りから起こされた熊は激怒したが所詮は獣、狂犬の敵ではない。殺して肉を食らい、毛皮はなめしもせずに毛布の代わりにした。


 熊が整えたのだろう木の葉や枝で適度にふかふかとした寝床は、狂犬にとっても快適なベッドとなった。血と獣の匂い等、とうに慣れている。


 昨日の昼間に、麓の村に隊商が着いたのを遠目に確認した。

 護衛の兵は少数で、討伐隊が同行している様子は見えない。


 当然警戒はしていたが、追手が山に入ってきている気配は無かった。

 あいにく山の上には朝からの雪がそれなりに積もっていた為、足跡を追跡されるのを恐れて動かない事に決めた。

 その判断と疲労が、彼を眠りに誘ったようだ。


 狂犬が不意にがばっと身を起こした。


 気配を殺して巣穴の入り口から外の様子を伺う。巣穴の外は僅かに広場となっており、森までの遮蔽物は無い。見える範囲では何の変化も無さそうではある。

 しかし狂犬の野生じみた嗅覚は、微かな異変を感じ取っていた。


 ……囲まれている。


 麓から大人数の動く気配。山狩りが始まっているようだ。


「ちっ、商人に化けてやがったな」


 狂犬が忌々し気に頭を振る。


「嗅ぎ付けて来るのが早過ぎるな……あの野郎、閃光玉に追跡の術でも仕込んでやがったか?」


 最後に見た冒険者の姿が一瞬よぎるが、今はもうどうでもいい。これからどう行動すべきかを考え始める。


 打って出るか? 包囲が広い間に薄い場所を突ければあるいは。


 しかし今回は不意の冒険者との遭遇ではない。確実に自分を確保できるだけの兵を用意しているだろう。山に入った部隊と別に、麓を固めている者達もいるかも知れない。


 森に入ってゲリラ戦を仕掛けて混乱させつつ離脱するのが良いか。


 問題はどの程度の戦力を連れてきているかだ。


 本土で相手にした騎士達は、戦の経験も無いような素人ばかりだった。隊長らしき者だけはまともな剣を使ってきたが、強いと言う程ではなかった。


 しかし危険のある開拓島へ派遣された増援は、確実に精兵と考えるべきだろう。


 狂犬は戦いそのものは好きではあるが、命が最優先という考えの持ち主だ。勝てる相手は徹底的に潰し、勝てない要素がある場合は何を置いても逃げる。

 逃げるのは恥ではない。その後同じ轍を踏まなければ良いだけだ。騎士のようなプライドなど糞食らえだ。

 死ねばそこで終わりであり、最大の屈辱だ。その一念で彼は生き抜いてきた。

 生命の危機に対する野性的な勘が告げている。ここにいるのは不味いと。


 外に出るべきか躊躇している時に、不意に外から巣穴に向けて高速の何かが飛来した。

 咄嗟に身を屈めた狂犬の頭上を通り過ぎたそれは、巣穴の奥の壁へぶつかると、猛烈な爆発を起こした。


「くそが! 爆弾か!?」


 爆風と共に外へ転がり出た狂犬に、上から巨大な物が落ちて来る。


 ズガンッ!!


 地面が陥没するほどの一撃を、紙一重で躱す狂犬。そのまま転がりながら距離を取り、反動で立ち上がった。


 直前にいた場所に、大きな棍棒を振り下ろした格好の鎧姿の巨漢がいる。狂犬も長身だが、更に頭一つ高く見える。

 巨漢は棍棒を担ぎ直すと、狂犬へとにやりとしてみせた。


 熱の塊のような男で、立っているだけで周囲の雪がその熱気で溶けていくようだ。


「よく避けたじゃねぇか」

「はっ、不意打ちとはてめぇらもロクな育ちじゃねーな?」


 見れば近くの木の枝にレンジャーらしい女が乗っている。


「まあな。冒険者なんざ大体ロクな奴じゃねぇよ」

「今ので生き埋めになれば楽だったのに。お喋りはそこまでにして、さっさとやりなさい」


 女が銃を構えると、高速の弾丸が足元に炸裂した。

 爆風が巻き起こり、雪の混ざった土煙で狂犬の視界が一瞬閉ざされる。


「さっきの爆発はこれか!」


 後退しようとした所へ、巨漢が煙の中を突っ切ってきた。


「うおっ!」


 横からの大振りを仰け反って避ける。そのまま後方へ宙返りしながら後退するが、その着地箇所を狙ったように再び爆発が起こる。


「なんだってんだクソが!!」


 再び煙の中から襲う棍棒をさばきながら悪態を付く狂犬。

 大振りになった瞬間を狙い、棍棒を横から打ち払う。


 ガキン!


 一瞬棍棒の軌道が逸れるが、そこから即無反動で振り上げられた。

 それを両手の甲を交差させて受け止める狂犬。しかし勢いを殺し切れずに岩壁へと弾き飛ばされる。


「この馬鹿力野郎が……!」


 手に痺れを感じながら巨漢を睨め付けると、相手は逆に感心したような顔を見せていた。


「俺の一撃を素手で受け止めるたぁな。お前モンクってやつか? 気だの何だので体を強化するとか」


 巨漢の言葉は正解である。


 狂犬はかつて、魔力を気功と呼ばれる生体エネルギーに変換して身体能力を上げるという武術を習っていた事がある。その気功を修めた者をモンクと呼ぶ。

 本来ならばそれなりの魔術師になれたであろう魔力の量を持つ狂犬だが、それを全て気功に注ぎ込む事で、驚異的な身体機能を保有していた。

 例えば皮膚を鋼鉄並の強度にして、今のように武器を防いだりするのは朝飯前である。


「だったらどうだってんだ。やっと体が温まってきやがったし、やり返させてもらうぜ」


 岩壁を蹴り、矢のような速度で巨漢との距離を詰める狂犬。

 その渾身のストレートが、巨漢の頬を掠める。


 避け様に棍棒が振り下ろされるが、すでに狂犬は半歩移動して空振りに終わる。そして半身を回した勢いで、巨漢の胴へ左脚で蹴りを放つ。


 それは受け止められるのを前提にした囮で、更に回転して空中で右脚蹴りに繋げる。


 巨漢は上半身を反らして避けるが、それこそ狂犬の狙いだった。振り抜けた右脚の反動で身をねじると、空中で体制を入れ替えて、両足で巨漢の腹を蹴り飛ばした。

 その刹那、真下から掬い上げるような一撃が狂犬の左肩を襲っていた。


 ズガシャッ!!


 両者が同時に吹き飛ぶ。


「……の野郎、出鱈目な動きしやがって。曲芸師かよ」

「てめえこそ頑丈すぎだろうが。蹴られながら反撃しやがって」


 互いに悪態を付きながらも起き上がる。

 巨漢は鎧を付けているが、衝撃は中まで貫通していた。

 口の端から細く血が垂れている。


 跳び起きた狂犬は、打たれた左肩をぐるりと回して具合を確認する。


 気功によって回復力が上がっている彼は、大抵の傷はすぐに治って行く。

 今の一撃も骨まで達していないようだ。大した問題ではないだろう。


(しかし2対1はやべぇな……)


 狂犬が自らの身体を確認している間にも、巨漢はのそりと起き上がってこちらへ向かってきていた。

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