第8話 上陸後 とある食堂にて 4

 ナインとサンデーの飲み比べが進む中、入り口の扉が開いて新たな客が入って来た。


 騎士団の鎧を着た精悍な顔立ちの男だ。店内を見回して、こちらへと真っ直ぐ向かってくる。


「……こちらでしたかサンデー殿」

「おや、誰だったかな」


 再びエミリーに尋ねるサンデー。


「え~と~、騎士団長様の副官さんだったかと~」


 じっくり顔を見てから思い出したように答えるエミリー。


「はい。私は王国第二騎士団の副官を務めております、ジャン・ヘイドリクと申します。我が上官ソルドニア・シュリークより伝言を預かって参上しました」


 流れるように口上を述べると、丁寧に一礼してみせる。流石は王国直下の正騎士といった所だ。


「ふむ、何かな?」

「先の船でのお礼を改めてさせて頂きたく、領事館へとご招待したいとの事です。本来ならばこちらから伺うべきですが、騎士団長としての執務が有り動けないと。もし叶うなら御同行願えますか?」

「見ればもう夕刻か。河岸を変えるには良い時分だろう。渡りに船という奴だね」


 言いながら腰を浮かせようとするサンデーにナインが追い縋る。


「姐さん、俺との勝負はどうなるんでぇ!」

「また今度、とは言える雰囲気ではなさそうだね」


 水を差された形になったナインは、完全に眼が座って聞く耳を持たない様子である。


「お取込み中でしたらまた出直して参りますが……」


 一触即発の空気を察した副官が申し出るが、サンデーは手で制した。


「少しばかり待っていてくれ給え」


 運ばれてきたワインをくいっと煽りながら思案するサンデー。


「そうだな、君は腕力が自慢だと言う。それなら腕相撲でもしようじゃないか」

「はっ! 本気か? あのバカ力のナインに女の細腕で敵うか?」

「いや逆に自信があるんじゃないのか? 俺ぁ姉さんに賭けるぜ」


 夕方になり客が増えてきた事もあり、サンデー達はいつの間にか見物客に囲まれていた。


「いいのかい姐さん。海の上じゃ不覚を取ったが、陸なら本気で行けるぜ?」

「ふむ、ではハンデに小指一本というのはどうかね」

「はっはっは! 構わねぇぜ!」


 鎧を外して布の上着だけになるナイン。はち切れんばかりの筋肉が晒され、一回り大きくなったようにも見えた。

 それを向かいにして、サンデーはテーブルに右手を構えて見せる。……小指一本で。


 店内が一気にざわつく。そっちがかよ!という突っ込みが聞こえてくる。


「……これだけ舐められたのは久しぶりだぜ……」


 ナインのこめかみがびくびくと脈打っている。


 アルトは若干冷静に見ていたが、怒りからではないと判断した。恐らく酔いが吹き飛び、船でのサンデーの力を思い出して興奮しているのだ。


 最早自分の得意な土俵ではく、胸を借りる立場である事を自覚した顔だ。

 その証拠が、サンデーと手を絡ませた瞬間に現れた。普段のナインならば、美人に触れただけで頬を緩ませたはずが、一切の油断なく鋭い眼光のままだ。それが本気を感じさせた。


「負けた方が言う事を聞くって事で良いんだよな? 俺が勝ったら朝まで付き合って貰うぜ」


 猛禽類を思わせる目付きでサンデーを見やるナイン。


「いいとも。私が勝ったら……まぁ、お楽しみだ」


 サンデーは軽く微笑みを返す。観客達にもその間に火花が散ったように見えた。


 ふぅ、と一つ息を吐くと、審判を買って出たアルトが右手を掲げる。


「両者見あって。……始め!」


 手が振り下ろされたと同時に、ナインの二の腕が倍ほどに膨れ上がったように見えた。ミシミシとテーブルが悲鳴を上げる、

 勝敗の前に土俵が壊れるのではないかと、いらぬ心配をする者もいた。


 対してサンデーは……微動だにしていない。特に力を入れている様子も無い。

 それどころか空いた左手で煙管を取り、エミリーに火を付けさせ一服始めたではないか。


「待ち人がいるのでね。時間を切らせて貰うよ。私が一服終えるまでは好きに攻めると良い」


 煙を味わうように深く吸い込むとゆっくりと吐き出した。


「ほ~らがんばれ~、がんばれ~」


 聴きようには挑発のようなやる気の籠っていない応援だが、何故か劣情を掻き立てる響きがある。 必死の形相のナインには届いていないが、観客の何人かは前屈みになっていた。


 始めの内は「美人相手だからって手抜きしてんじゃねえ」「なかなか演技が上手いじゃねぇか」等と野次が飛んでいたが、血管が浮き出るほどの鬼の形相で大量の汗を流すナインを見て、尋常ではない事を悟り始めた。


 すぅ……ふぅ~……


 紫煙を吐き出すだけで雅な絵になるサンデーだが、対称にナインは全身の筋肉がはち切れそうな程の全力中の全力だ。最早瘤でも付けているのかと思える程、二の腕から広背筋までが膨張している。

 そこまでしてすら、細い小指の一本がびくともしない。


 かつん。


 サンデーが灰皿に煙管を打ち付けた。


「さて、ここまでだ。私の番だね」


 言うが早いか、静かに、あっけなく勝負は着いた。


 こてん。


 何の予備動作も無く、サンデーが軽く腕を傾けただけでナインの手の甲はテーブルに着いていた。


「それまで! 勝者サンデー!」


 勝敗を下したアルトも信じられない思いである。


 恐らくあれでも手を抜かれていた。その気ならばテーブルごとナインの腕を粉砕することも容易だったろう。


「さて、勝者としてはここのお代を君達に任せたいのだが、構わないかね?」


 悠然と立ち上がり埃を払うと、アルトへとウィンクをしてみせる。


「……分かりました。元々こっちが吹っ掛けたようなものだし」


 反対しても無駄だろうと思ったのも事実だが、凄いものを見せてもらったという感謝の方が大きかった。たかが酒代くらいで済めば安いものだ。


 店主に騒がせたことを詫び、逆に恐縮させているサンデーを見て、アルトは得体の知れない強者を前にした武者震いが身体中に広がっていくのを感じていた。

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