第92話 鼓動
「──ああもう! いい加減くたばれっての、このデカブツ!」
アルトの叫び声がそのまま烈風となったように、鋭い鎌鼬が黒い巨人の胸板を斜めに切り裂いた。
黒い飛沫が、朝靄の中に盛大に飛び散っていく。
夜明けを間近に控え、白んだ空が見えてきた頃。
地上のフロント防衛軍は未だに激しい戦いを続けていた。
召喚陣は潰したものの、闇の巨人と蛇蜘蛛の群れは残ったままなのだ。
蛇蜘蛛は勢いを減らしつつあるが、まだまだ尽きる事なく巨人の足元の影から溢れ出て来る。
どうやら巨人そのものが召喚陣の役目を果たしているらしい。
魔銃隊の銃弾が乱れ飛ぶ中を突っ切り、河を超えて来る群れと、疲労により陣が乱れつつあった兵士達との乱戦が始まっていた。
当の巨人はアルトとナインを中心として、冒険者達が対応に当たっている。
アルト率いる空中部隊の魔術が右腕を吹き飛ばし、ナインが仕切る地上部隊が左膝を大きく抉り散らそうとも、巨人の動きは止まる事は無かった。
補給線が無くなった事で再生自体は遅くなったものの、天を衝くような巨体である。
その圧倒的な質量の前に、冒険者達はなかなか攻めあぐねていた。
ハルケンが何度も「聖戦の詩」のかけ直しを試みたが、すぐに激しい咆哮でかき消されてしまう。流石にハルケンも消耗して続行できず、既に支援効果は全て消え去ってしまっていた。
こちらの疲労にはおかまいなしで、巨人は鈍重ながらも苛烈な攻撃を繰り出してくる。
地面に手を叩き付ければ地震が起き、腕を宙に振り回せば猛烈な烈風が吹き荒ぶ。
疲労のピークにあった者が回避を誤り、何人もが叩き潰され、吹き散らされ地に堕とされて行った。
着実に削りはしているものの、味方の被害も甚大である。
アルト達は果てが見えない戦いを強いられていた。
「ちぃっ! どんだけしぶといのよ!」
アルトが毒づきながら眩い雷光を撃ち落とす。
ナインの一撃によって大きく欠けていた巨人の頭部を、再生が終わり切る前に極太の稲妻が派手に爆散させた。
しかしお構いなしに巨人の左腕が唸りを上げて、アルトが一瞬前にいた空間を薙ぎ払っていく。
寸での所で躱したものの、激しい風に飛ばされ態勢を崩しかける。アルトの背筋に冷たい物が伝った。
完全に頭部を失ったというのに、未だに動きを止めない巨人に、流石のアルトの顔にも疲れの色が浮かぶ。
いや、その場の誰もが疲労の限界を迎えつつあった。
しかし突入部隊が見事敵の首魁を討ち取る事を信じ、皆が気力を振り絞っているのだ。
一度巨人の射程から離れ、上空で呼吸を整えていたアルトだが、一瞬僅かに視界が揺らいだ。疲労の波がどっと押し寄せる。
「う……まだ、まだいける……はず……」
己の身体に限界が訪れたのかと思い、奮い立たせるように天を振り仰いだ、その時。
違和感がある。
頭上には
「……はぁ!? さっき夜が明けたばかりでしょう!?」
思わず周囲を見回すが、朝靄は完全に晴れ、真昼の日差しが中天から降り注いでいる。
周囲の者からも困惑している様子が伝わってくる。どうやら自分だけの幻覚と言う訳ではないようだ。
そして間を置かず、どくん、と何かが脈打つような感覚が体を突き抜けて行った。
何かが始まった、そう直感が告げている。
その場にいる全ての者が動きを止めていた。
冒険者達も、兵士達も、巨人や蛇蜘蛛でさえ。そして皆がある一方へと視線を向けている。
アルトも否応なしに、一点に注意を引き付けられる。
振り向いた先、島の中央に位置する山の方角へと。
そこには、黒い煙のような物が巨大な柱となって、山裾から噴き上がる光景があった。
初めは噴火でもしたのかと思えた。
……しかし違う。
本能が感じている。そんな生易しい自然現象等では決してないと。
音もなしに山の頂上を包む分厚い雲を突き抜け、どす黒い煙の柱は天地を繋いでそそり立っていた。
見ているだけで身が竦み、何かとてつもない不安に押し潰されそうになる。
ふと、そちらへ体を向けていた巨人が、その巨躯を折り曲げた。
残っていた片腕を伸ばし、地に頭を付けんばかりに伏せる。
その姿はまるで、王の前で首を垂れる臣民を彷彿とさせた。
見れば、眼下に散らばった蛇蜘蛛達も、敵を目の前にしたままで、黒い柱へ向けて次々とその歪な膝を折っていく。
「まさか……本当に邪神でも召喚されたなんて事……」
アルトの言葉が途中から力を失い途切れる。
突入隊は結局間に合わなかったのか。敵の目論見が叶ってしまったのだろうか。
敵が動きを止めたにも関わらず、防衛軍の胸には絶望が押し寄せて行く。
攻撃の手を止めて、茫然と黒い柱を眺める事しか出来ずにいた。
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