第91話 朔

「さて、お弁当は何を持ってきたのだったかな」

「メイドさんが作ってくれたサンドイッチですよ~。自分で注文しておいて、もう忘れたんですか~」

「ああ、そうだった。よしよし、やはりサンドイッチと言えばタマゴサンドは外せないね」

「私はレタスとハムチーズですね~」

「それも良いね。昨今は色々と詰め込んだアレンジレシピが増えたようだが、私はシンプルな方が好みだよ」

「この金平ゴボウと鶏肉のピリ辛サンドなんかも良いんですけどね~」

「ふふ、悪くない。後で一口貰おうかな」


 和気藹々わきあいあいとした会話が薄暗闇の中で響く。まるでピクニックにでも来ているような様子だ。



 段々と、司教に苛立ちが募り出す。

 神聖にして、静謐が求められるこの空間で、なんという無遠慮な行為だ。


 無視を決め込んでいた司教だったが、思わず一言漏らしてしまった。


「……やかましい」


 それを聞き止めたのか、後方の会話が一時途切れる。


「なんだ、起きていたのかね。いや、私達が起こしてしまったかな? だとすればすまなかったね」


 涼やかで軽薄な謝罪が聞こえてくる。

 それが尚も司教の精神を逆撫でする。


「黙れと言うのがわからんのか!」


 ついに司教は後ろを向いた。


 少し離れた壁沿いに、闇を纏ったような服を着て、闇色の髪を結い上げた女。そして、金髪の少女がいる。


 レジャーシートを天然石の床の上へ広げ、バスケットから様々な食べ物を出して食事を取っている所だった。


「何もせぬなら放っておいてやろうと思ったが、祈りの邪魔だ。去れ」

「いやいや、そういう訳には行かないよ。せっかくのメインイベントを見にやってきたと言うのに。君こそ邪魔が来るだろうとは予想していただろう?」


 手にサンドイッチを持ったまま、黒衣の女が言い返してくる。


「もしやすれば戦闘にはなろうとは思っていたが、貴様らのような能天気な者が来るなど埒外だ」

「何、儀式そのものの邪魔をしようと来た訳じゃないんだ。少しばかりの同席くらい許してくれ給えよ」

「ならばそのよく回る口を今すぐ閉じろ。最早全てが些事ではあるが、だからこそ、その軽薄な声で静謐を乱されるのは我慢ならん」


 座ったままで、司教が杖を掲げて見せる。


「黙るか、消えてなくなるか。選べ」

「二択しかないのかね? 君も一緒に食事を囲むという第三の選択も大いに有りだと思うのだが」

「そうですね~。食事は人数が多い方がもっとおいしいですよ~」

「もう良い。死ね」


 話す余地が無いと判断し、司教が杖を床に打ち付けると、ぶわりと巨大な火球が頭上に現れた。人が大きく手を広げて、5人程でようやく抱えきれるかという大きさだ。

 熱風が、辺りの蝋燭の火を揺らす。


 一呼吸の後に、司教が杖を振り下ろすと、燃え盛る火球は女達の元へと飛んでいった。


 直撃すれば塵すら残るまい。そう確信して放った魔術だが、女達の目の前で左右に割れて、その背後の壁を焦がして行くだけに終わった。


「今の魔術を破るだと……?」


 黒衣の女の手は、何かを投げた後のような恰好で振り下ろされていた。どうやら手に持っていたサンドイッチをぶつけて火球をかち割ったらしい。


「……その技量、貴様が領主とやらか?」


 部下から報告を受けていた領主の力量を思い出し、問いかける司教。


「いいや、違うとも」

「……ならば、不殺という輩か」


 その声に、にこりと微笑んで見せる黒衣の女。


「そうとも呼ばれているようだね」

「散々我らの研究を邪魔してくれたようだが、一体何が目的だ?」

「観光だよ」

「何……?」


 司教が聞き取れなかったとばかりに呻く。


「ただ見たいもの見に行き、したい事をする。私の目的はただそれだけだ」

「……それだけの力を持ちながら、遊興だけにかまける痴れ者という話は本当だったようだな」


 司教の声に失望の色が混ざる。


「ふふ、誉め言葉と受け取ろう。今は、そうだね。君の努力が実る場面を見物しに来ただけさ。なかなか素晴らしい陣を組んだじゃないか」

「もしや貴様、この術式が何か解かっているのか!?」


 黒衣の女の言葉に、司教が困惑を浮かべて聞き返す。


「ああ、実際大したものだとも。これだけの規模で用意されたのはどれくらいぶりだろうね。君達の苦労が思い浮かぶよ」


 黒衣の女はゆっとりと目を細めてこちらへ微笑んでいる。慈愛をも感じる眼差しである。


「しかし、君は相手をしてくれない上に、同席するならば黙っていろと言う。じっと待っているのも退屈だ。ならば一体、どうしたものだろうね」


 黒衣の女が顎に手をやる考える素振りを見せる。やがて何か思いついた様子でにんまりと笑う。


「よし、では少しばかり手を貸してあげようじゃないか」


 胸元から懐中時計を取り出した女は、その針を指ですすっと進めて見せた。


 すると突然、司教の身体をくらりと軽い眩暈が襲う。

 まるで半日程を無為に過ごしたような倦怠感だ。


 すると、背後の魔方陣に異変が現れる。

 囲んでいた黒い靄が、内側から押しやられるようにして揺らめく。

 どくん、と鼓動のような強い振動が周囲に広がった。


「この反応は、まさか……」


 それを確認した司教が思わず声を漏らす。


「貴様、まさか朔まで時を進めたと言うのか!?」

「ああ。ほら、お待ちかねの瞬間だよ。目を逸らしていて良いのかね?」


 何でもない事のように頷くと、黒衣の女は魔法陣を指差した。

 それに釣られて司教が素早く振り向くと、靄の壁が弾け飛び、魔方陣の内側から膨大な黒い霧──瘴気が凄まじい勢いで吹き上げて来る所だった。


「おお……おお!!」


 彼が待ち侘びていた反応が、そこにあらわれていた。

 思わず歓喜に打ち震える。


 瘴気の噴出は留まる所を知らず、高い天井を埋め尽くし、さらには洞窟の外へと溢れ出して行った。いずれ縦穴を貫いて、地表まで達する事だろう。


 金髪の少女が、くらりと気を失って倒れ込むのを、黒衣の女が支えた。


「やれやれ、これからが良いところなのに。まあこの瘴気の濃度だ、仕方ないか」


 レジャーシートに優しく寝かせると、黒衣の女は魔法陣へと視線を戻す。


「はははは! ふははははは! ついに……ついに届いたぞ!」


 司教はすでに闖入者の事など微塵も気にせずに、哄笑を響かせていた。

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