第75話 背水の陣

 濁った赤黒い液体を振り撒きながら、悲鳴じみた咆哮をあげる影の翼竜。


 ナインは空中で態勢を入れ替えると同時に、アルトの飛行の魔術が再発動して下へ方向を変えた事を悟る。


「人間様を見下ろすなんざ、100年はえぇんだよ!!」


 落下の勢いを利用して、未だ声を上げ続ける顎へ向けて、止めとばかりに渾身の一撃を振り下ろす。


 メキグシャッ!


 形成されつつあった骨格を完全に粉砕しながら、顎から首の根本まで深々とめり込む棍棒。

 翼竜の羽ばたきが止み、落下に入ろうとしている。


「おっしゃあ! まだまだぁ!」


 竜の体に足をかけ、めり込んだ棍棒を引き抜いては、何度も殴打を叩き込んでいくナイン。

 「物理が効くならば、棍棒こそが最強」を標榜しているナインの面目躍如であった。

 聞くに堪えない破裂音が上空に響いている。


「威力は認めるけど、やっぱスマートじゃないわねー」


 アルトが肩を竦めてそれから視線を外す。

 偶然だが──その目に重大な情報が飛び込んできた。


 アルトが今しがた切り落とした黒い球体の下半分。

 それがずるずると河の表面を滑るように移動を開始していた。


 向かう下流の先は、フロントへと注ぎ込む水門だ。


「──指令さん! 水門の防衛は!? 兵が見えないけど!」


 咄嗟に通信機でジャンへと呼びかけながら、黒い水面と同化した液体を追いかけるアルト。


『──こちらでも異形の移動を確認した。しかし水門前は領主殿から配備は不要との事で』

「はぁ!? あれが町に流れ込んだらどうすんのよ!!」


 妙に冷静なジャンの言葉に思わず怒鳴り返すアルトだが、ふと何かを思いつく。


「……策があるってこと?」

『策……ではなく、ただ任せておけば良いとしか」


 ジャンも詳しくは聞いていないようで、要領を得ない。


 そうしている間にも、黒い液体が徐々に形を変えながら下流を下っていく。ナインが相手をしている竜のような形状になりつつある。


「ああ、もう! 水門の上で迎撃するしかないわね!」


 アルトは再び飛行の魔術を起動し、最高速度で水門の上の城壁へと降り立った。


 正面にはゆったりした流れが篝火を反射して煌めいている。

 河口近くな事もあり、この辺りの水深はかなりある。水面下に潜られれば、魔銃では届かない可能性がある。

 水門自体は頑丈な鋼鉄で、作りもしっかりしているようだが、未知の怪物相手にどれだけ持ち堪えられるかは謎である。


 蛇行する河を、ぼこぼこと収縮しながら体積を増しつつある黒い竜が、カーブを曲がって流れてくるのが視界に入った。こちらには翼が確認できない。水に落ちた事で水竜のようになったのだろうか。


 アルトが舌打ちをしながら、マナバッテリーの残量を確認し、リロードを始めた時だった。


 突如、目の前の水面が激しく割れ、ざばりと巨大な何かが姿を現したのだ。


 水面と同様に篝火の光をてらてらと反射し、黒光りする巨体。その高さは城壁にも匹敵する。

 アルトにはその姿に見覚えがあった。


「ちょ……あの時のイカ!! 何でここに!!」


 まさしく、フロンティア号を襲撃し、島の海岸洞窟にてサンデーの軍門に下った海魔の姿がそこにあったのだ。


 キュオオオオオオオオオオオオ!!


 相変わらずの、身に震えが来るようなおぞましい咆哮を発すると、正面に流れてきていた黒い竜に向けて、激しく触腕を振り下ろしたではないか。


 ザバアアアアアアアアン!!


 水面を割るような強大な一撃が、黒い肉塊を撒き散らした。

 河の外まで飛び散ったそれらは、再びもぞもぞと動き出し、変形を始めていたが、海魔の触腕がことごとく巻き付いては胴体の方へと運んで行く。

 そして聞こえてくるのは、ぐちゃぐちゃという何かを引き潰すような気味の悪い音。


「まさか……食べてる……?」


 アルトが指摘した通り、それは咀嚼音であった。


 破損した黒い竜の全身を、海魔は触腕でがっちりと巻き取った。続いて細い触手を展開して、あちこちをぶちぶちと引きちぎっては、胴体の下に位置する口へ運んで食しているのだった。


 アルトが茫然と眺めている間に、彼女が取り逃がした球体の下半分は、全て海魔の胃の腑に収まっていった。


 キュッフウウウウ……


 まるでゲップでもするように息を吐くと、海魔はゆっくりと上流へと遡り始めた。


「え、ちょ、今度は何よ!?」


 アルトが飛行してその後を追う。ようやくにして、この海魔がサンデーの支配下に入っている事を思い出したのだ。


 その向かう先には、海魔からすれば蟻にも等しい蛇蜘蛛の群れ。

 海魔は触腕の一振りで何十匹も掬っては口へと運んで行く。


『いやまさか、サンデー殿の使い魔が配置されているとは思いもしなかった』


 同じく観察していたジャンから通信が入り、この事実は兵や冒険者にも伝達済みだという。

 そのため先程まで蛇蜘蛛と交戦していた部隊は下がり、河へと誘導する作戦に切り替えたのだと。


 最早そこは戦場ではなく、海魔のディナー会場となり果てたのだった。


「……指令さん、貴方知ってたでしょう?」

『ふっ、いや失礼。貴女の慌てる姿が珍しかったもので、つい』


 忍び笑いを漏らしつつ、ジャンの謝罪が聞こえてくる。


『そういう訳で、水門の心配はなくなった。手の空いた者はナイン殿を援護している所だ』

「……了解。あたしも向かうわ」


 自分達を苦しめた化け物が味方になったのは喜ばしい事だが、アルトはいまいち腑に落ちない気分だった。

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