第76話 老兵の矜持
空中で竜と密着したままのナインは、誰の援護も必要とせずに戦いを続けていた。
と言うよりは、互いの距離が近すぎて、他者から余計な手が出せないのが現状だ。
「──んの野郎! これでどうだよ!」
懐に張り付いているために、竜の攻撃はナインにうまく届かない。それを良い事に、一方的に殴打を繰り返していたナインはついに、片方の翼を叩き折ることに成功した。
バランスを失って落下を始める影の竜が、翼の先の鉤爪をナインへと向ける。
「おせぇ!!」
棍棒を振り抜き、残った翼をもへし折った。
ゴボッゴバッ!
完全に浮力を失った影の竜が、悲鳴を上げるように、既に叩き潰されていた喉から黒い血を撒き散らして墜落していく。
ナインはその胸に向けて棍棒を突き立てる。
ドシャアアアアン!!
河の真ん中に突っ込んだ竜の胸には、落下の衝撃を利用して、深々とナインの棍棒が突き刺さっていた。
影の竜はしばしびくびくと痙攣していたが、やがてその動きを止めると、どろりと形状を失い河の水へと流れ始めた。
遠巻きに見守っていた兵達から歓声が上がる。
「……あー、これで倒したのかどうかが良くわからんな」
棍棒を担ぎ直しながら水面を見やるナイン。一応水面ごと殴ってみるが、手応えはまるでない。
その視界に、派手に触腕を振り回して暴れている海魔の姿が入る。
「うお! ありゃあ姐さんの……!」
「そういうこと。下流は完全にあいつの領域になったわ」
いつの間にか後ろへ降り立っていたアルトが説明してみせる。
「姐さんも粋な土産を置いて行ってくれたもんだな。ありがてぇ」
感じ入ってナインは思わずかつての敵に両手を合わせる。
「ああ、それでよアルト。叩き潰したは良いんだが、これで死んでると思うか?」
水面を油膜のようにゆっくりと流れていく黒い液体を差し、ナインがアルトに意見を求める。
「この下半分は下流に行く途中で立体化してた。もし魔力が残ってたらまた変形を始めてもおかしくないけど……」
ぱっと見た感じでは魔力は感じられないようだ。
「まあ、このままあいつのとこまで流れていけば勝手に食べてくれるでしょ」
「そう願いてぇ、が」
ナインが森の奥を見据えた。
上空の球体が無くなったと見るや、今度は森からわらわらと蛇蜘蛛の群れが出現したのだ。
「森の中にも別の召喚陣が開いてるって事かよ?」
「かもね。ともかくギルドの本隊が来るまでは凌ぐわよ!」
周囲からも敵の再出現を察した冒険者達が集結する。
討てる分は討つ。捌き切れない分は下流へと弾き飛ばし、海魔に任せる戦法を共有し、一斉に行動に入る。
彼等冒険者は、騎士団のような団体行動を苦手とする者が多い。しかし数々の冒険を潜り抜けた猛者も多く、それだけ現場での判断力が高い。目的が一致すれば、急場での協力作業はお手の物である。
今や河の向こう岸に戦場を移動し、森へ迫る勢いで蛇蜘蛛の群れを押し返している。
「よし、膠着したわね。上から森の様子見てくるわ!」
戦線の維持が成ったと見て、アルトが飛行を始めた。
先程話題になった他の球体が、森の上空に存在しないか確認するつもりなのだ。
「気を付けてい……!?」
アルトが地を蹴り、ナインが見送ろうとそちらを見たその時だ。
森の木々を超えて、一本の巨大な黒い腕が現れていた。
それを確認した瞬間、アルトの細い身体はその腕にがっしりと掴まれていた。
「うぐっ! 何、こいつ……いつの間に!」
全く気配を感じなかった驚きを噛み締める間もなく、めきり、と全身の骨格が軋む音が響く。
「アルト!!」
ナインが走り寄ろうとするが、距離がある上に進路上には無数の蛇蜘蛛が立ち塞がっている。辿り着くまで、アルトの身が保つだろうか。
必死に敵の垣根を吹き飛ばしている間にも、アルトの口から血飛沫が舞う様が見えた。
それはスローモーションのように、ひどくゆっくりと感じられた。赤い飛沫の一つ一つが鮮明に見える程。
ナインが最悪の瞬間を覚悟した、その時。
──チュイン!
細い光が、背後から流れていった。
その光の筋は、真っ直ぐにアルトを掴む腕の手首を突き抜けた。
次の瞬間、黒い腕は手首から大きく解けるように破裂していった。
ナインは止まりそうな思考を押し留め、黒い液体が飛び散る中を駆け抜けると、落ちてきたアルトを抱き止める事に成功する。
腕の中のアルトは、体中の破裂した皮膚から出血しているが、内臓などに大きな損傷を受ける手前で済んだようだ。
「ナイン! アルトも無事か!?」
ギルドの仲間が、周囲の敵を引き付けてくれている。
「ああ、意識ははっきりしてねぇが、傷はそこまでじゃねぇ!」
「そうか! ならここは任せて一旦本陣に戻りな!」
「……すまねぇ、頼んだぜ! まだ何か来るかもしれねぇ、気を付けろよ!」
ナインは礼を言うと、一目散に河を超え、本陣へと帰還していった。
─────
「やれやれ、ひよっこ共が。こんなロートルにまで仕事回すんじゃねぇっての」
未だに硝煙を上げる長銃を担ぎ上げると、オーウルは一息付いた。
30年前に開発された火薬式の単発銃だ。古いが、手入れは行き届いている。
アルトを掴んだ腕を射抜いたのは、ギルドの本隊を率いて街道を進んでいたオーウルだった。
元レンジャーの勘がそうさせたのか、本陣まであと2㎞程度という所で何かを感じ、素早く腹這いになると、年季の入ったその銃のスコープを覗き込んだのだ。
彼は現役時代、大した実績は残せなかったが、仲間には非常に恵まれていた。
彼の構える旧式銃は、友人であるドワーフ族の鍛冶師特製の一点物だ。30年経つ今でも現役である。
スコープにも優れた技術が使われており、2㎞先の状況も曇りなく確認出来た。
アルトが黒い腕に捕らわれたのを見た瞬間、流れるような動作で一発の銃弾を装填し、刹那の照準で引き金を引いていた。
撃った弾丸も、今では賢者と呼ばれるものの、隠遁生活に入っている変わり者の友人からの餞別だった。
闇に属する者を打ち払う効果があるから、魔除けに持っていろと押し付けられた物だった。
狙いは違わず、黒い腕を吹き飛ばした事に安堵を覚えるオーウル。
彼は実績を残す機会が無かっただけで、射撃の腕は一流だったのだ。
そもそもアルトに銃の扱いを教えたのは彼であった。
「まったく、世の中何が役に立つかわからねぇもんだぜ」
弾薬を詰めた袋を見詰めながら、オーウルが呟く。
製作者の魔術師は、この弾は普通の生命体には効果が無い、がらくた同然だろうと言った。そしてこれが有効な敵に出会ったら、それは世の終わりだろう、とも言っていた。
「つまり、今俺達が相手にしてるのは、真っ当な生きもんじゃねぇって事かよ」
オーウルがうんざりとしている中、随伴していたギルドの者が集まってきた。
「支部長、いきなりどうしたんです?」
「ああ、どうやら面倒事になってきやがった。ちょいと速度上げて帰還するぞ」
通信機は先行部隊に持たせたため、すぐに連絡を取る事ができない。
急ぎ本陣へ合流し、情報を共有しなければならなくなった。
「おら、ぼさっとすんな! 急げ!」
部下達の尻を蹴り上げると、行軍速度を上げさせていく。
「こりゃあ領主殿に追加ボーナス貰わんと割りに合わねぇな」
老体には厳しい夜になりそうだ。オーウルは憂鬱な気分に沈んでいくのだった。
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