第73話 フロント防衛戦

 夕暮れを迎えつつある空の彼方に、立て続けに膨大な光の奔流が宙を切り裂き、凄まじい烈光が煌々と展開する様が、フロント近郊に敷かれた防衛線の本陣の入り口からでも確認できた。


 その光景を唖然として眺めていたジャンは、たった今アシュリスから作戦の進捗の報を受け、それらが身内の行使したわざであった事を知った。


 ソルドニアもアシュリスも、尊敬に値する人物だと疑った事は無かった。しかしここまでの偉業を為す程の、本物の英雄であると断言できる力を秘めているとは、長い付き合いの彼でさえ初めて知る事であった。


 確かにあれ程の力をおいそれと使えば、各国の均衡は崩れ、平和の礎を揺るがしかねない。

 今までその機会がなかった幸運に感謝すると共に、まさに今が、それらの力をもってすら容易く打破できる状況にはないことを深く理解する。


 彼らに比べれば、ジャンなど平凡な人間である。

 多少の事は他人より器用にこなす事ができるが故に、生真面目に過ぎる騎士団長の事務的な補佐として抜擢されたに過ぎない。

 先日も油断と甘さから、せっかく捕らえた手配犯を逃すという失態を犯している。

 にも関わらず、領主と騎士団長、双方から任じられた司令官としての責務は、正直に言って彼には重過ぎるのではないかと内心では思っている。


 しかしだ。

 ここでジャン率いる防衛軍が戦線を維持できなければ、フロントが崩壊する。

 仮にソルドニアが黒幕を打ち取ったとしても、フロントが無事でなければ開拓は立ち行かない。

 前線へ赴いた英雄達の決断を無駄にすると共に、二人の自分への期待をも裏切る事に繋がる。


 アシュリスは堅実な為政者だ。出来ると判断した仕事しか部下に回さない。それならば、自分に十分務まると信じて全うするのが、部下として、騎士としての責務であろう。


 己を奮い立たせながら、戦場を一望出来る物見櫓への階段を上がるジャン。

 上で見張りをしていた兵士達が敬礼をしてくる。


「お疲れ様です、指令」

「ああ、お前達もな。戦況はどうだ」


 自分でも双眼鏡を持ち、眼下の戦場を眺め始める。


「先程の光の筋を合図としたように、森から次々と蛇人が進軍を開始しました。統率はなく、ただの突撃といった様子です」


 その言葉通り、森から続々と亜人の兵が突出してくるのが目に入る。


 西の水源は枯れたが、東の山麓からの河は健在で、森と防衛線の間を横切っている。

 その河を何の策もなしに渡ってくる蛇人は、魔銃隊の格好の的となっている。

 しかし頭を撃ち抜かれようと、腕や脚が吹き飛ばされようと、お構いなしに前進を続ける様は、予め聞いていたとしても不気味なものである。

 たまたま腹部を撃ち抜かれた者はその場に倒れ伏し、河の流れの一部となっていくが、動き続ける者の方が多い。

 兵の中にも動揺が広がりつつある。


「伝令。魔銃隊は狙撃を続行。岸に辿り着くまでにできる限り動きを鈍らせよ。奴らは不死ではない。河を超えてきたものは歩兵隊で、速やかに腹の虫を狙い止めを刺せ」

「はっ!」


 ジャンの伝言を受け、兵の一人が通信機へ向かっていく。


 速やかに伝達がなされ、前線の動きに精彩が戻る。


 岸辺には長方形の巨大な盾を構えた重装騎士が一列に壁を作っている。

 高台からの魔銃隊の射撃で倒し損ね、岸へ上がってこようとする者を、盾の隙間から長大な槍を両手で構えた兵士が刺し貫いていく。パイクと呼ばれる2mを越す長柄の武器だ。

 槍衾やりぶすまと呼ばれるこの戦法は、先のガーク族との戦でも使われる予定だった物だ。古典的ではあるが、単純な防衛戦においては特に効果が高い。一匹の上陸も許さずに戦線を維持している。


「しかし……本当にこれだけなのでしょうか」


 物見兵が思わずといった様子で疑問を口にした。


「そうだな。兵の使い方が杜撰ずさんすぎる。単に指揮官がいないのか。それとも、わざと……?」


 その時、森の入り口にずらりと大量の蛇人が整列をするのが目に入った。

 今までは飛び出してくるだけだったのだ。明らかに動きが違う。


「何をする気だ!?」


 注視している間に、彼らはそれぞれ手に持ったナイフのような物で、自らの首を刺し、抉り始めた。

 そして噴出するどす黒い血液。それらは地に垂れずに、上空へと立ち昇っていくではないか。

 見れば、戦場に倒れる蛇人の死体からも同じように血の筋が浮き上がっている。


 突如として起こる異常な光景は、兵達に大きな衝撃を与えた。


「撃て! とにかく奴等の動きを封じろ! 何もさせるな!」


 ジャンの伝令が飛び、気を取り直した魔銃隊から爆撃のような魔力弾が乱れ飛ぶ。

 爆発に巻き込まれ、数々の四肢が千切れ、宙に舞う。

 動きは止まった。しかしそれでも血液の流れは止まらない。空に吸い込まれるかのように、膨大な量の赤い滝となって、暗闇が広がりつつある空へ集合していく。


「あの球体を撃ち落とせ!」


 空に円形を成しつつある血の塊を見て、魔銃隊の爆裂弾の使用を促し、伝令を飛ばすジャン。


 果たして数条の軌跡が球体を穿ち、派手に爆発を引き起こした。

 爆炎と共に、黒い血が周囲に飛び散る。


 ──いや。それはすでに血ではなかった。


 べちゃりと地に落ちたそれは、ぐにゃりと平面から立体へと起き上がるようにして形を変えた。


 見た目は蜘蛛に似ている。八本の節くれだった足で大地に立ち、細長い体を支えていた。その胴体はまるで白い蛇のようにうねっている。大きさは人の膝丈位だろうか。

 寄生虫本体に酷似した細長い胴体に、足が直接生えた世にも不気味な怪物が、続々と飛び散った血液から生まれてゆく。

 見れば、空に残った球体からも、わらわらと、まさに蜘蛛の子が卵から孵るかのように流れ落ちてくる。


 あまりのおぞましさに、兵から恐慌にも似たどよめきが沸き上がる。


「落ち着け! 不気味だろうがたかが蟲だ! 対処は変わらん! 掃射しつつ迎撃せよ!」


 ジャンの叱咤に、怯えを残しながらも魔銃隊が射撃を再開する。

 しかし今回は、意思があるように縦横に駆け巡り、狙いを付けることが困難である。的が小さくなったのも問題だ。

 ついには河を渡り切り、歩兵部隊との戦闘に入る者達が現れる。


「まずい、乱戦になる。篝火の準備を急げ!」


 ジャンが指示をする間にも、歩兵部隊と蛇蜘蛛の激突は始まっていた。

 蛇蜘蛛は小さく、見た目通りに脆い。一般兵の槍の一突きでも、胴体に刺さればびくりと震えて動きを止める。

 しかし小さい分俊敏で、体全体が細く、狙いを付けるのがなかなかに難しい。


 そして何より数が圧倒的であった。

 空中に浮かぶ黒い球体から、とめどなく滝のように流れ出してくるのだ。

 多少の数を減らそうと、その屍を乗り越えて新しい個体が次々と沸いてくる。


 ついには、重装騎士達の盾を同胞の死体を土台にして登り始め、岸辺へと一斉に雪崩れ込んできた。


 機転の利く者は即座に盾や槍を捨て、腰の剣で対応を始める。しかし間に合わなかった者は瞬時にたかられ、蟲の群れに埋もれていった。

 戦いを始めた者達も、少しでも手間取れば、足に組み付かれ動きを封じられ、一気に複数の虫に飛びつかれていく。そして足の先の鋭い爪が容赦なく兵の体を貫いていった。

 

 前線が崩壊を始めるのを、ジャンは呆然と見ているしかできない。

 兵たちは奮戦しているが、これ以上何をどう指揮すれば良いのか。


 戦場を広く照らすための篝火が盛大に焚かれた。

 その明かりが照らすのは、最早地獄と言っても良いような血みどろの光景だった。


 そこへ──河の中央に一条の光の筋が突き刺さるのが見えた。


 巻き起こる轟音と閃光。


 ジャンの視界が戻った時、水面には大きく吹き上げられた飛沫と共に、五体が弾け爆散する大量の蟲の姿があった。


 その水が河面へ落ちていくのと同時に、闇夜の上空から一つの影がこちらの岸辺へと落ちていくのが見えた。


「──おおおおおおおお、ぅらあああああああああ!!」


 野太い咆哮が辺りに響き渡り、着地と同時に振り下ろされた何かによって、地面に巨大なクレーターが穿たれる。


 ズドオオン!!


 その衝撃によって、数十体の蟲の体が吹き飛んでいった。


「街道側の掃除で遅くなっちまった! 竜牙のナイン! 今から参戦するぜぇ!!」


 ナインは名乗りを上げながら、地面にめり込んだ棍棒を引き抜くと、周囲にたむろしていた蟲達を一瞬で蹴散らした。


「おお、来てくれたのか、ナイン殿!」


 ジャンの目に歓喜が浮かぶ。東の街道沿いの防衛を任せていた冒険者部隊が、あちらの掃討を終えて合流してきたのだろう。


 見れば押され気味だった兵達の間に、武装の統一感の無い戦士たちが割り込んで戦に参加している。


「指令さんよ! 今のうちに一旦兵を下げな! 化け物の相手は冒険者の仕事だぜ!」


 物見櫓まで響く大音声でナインは叫ぶと、無造作に棍棒を振り回して蟲を叩き潰していく。


「感謝する! 歩兵隊は下がって態勢を整えよ!」


 伝令を飛ばすジャンの横へ、すとんと何者かが空から降ってきた。


「はーい、指令さん。ただいま」

「アルト殿!」


 飛行の魔術で運んできたナインを、上空からの爆炎射撃と共に放り投げてきたアルトであった。


「東はもう大丈夫。そもそも金毛羊の縄張りだからね。任せといて平気だったわよ」


 襲い来る蛇人や大量の蛇蜘蛛を、村長達テイマーの指揮の元で蹂躙していく様を思い出し、アルトが忍び笑いを漏らす。


「大理石の町にも数チームが向かったわ。手はず通り、逃げ遅れた住民を例の館に避難させて籠城してるそうよ。しばらくは保つってさ」

「そうか。オーウル殿は後から?」

「ええ、飛行や俊足の魔術が使える奴らだけ先行してきたのよ。と言う訳で、ギルドの隊はこっちに合流。けっこう旗色悪そうね?」

「ああ、君達が来なければ戦線は崩壊しつつあった。感謝する」

「あーまだまだ。お礼は全部終わってからね」


 頭を下げようとするジャンを制して、手をひらひらさせるアルト。


「……そうだな。いや、流石歴戦の猛者と言われる閃光殿。落ち着いたものだ」

「こっち来てから良い所なかったからね。ここで魅せなきゃお姉様にも良い報告できないし」

「お姉様?」

「ああ、こっちの話。ともかく、これで終わるとは思えないから、魔銃隊の指揮権こっちに貰える? あの黒い球、ほっとくとロクなことなさそうだから。集中射撃して落とすわよ」

「では委任しよう。我らはフロントの外壁を固める事に注力する。ご武運を!」

「そっちもね」


 ジャンが差し出した軍用通信機を受け取るついでに手を軽く握り返すと、アルトは再び飛行の魔術を発動させ、夜闇へ高く飛び立っていった。

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