第72話 汚泥と浄化

「無事に『光輝』を発動したようだな」


 ガーグ族集落傍の物見櫓から、光の帯が黒い球体を消滅させたのを確認したアシュリスが呟く。

 後は山の麓にて先行隊と合流をしてくれるのを祈るのみだ。


「そして次はこちらの番のようだ」


 視線を湖跡へと移し、その有様に顔をしかめる。


 完全に毒に侵されて、周囲に生命の気配がない死の荒野。

 まさにその死の溢れる地が、大きく変化を起こしていた。


 湖であった中心の地点が、脈絡も無しに液状化を始めている。まるで水が存在するかのように、脈動しているのだ。


 次の瞬間、大きな地震が起きる。


 ズドン、という強い揺れにたたらを踏みながらも、観察を続けるアシュリスの目が瞠目される。


 液状化した湖底の泥が、噴水のように大きく吹き上がっていたのだ。

 以前の黒い塊と同等か、それ以上の高さである。


 ヴォオオオオオオオオオオン!!


 「それ」が凄まじい咆哮を発した。

 数㎞先のここまでも振動が届くような魔力が込められている。

 その咆哮に呼応するかのように、「それ」の周囲からもぼこぼこと何かが沸き上がってくるのが、視力強化の魔術を通して確認できた。


「予想はしていたが、どこまでも悪趣味な連中だ! 毒の汚泥でゴーレムを作るとはな!」


 あれだけの瘴気を孕んだ場所は、それだけで魔術の基盤となり得る。そのまま放置するはずが無いと予測し、監視をしていたのだ。

 今や巨大な人の形をなした「それ」と、その足元に群がりつつある小型の泥人形を認識し、アシュリスは背後に控えた部下達に指示を出す。


「魔力増幅! 私のサポートへ全て回せ!」

「「はっ!」」


 あれだけの猛毒で形成されたゴーレムなど、その辺りを散歩されるだけでも大惨事になる。絶対にここで止めなければならない。

 その使命を強く感じ取り、アシュリス直属の弟子とも呼べる高位魔術師達が、アシュリスを起点とした円陣を組んで魔力を集中させ始める。

 彼等の魔力を受け止めながら、アシュリスが手に持った杖の先で空中に術式を描き始める。

 それに呼応するように、アシュリスの身に着けた魔道具の宝石が、眩く光を放ち始めた。


「あまねく天を照らす者。灼熱にして光り輝く大いなる者。空を統べる根源たるマナの礎よ。今ここに其の映し身を顕現させ給え」


 普段の魔術でアリュリス程の高位魔術師が詠唱などを行う事はほとんどない。詠唱や術式は未熟な魔術の精度を上げる為でしかないからだ。

 では今、何故アシュリスは丁寧に術式を編み、詠唱を紡ぎ、かつ部下の魔力まで組み込んでいるのか。


 答えは簡単だ。自身の知る最大最高の攻撃魔術を、完璧な状態で発動せしめる為である。

 その為の大量の魔道具であり、丹念な術式構築であり、部下からの魔力供給であった。


 カッ、と杖の先端を地に打ち付けるアシュリス。その眼前に、複雑な文様が散りばめられた、人の背丈ほどもある巨大な魔方陣が浮き上がる。


「其は何ぞ。我が眼前の敵を焼き尽くす、無慈悲な炎熱であれ。我が求めに応じ、照らす全てに平等な浄化をもたらせ!」


 アシュリスが詠唱を終えると、魔方陣が激しく光を放ち、転移した。


 未だ咆哮を続ける泥の巨人の真上に、水平になって展開した魔方陣は、瞬時に湖の跡を超えた広範囲の上空を覆い尽くした。


「顕現せよ。偽りの太陽よ!」


 その言葉が最後の引き金となり、魔方陣からゆっくりと炎が姿を見せ始める。


 いや、炎などと生温いものではない。言葉通り、太陽のような激しい光を放つ、超高熱の球体が迫り出してくる。


 ヴォオオオオオオオオン!


 泥の巨人がその疑似太陽へ向けて腕を振り上げる。


 ジュワアッ!!


 近づけた先から瞬時に蒸発していく泥の塊。

 足元で発生していた小さな泥人形達も、為すすべもなく溶けていく。


 ヴォオオオオ……


 巨人は質量がある分時間がかかっている。悶え苦しみ、手足を大きく振り回す度に、猛毒の混ざった泥が周囲の森へ向けて飛び散るが、それすら諸共に焼き尽くされていく。


 今や湖を中心とした半径10㎞は灼熱地獄と化し、範囲内の全てを容赦なく灰と変えていった。


 もちろん集落の側へは完全な防熱魔術を施した上での発動である。


 「疑似太陽顕現」。

 アシュリスの知る攻撃魔術として最高位の魔術である。

 見ての通りの広範囲に容赦なく降り注ぐ太陽風は、その土地の生態系を容易く崩壊させてしまう。そのためアシュリスも、実験以外で本気で発動したのはこれが初めてとなる。


 使う覚悟が決まったのは、地質調査に向かわせた部隊からの報告書を読んでからだった。

 黒い塊が占拠していた部分、及び進出してきた土壌は完全に猛毒に犯され、生命を育める土地ではなくなってしまった。

 地面からは、時が経って気化を始めた毒がガスとして充満を始め、瘴気とも言って良い濃度となっている。調査隊も魔力障壁を強化しなければ立ち入れない程だった。浄化を進めるとしても何十年単位となるだろう。

 幸いにして、堰き止めるのが早く、下流への影響は少なく済んだ。そしてサンデーによりガーグ族の集落には新しい水源が確保されている。その為湖周辺は完全に破棄する事を決定した。


 今回この辺りが戦場になるだろう事を予測して、いっそ一度丸ごと焼き尽くした方が再生が早まるのではという期待もあって選んだ魔術だった。炎とは破壊だけでなく復活も司っているのだ。


 狙い通りに敵は、湖の瘴気を利用してゴーレムを作ろうとした。しかしアシュリスもソルドニア同様、初手で制圧する事を選んだ。


 召喚した疑似太陽は10分程で燃え尽きるが、その渦巻く熱波はまだしばらく残り続ける。敵が増援を投入しても、その灼熱を浴びて無事でいられるはずがない。

 万が一抜け出してきたとしても虫の息だろう。そこを待ち構えた防衛隊で潰して行けば良い。


 燃え尽きていく泥の巨人を見やり、作戦が上手くはまった事に満足感を得ながら息を吐くアシュリス。

 その背に、部下の一人が素朴な疑問を浴びせた。


「お見事でした、アシュリス様。しかしこれ程の大魔術を行使できるのなら、カルト共のアジトごと消し飛ばしてしまえば良かったのでは?」


 そう指摘されたアシュリスの顔は複雑そうだ。


「……それも考えなくはなかったのだがな。アジトが地下の火山洞窟だとすると、どこまで根を張っているか見当が付かん。流石に山全てを吹き飛ばすのは無理がある」


 振り向くと、更に言葉を続ける。


「そして仮にだ。奴らが私の魔術をも防ぎ切らないとも限らない。大規模魔術の混乱に乗じて逃げられれば、今度こそ足取りは掴めなくなるだろう。ならばこそ、白兵戦最大戦力であるソルドニアを送り込んで、直接仕留める方が現実的だと判断したのだ」

「……成程。私が浅慮でした」


 部下が頭を下げて詫びる。


「良い。今までは後手に回っていたが、今回はこちらから全ての企みを叩き潰してやる番だ。後は手はず通りにやれ。追加戦力があるかもしれん、油断はするな」


 アシュリスはそれだけ言い置き、その場を部下に任せて本陣の天幕へと向かった。


 その身を激しい疲労感が襲うが、他の戦線の状況も確認しなければならず、休む暇は無い。

 予想が正しければ、カルト教団を壊滅させない限り、明日の新月までこの猛攻は続くはずなのだから。


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