第61話 黒き混沌 3

 アシュリスはその端正な顔に悲壮な決意を浮かべ、黒い立方体と化した怪物を見据える。

 そして、それを湖ごと完全に消滅させる為の術式を構成し始めた。


 ……その時だ。


「──やあ、少々遅刻してしまったかな」


 突如、気楽な声が降って沸いた。


「姐さん!」「お姉様!」「サンデー殿!」


 多種多様な呼び名が、唐突に現れた黒い服の美女へと浴びせられた。


「おはよう諸君。何だ、もう始めてしまっているのだね」


 いつの間にそこにいたのか、エミリーを伴ってアシュリスのすぐ後ろに立っていた。

 疲労困憊な様子の面々を見て、サンデーが察する。


「成程成程、あれが件の化け物という訳か。確かに黒いね」


 あれ程の化け物を目にしても、いつものように羽扇の下で笑っている。


「君達は一汗かいて疲れているだろう。しばし休憩していると良いさ。その間に、私はあの子を間近で見物してくるとしよう」


 言うが早いか止める暇もなく、エミリーと共に櫓を跳び降りてしまった。


 アルトがはっとして櫓の下を見下ろすが、当然のように二人は無事に着地したようで、すでに上流へと歩き始めていた。


「あ、あたしも偵察してくる!!」


 手近な樹の枝へと飛び移り、とんとんと枝伝いに二人を追っていくアルト。


「……さて、どうしてくれるのやら」


 大きく息を吐きながら、アシュリスはその場に座り込んだ。

 他の面々も緊張の糸が切れた様子でへたり込んでいる。


「なあに、姐さんなら悪いようにはしねぇさ。もう一安心だろ」


 ナインもどっかりとあぐらを組んで座り込み、太鼓判を押してみせた。


「そうかもな……」


 アシュリスも、後はサンデーがどうとでもするのではないかとの期待が胸に湧く。

 ただ、自分達の手で解決に導けなかった事が情けなく、心残りでもあった。




 かつて湖の淵であったと思われる場所に、サンデー達は立っていた

 その目前には、全身に数多くの目玉と口を備えた真っ黒い粘液状の物体。

 それは見えざる拘束から抜け出ようと身を捩りながら、甲高い声で哄笑を上げていた。


 キャハハハ!!

 キャハハハハハハ!!


 単体で聴けば、無邪気な子供が上げる可愛らしい声に聞こえたのだろう。しかし千とも万とも思える笑いの大合唱は、聞く者の精神を蝕んでいく。


 そんな哄笑の嵐に晒されながらも、サンデーとエミリーは平気な顔で枯れた湖底を進んで行く。


 一枚のガラスを隔てたように、手の届く場所まで来ると、その身体をじっくりと眺め始めた。


「ふむ。こう、目や口の器官が大量にあるキャラクターというのは時折見るが、なんとも形容しがたい可愛らしさがあると思わないかね? 以前訪れた国でも、こういった王道から多少外れた物が意外に人気を博していた記憶があるのだが」

「あ~ぶさかわ系というものですかね~? 私にはわかりかねますが~。サンデー様の『可愛い』は幅が広すぎるんですよ~」

「……全く同感ね」


 いつの間にか追いついていたアルトが、エミリーに賛同する。


「そうかね? 確かご当地キャラクターというものが流行っていた地域では、こういったデザインを『ゆるキャラ』と称して売り出していたものだよ。私もいくつかコレクションしている」


 先日のお茶会のセットに紛れていた、得体の知れないぬいぐるみがそうだったのだろう。


「それにしても、この光沢のある艶やかな体表を見ていると、何だかコーヒーゼリーを連想しないかね?」

「あ~いいですね~、最近そっち方面のスイーツには手を出してませんしね~」

「いや、それはちょっと……」


 アルトが咄嗟に否定しようとするが、以前の見事なイカ焼きの味を思い出し、言葉に詰まる。


「もしかしたらワンチャン……?」


 ──キャアアハハハハ!!


 その時突然、黒い塊の動きが激しくなった。自らを食べ物に比喩されたのが気に入らなかったのだろうか。

 自壊が進むのも気にせず滅茶苦茶に藻掻いている。

 その内に、びしり、と何かにヒビが入る音が響いた。


「──いけない!! 拘束がける!」


 拡声魔術であろうアシュリスの声が届く。

 それを裏付けるように、目の前の捩じれた巨体がゆっくりとほどけ、真っ黒な滝となって溢れ出して来る。


 キャハハハハ!!


 そして一番手近にいるサンデーの元へと雪崩れ込む。

 その身が圧倒的な質量に飲み込まれる刹那、サンデーは胸元から何かを取り出していた。


 手には、何処にでもあるような小さな瓶が握られている。

 それを、流れ落ちて来る黒い瀑布へ口を向けてみせた。


 キャハハハああばっぶうぐぶぶぶ──


 哄笑が途中から、排水溝に注ぎ込む水のような、濁った音へと変わっていく。


 ごぼごぼと音をあげながら、サンデーの持つ小瓶に吸い込まれていく黒い粘液。


 ゴボブ……キャハハババ……キャアアアアアアア……


 最後には絶叫のような声を残して、全て瓶の中へと消えて行く。

 あの大質量が嘘のように、サンデーの手の中の小瓶に収まってしまったのだった。


「──どうなったと言うのですか!?」


 飛行の魔術で移動してきたのだろう、アシュリスが中空から地面へ降り立ちながら問いかけて来る。


「この通りだよ」


 手の中の小瓶を掲げて見せるサンデー。瓶の中には光沢を放つ黒い液体が蠢き、目や口が浮かんでは消えていく。


 小瓶を見てみれば、量産品の清涼飲料の容器のようだった。見覚えのあるラベルが貼ってある。


「それは、特に魔導具という訳ではないのですよね?」

「ああ。たまたま今朝飲んで持っていただけだ。ちょうど良い入れ物になった」


 サンデーの手にかかれば、どんなものだろうが魔道具と化してしまうのだろう。アシュリスは深く考える事を放棄した。


「こうすると万華鏡のようじゃないか。なかなか可愛らしい」

「そ、そうですか……もう危険は無いと判断しても?」


 サンデーの美的センスには突っ込まずに、事実だけを確認するアシュリス。


「大丈夫だとも。味見はこれからだが」

「は? 味見?」


 アシュリスが単語の意味を理解するより先に、サンデーの指が小瓶へと入れられ、黒い粘液を一掬いしてみせる。

 そして躊躇いもなく口へと運んで一舐めした。


「な、な……!?」

「ふむ、舌触りはゼリーと言うよりはジャムのようだ。少しぴりっとした刺激が残るな。期待していたスイーツとはいかないが、これはこれで面白い味だ。マスタードの代わりになるかな?」


 あれだけ手を焼いた化け物が、サンデーにとっては食材でしかないというのか。

 海魔がサンデーの支配下へと入ったとだけ報告を受けて、その細かい顛末を知らなかったアシュリスが、その場にへなへなと座り込んだ。


「サンデー様~、私にもくださいよ~」

「いや、君にはこれは毒性が強そうだ。我慢しておき給え」


 エミリーには渡さず、小瓶の蓋を閉めて胸元へ仕舞うサンデー。


「原理はさっぱりだけど、やっぱりお姉様凄い……」


 その姿をアルトがうっとりと見詰めている。


「ああそうだ、領主君」


 ふとついでのようにアシュリスを呼ばわるサンデー。


「はい、何でしょうか」

「今味見をして分かったことだが、この子はかなりの毒性を持っている。後程付近の水と土壌の検査をしておくといい。恐らくかなり汚染が進んでいるだろうね」


 全く変わらない調子で重大な事を話し始めるサンデーに、アシュリスは一瞬反応が遅れた。


「……まさか河にも漏れ出して!?」

「可能性はある。先程の櫓を堰に作り替えて、河を堰き止めておいた方が無難だろう。まあ、水源の湖自体がこの有様だ。遠からず河も枯れるだろうけどね」

「……ご忠告感謝します」


 アシュリスは一礼をすると、追ってきた部下に指示を出し始めた。フロントへ戻り調査隊を手配するのだろう。


「さて、この水源が駄目となると、困るのは君達だろう」


 歩いて追いついてきたガーグ族へ視線をやるサンデー。

 湖周辺は毒性の件を抜きにしても、黒き魔物により湖の生態系は破壊されていた。この水源に頼る事はもうできないだろう。


「うむ。恥を忍んで下流の民へ庇護を願うか。東の森の部族と交渉して水源を分けて貰うか。これより集落へ帰還して皆と相談せねばなるまい」

「ならば私も同行しても良いかな? 君達の生活に興味がある」

「構わぬ。ぬし……いや、貴方こそ此度の功労者。むしろ一族総出でもてなそうぞ」


 深く頷き快諾する族長。


「決まりだね。それでは領主君。これにて失礼するよ。後片付けが大変だろうが、頑張ってくれ給え」

「はい。この度もお世話になりました。お暇があればまた領事館へとお寄り下さい」

「助かったぜ、姐さん。今度一杯奢らせてもらうぜ!」

「おね……サンデーさん! ありがとうございました!」


 サンデーはアシュリス達の深々としたお辞儀を受けつつ、ガーグ族に先導されてその集落へと向かって歩き出すのだった。

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