第62話 闇に蠢く者達
一切の光も届かぬ地の底。とある洞窟の最奥。
地上から何百mもの地下まで、広く深い縦穴が続いており、その最も下層にその広場はあった。
途中の壁のそこかしこから、太く長い鍾乳石が、氷柱のごとく垂れ下がっている。人が抱え切れない程の大きさから見て、数千年の月日がこの岩穴を形成したのだろうと推測できる。
沁み出した石灰質の液体が地面に溜まり、滑らかで凹凸の少ない白い床を作り出している。
その比較的平らな部分を用いて、複数の人影が集まり、何事か作業へ従事していた。
周囲にはいくつもの蝋燭が置かれ、仄かに空間を照らし出している。
しかしそれよりも明るいものが、足元に存在した。
大きな円の中に、複雑怪奇な文様が様々に描かれた魔方陣らしき図形が、床一面に広がっている。その表面は青白い光が激しく明滅し、いくつかの黒いローブ姿の人型を闇の中へ浮かび上がらせる。
人影の数は五つ。各々均等な距離を取って円の外周へ立ち、口元で小さくぶつぶつと、何事か言葉を紡いでいる。
もう一人、その様子を離れた位置で観察する人物がいた。
同じように黒いローブを羽織っているが、こちらの方が装飾が派手である、肩へストールのような暗い赤色の布をかけ、胸の前に垂らしている。全体の配色は禍々しいが、教会の要職にある者のような出で立ちである。
頭までを黒いフードで覆っており、布の上から簡素な額冠を頂いている。
フードの奥は真っ黒に塗り潰したように、顔はおろかその輪郭すら伺えない。
口元までも闇に隠れ、その動きは見えないが、呪詛のように陰鬱な声で、詠唱らしき声を絞り出していた。
手には捩じくれた奇怪な形状の杖を持っている。上部には人の頭蓋骨のように見える髑髏が飾られ、不気味な事この上ない。
それを持つ手には黒い手袋がはめられ、素肌を晒している部分がまるで無かった。
その手に持った杖の先を、詠唱の指揮を執るように、一定の間隔で床へと打ち付けている。
かつん……かつん……
詠唱と杖が床を叩く音だけが、淡い闇の中で響いている。
ふと、こつこつと、杖が上げる音以外の硬い音が混じる。
蝋燭の明かりの外、暗闇から染み出すようにして、黒いローブの人影が現れる。
杖を持った人物へと歩み寄ると、顔を寄せ、その人物にだけ聞こえるように小さく呟いた。
「司教様……黒き者が支配から外れました」
「……あれが滅ぼされたと言うのか?」
僅かな驚きを含んだ返事が漏れる。
「不明です。支配が切れる直前に、領主と虫共が徒党を組み、戦闘に入った事までは確認しておりますが。かの領主の大規模魔術により打撃を受け、視覚共有の術が途切れました。先日の深き者と同様に、生死と共に存在そのものが確認できません」
「あの領主め。思った以上の使い手だったか。まさかあれを退けるとは」
報告を受け、舌打ちと共に吐き捨てる。
「虫けら共も、開拓民と手を組むとはな。大人しく共倒れになっておれば良いものを」
「それにつきましては、両者の仲を取り持った人物がいるらしいとの報告が入っておりますが、真偽は不明です」
部下の報告に、嘆息を漏らす様子の司教。
「どういう事だ」
「申し訳ありません。何しろ戦場一帯に大規模な魔術妨害の障壁が張ってありまして。遠見の術が通じず、不確定な情報しか得られませんでした」
「ふん。それも領主の仕業か。周到な奴だな」
「もしくは、船で深き者を退けたという不殺なる魔女の仕業かもしれません」
杖を打つ手が止まった。
「不殺……我ら同様悠久の時を生き永らえながら、自らの道楽にしか興味を持たぬという痴れ者か。実在したとはな」
「吸血鬼の一味や蟲使いも、彼の者が捕らえたと報じる新聞記事もございます。我らの監視を掻い潜り、それらを成したのであれば油断できぬ相手かと」
司教は魔方陣を囲む者達へ視線を向けたままだ。
床を打つ手が止まっていたが、魔方陣を囲む者達の詠唱は止んでいない。それを確認し、満足気に頷く司教。
「陣の構築は問題無い。が、我らが智慧を授けた者共を殺さずに捕縛したのなら、そろそろ我らの存在が洩れるやも知れぬ。まだしばしの時を稼ぐ必要がある」
「それでは、あの蛮族共を焚き付けますか?」
「うむ。低俗な連中だが、多少の足止めにはなろう」
司教は鷹揚に頷くと、ローブの袖から何かを取り出し、部下へ向けて放り投げた。
部下が受け止めたのは、黒水晶で作られた精緻な腕輪だった。
「しばし貸す。思うように混沌をもたらせ」
「はっ……有難く拝借いたします」
一礼しながら両手で掲げ上げてみせると、部下はそのままの姿勢で後ろへ下がり、闇へと溶けて行った。
「あとしばし。あとしばしなのだ」
司教は少しの間、洞窟の高い天井を仰ぎ見るように上向いた。
「我らが悲願は最早目前。誰の邪魔も受けるものかよ」
微かな笑い声を含ませながら、黒い司教は再び杖を打ち付け詠唱に戻るのだった。
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