第12話 領主の憂鬱
領事館の主、即ち領主の執務室。
館内の雰囲気と同じく、必要最低限の物しか置かれていない。左右に資料等が整然と並べられた書架。正面の窓を背にして大きな事務机。脇にはイチノ王国の国旗が掲げられている。
机上に右手を置きながら、女が椅子の背もたれに身を預けている。
左手には新聞を持ち、食い入るように読み耽っている。
時折右手の人差し指をとんとんと机に打ち付ける音が響く。
この部屋の主、開拓島領主であるアシュリス・ワグヌだ。
明るい茶色の髪を長く伸ばし、うなじの辺りで軽く纏めてある。同じく茶色の瞳は、落ち着いた知性を感じさせる。
魔術師らしくゆったりとしたローブを羽織っているが、ほっそりとした首元から、無駄な肉は付いていないだろうと想像できる。
派手な貴金属は付けておらず、ローブ自体も生地は良いが簡素なデザインだ。建物同様、実用性を重視しているのだろう。
しかし華が咲いたような美貌が、服装の地味さを帳消しにしていた。
サンデーと対比しても見劣りはせず、また違った美だ。
サンデーが月下美人のような神秘的な美なら、アシュリスは金木犀の香りのような、慎ましやかに見えて人を惹きつける目に見えない魅力が有る。人の上に立つべくして立つ者の品格、カリスマと言っても良いだろう。
元はイチノ王国宮廷魔術師として魔導科学の発展に貢献してきた才女である。現在使われている魔導具の基盤は全て彼女が作り上げたと言っても過言では無い。
加えて不老の魔術を体得した大魔術師でもある。
この世界に於いて不老者の存在はそれほど珍しくは無い。
ただ大抵は年老いてから会得するものであり、ほとんどの者は老齢の姿である。そして多くの者はそこで満足し、歴史の陰に埋もれていく。
これは不老の術が身体の成長や老化を留めるだけの効果である故だ。老いを止める事はできても、若返る事は出来ない。それは時間を遡る領域であり、神の業だ。
アシュリスの肉体年齢は20代後半。つまり彼女がそれだけ早く魔術の1到達点に達した大天才である事を示す。
それだけに飽き足らず魔導科学の研究を続け、イチノ王国の支援により日の目を見るようになった。
5年前に前任の領主が病気で亡くなり、実務能力の高さに期待され、後任を託される事となる。未知の島と聞いて研究本能が刺激されたせいもあり、二つ返事で引き受けたのだ。
以来様々な交易品を生み出し、傾きかけた開拓事業を再び盛り返した立役者である。
そんな彼女は今、非常に大きな問題に直面していた。
今朝方到着した騎士団長の報告は驚くべき物だった。
『安全を確保したと思われていた航路で謎の海魔に襲われ、沈没しかけた挙句、居合わせた不殺の英雄が撃退した』
大雑把にまとめればこうなるが、このたった数行ですら情報量が多すぎる。
この10年で万難を排して確立した航路であり、数十mを超すような存在は今まで確認されていない。せいぜいが10m程度の海竜や大ダコだ。
そしてフロンティア号の乗組員は、操船はもちろんの事、戦闘訓練も受けており、有事の際には優秀な兵となる。過去大ダコに襲撃された際も、全て見事に撃退している。
その上今回は、王国きっての剣士であるソルドニアや、何人もの腕の立つ冒険者も同船していたのだ。並の魔獣に手を焼くはずも無い。
そんな戦力を上回る怪物が出たと言うだけで大事件であるのに、更に伝説の英雄までもが付いてきてしまった。
頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、ひとまずは情報を整理するために資料を読み漁っている所であった。
彼女の手にあるのは王国新報社の新聞。それも過去の物だ。机の上には他の時代の古い新聞が山と積まれている。
「不殺の英雄漫遊記」が掲載されている物だけを選別してある。
彼女もその名前は聞いた事は有る。しかし王国に仕える以前は人の住まない秘境と言える場所に籠って研究に勤しむ日々を送っており、庶民の娯楽という物とあまり縁が無かったのだ。
ソルドニアが館に招待すると言うので、立場上自分も同席しなければならない。その為にサンデーなる人物像を掴んでおこうと過去の記事を読んでいる所だった。
あまりに数が多いので、漫遊記に詳しい部下にお勧めの逸話を選んで貰った訳だが、それでもかなりの量だ。
漫遊記のみを抜粋した文庫版もあるが、新聞の報道欄と照らし合わせるべきと判断した結果がこれだ。
半分も読み終えない間にすでに日が暮れてしまっている。
そこまでで彼女が得た感想は、「化け物」の一言に尽きる。
今手にしているのは300年前の記事だ。彼女は知る由も無いが、折しも街の食堂にてエミリーが大雑把に話して見せた帝国での話である。
エミリーが語らなかった概略はこうだ。
当時圧政を敷いていた皇帝が、不老不死の術を求め、自国の民で実験を繰り返すようになった。それが引き金となり国民の不満が爆発し内乱が起こる。
そこへたまたま旅行に訪れた、不老と言われる不殺の英雄に皇帝が目を付ける。捕らえようと刺客を放つが、英雄は返り討ちにして捕らえた刺客に案内をさせ、皇帝の居城まで乗り込むと、当の皇帝まで捕縛してしまう。
そして民衆の前で土下座をさせた挙句に反乱軍へと身柄を引き渡し、めでたく革命は成就。帝国は共和国へと名を変えたのだと言う。
「滅茶苦茶だ……」
開いた口が塞がらない様子のアシュリス。
内乱中の国へ観光へ訪れる事もそうだが、単身で城を落とす等正気の沙汰ではない。
他の記事も万事がこの調子である。旅行先で事件に巻き込まれ、あるいは巻き起こしては出鱈目な手段で解決する。半ばフィクションと思われているのも頷ける。
ソルドニア以下の騎士団の者達は直接力を見た事もあって、完全に心酔している様子だったが、領政を任されるアシュリスにとってはあまり楽観視できる物ではない。
現在の開拓島の情勢はただでさえ不安定だ。
そこへかの有名人が乗り込んでくる等、何が起こるか皆目見当も付かない。
記事はコメディタッチに記者の目線で描かれている為、サンデーの心情が読み取れる場面はあまり無い。
その上で事実だけを抜粋した場合、サンデー自身が他者の命を奪う事は絶対に無い事。しかし敵意を持って向かう者には必ず破滅的な結末が待っている事。その結果が、多くの人々の救済に繋がっている事。この点においては揺るぎが無い。不殺の英雄という二つ名が確かに相応しい。
しかしアシュリスの分析では、サンデーなる人物は決して正義の味方では無いように見える。
観光を邪魔されたから撃退しているだけなのではないか、と
他者を守る気持ちがあるのなら、今回の船の件では率先して海魔退治に動いていないのはおかしい。
船の戦力だけでは無理だろうと判断したから、仕方なく手を貸したという方がしっくり来る。
多少の被害が出ようと、何とかなりそうならそのまま放っておいたのかも知れない。
事あるごとに自分は只の旅行者だと断じている様からも、その推測が正しいのではと思える。
更にアシュリスが警戒するのは、圧倒的なその能力だ。
報告によれば、巨大な海魔の触腕を指一本で破砕したと言う。アシュリスは自分にもそれが出来るかを想像してみる。
破壊するだけならば可能ではある。火球や稲妻の魔術なりを叩きこめば事足りるだろう。
突風の件にしてもそうだ。アシュリスならば嵐ですら巻き起こす事ができる。火力に関しては劣っているとは思わない。
しかし注目するべきはそこではない。決断力の速さだ。
甲板に上がるなり一目で状況を把握し、率先して自分を囮として進み
アシュリスは優れた魔術師であるが、本来は研究者であり長く実戦に身を置いていない。
同じ状況下でそれだけの戦果を挙げられていたかは自信が無い。
己惚れていたつもりは無かったが、自分と同等以上の魔術師の出現は彼女の心をざわつかせた。
思考の海に沈みそうになった頭を、ピピピという音が引き戻す。机に置かれた小型の通信端末が鳴ったのだ。
「……何か」
アシュリスがその通信器へ向けて応答する。
タブレットから余計な機能を削ぎ落し、通信機能のみに特化した魔導具だ。館内の各所に設置されており、こうして即座に連絡を取り合う事ができる。大陸間での通信は、軍用の大型通信機でなければ難しいが、数㎞程度ならば十分に届く。
『サンデー様がお見えになりました。お会いになるそうです』
「分かった。すぐに行く」
通信を切ると、しばし目頭をぎゅっと押さえた後、ゆっくりと立ち上がった。
考えはまとまり切らなかったが、やらねばならない事は決まっている。
まずは謝礼をしなければならない。礼儀を尽くせば敵意を持たれる事は無いだろう。
他の件については慎重に発言をする必要が有る。
恐らく今後の開拓島の命運を左右する会談になるだろうと、アシュリスは覚悟を決めてローブの襟を正した。
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