常夏の夢
生ウイロー
常夏の夢
東南アジアの、とある国。首都からも少し離れた、元小さな漁村。
そんなこの街に、日本から遠く離れたこの地に赴任する父親についてきて、早3年。秋から編入で日本の大学に通うことを決めた自分にとって、ちょうど残り半年となった海外生活。
友達と、極彩色の中を歩く。
中学の頃は、日本人学校に通っていた。
安全対策のため、敷地の周囲を2mを越えようかという高い壁と鉄柵で囲われた学校。その外見は、刑務所さながら。
しかし刑務所というよりは鳥籠という表現のほうが、実態には即していた。籠の中の小さなコミュニティは、当時人付き合いが得意ではなかった自分に最適だった。すぐに多くの友達ができた。というか、人数が少なすぎて話したことのない人がいなかった。
そんな中で出会ったのが、佐古先輩だった。
先輩は、静かな人だった。存在感を主張することなんてない。それでいて、立ち居振る舞いから美しい黒髪まで、一本筋の入った、凛とした佇まいが人目を引く。
最初は、一学年上である佐古先輩と話す機会なんて全くなかった。しかし、先輩が帰国する半年前、自分が中学二年生だったころに、軌跡は交わる。
秋、火炎樹が校庭を真っ赤に縁取る中行われる、人数相応のこじんまりとした体育祭。偶然同じチームで戦ったリレーで転んでしまった先輩を、偶然近くにいた自分が助けた。ただただ偶然としか言いようのない出来事。
救護テントまで運んで、保健教師が処置をする傍らで話を聞く。人との会話で、波長がピッタリ重なったと感じたのは、18年生きてきても未だにあの時しかない。
先輩に惹かれるのに、時間はかからなかった。授業間に廊下で。昼休みは、校庭のプルメリアの木の下で。話下手な自分に気を遣って、話しかけてくれる。先輩と話すだけで、心は空へと舞い上がる。先輩をみつけて話しかけるときは、いつも心臓が口から飛び出しそうだった。でもその感覚が、たまらなかった。
「それ、恋じゃない?」
そう友達から言われて初めて、この感情に名前がついた。
だが、幸せな時間は長くは続かない。
三人兄弟にかかる海外での学費の高さから、高校入学のタイミングで日本に帰ることを決めた先輩に対して、父子家庭である自分は現地のインターナショナルスクールに通うことが濃厚になっていた。ひとたび先輩が日本に帰ってしまえば、4000㎞を隔てた日常が待っている。学生でなかったとしても、遠い、遠い海の向こう。
だからこそ、先輩との確かな繋がりを求めた。
迎えた卒業式の日。
式が始まる前に抜けるように晴れていた空には、黒い雲がたちこめていた。卒業生が出てくるのを、鳥籠の中と外を隔てるゲートのそばで待つ。
晴れ晴れとした顔で、彼らが出てくる。鳥籠を出て、自由な世界へ羽ばたく渡り鳥の中に、先輩を探す。
「どこを探しているんですか?」
探していた人は、気づけば目の前にいた。
別れを惜しむ集団を離れ、いつものプルメリアの木の下へ。
満開の木は、真っ白に染まっている。黒く染まった雲との対比で、余計に鮮やかだ。
「最後くらい、ちゃんと見つけてほしかったなぁ」
「すみませんって」
静かに微笑む先輩。その胸中は、どんな想いで占められているのだろうか。
できるのなら、自分のことで埋めつくしてしまいたい。
「佐古先輩」
自分と、繋がっていてほしい。
「俺と、付き合ってくれませんか?」
沈黙が場を支配する。
やがて、目に涙を浮かべる先輩。どっちだ……
「多分、やめといたほうがいいんじゃないかな」
水滴が、花を打ち始める。それはやがて、二人の肩をも濡らし始める。
「なんd」
言いかけた自分に、先輩が飛び込んでくる。思わず抱きとめる。辺りを漂っていたはずのプルメリアの香りが、一瞬で上書きされる。
「今付き合ったら、ただただ寂しくなっちゃうと思うから」
会いたくても、海を越えられない。自分はまだ、海を渡れない。
一年の差は、たった一年でありながら、二人を引き裂くのには十分すぎた。
「だからさ、」
言葉を切って、先輩は顔を上げる。初めて見た泣き笑いの表情は、どんな表情よりも美しかった。
「どこかでまた会えたら」
先輩の双眸に、強い光を見る。
「その時は隣同士、二人で歩こう」
強さを増して降り続く驟雨。それでも、少し先の雲の切れ間から、光がさしていた。
あれから、4年。
会ったことは一度としてなかった。先輩は当時、連絡手段を持っていなかった。住所の交換をすればよかったと気づいたのは、先輩があの鳥籠から出た後だった。
日本人コミュニティが主催する夏祭り(春)に、インターナショナルスクールの友達と来ていた。4年前は、先輩を誘おうとして、勇気が出なかった祭り。
「Hey, what's your recommendation?」
「He haven't answered anything for a minute. He is just going into sleep mode like PC.」
「Damn it. I'm just curious about this shapeless sweet...」
気づけば、綿菓子屋の屋台の前で、友人たちが何やら騒いでいた。どうやら、綿菓子が気になっているらしい。正体を教えると、彼らは躊躇なく列に並びにいく。
極彩色の世界で、せわしなく視線を左右させる。
いる訳もない先輩を、探してしまう。
あの約束を果たすときが、来ることはあるのだろうか。
「さぁお待ちかね、Ms.Matsuriのコーナーです。このお祭りでスタッフが見つけた美人さん、または一芸を持った人を紹介するこのコーナー、楽しみですね~」
日本人と現地人が交互にしゃべる、独特なステージ。司会者の呼びかけに応じて、数人の女性がステージ上へと姿を現す。一番最後に出てきた、イッテ〇のメンバーを見て、日本人からどよめきと歓声が上がる。でも自分には、先頭の一人、夜風に踊る黒髪にプルメリアの髪飾りをつけた、浴衣姿の女性しか目に入らなかった。
彼女にマイクが渡る。
「どこから来られたんですか?」
「日本から来ました。」
「まさかこの祭りのために?」
「いえ、それだけではないんですけど、昔参加した祭りをやっていて、懐かしいなと思って来てみました」
「じゃあメインはやはり観光ですかね?」
「いえ……強いて言うなら、人探し、ですかね。中三の時、この国で会った彼を」
駆け出す。運動不足の体が悲鳴を上げる。
強い海風が、会場を駆け抜ける。
後ろで叫ぶ友人のことなんて、後だ。
「ほう、彼氏さんですか」
「厳密には、彼氏になって欲しかった人、ですかね」
ステージ裏に突っ込む。係員の静止を振り切る。第一、英語はしゃべれても未だに現地語は片言しかしゃべれないし、わからない。
「佐古先輩!」
ステージに駆け上がり、荒ぶる肺から息を絞り出す。
先輩の目が、驚愕で見開かれる。
二人して、一歩を踏み出す。あと、一歩の距離。
駆け出した先輩が、つんのめる。
押し倒された自分の視界が、先輩と空で埋まる。
時間が、止まる。
再び時間を動かしたのは、会場のどよめきだった。
「え、なに、ドラマ?」
「What's going on?」
「I don't know sure, but it is like something miracle.」
押し倒されている状況を認識し、とりあえず立ち上がろうと上体を起こす。
頬を摑まれる。
唇が、柔らかいものに触れる。
数秒ののち、解放される。
「おっそい」
「……すみません」
「待ちきれないから、来ちゃった」
どよめきも、歓声も、彼らの耳には入らない。
彼女の髪を飾るプルメリアの白が、極彩色のステージ上でひときわ明るく輝いていた。
常夏の夢 生ウイロー @DTZ-Y
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