第24話『魂のありか』

ーーまるで、巨大な白熱灯の中にでも放り込まれてしまったみたいだ。

俺の世界は凄まじい光と熱に支配され、全身の細胞がグツグツと沸騰するような感覚を覚える。


前方に展開した龍腕の壁は既に所々が焼き切られ、崩壊するのは時間の問題。

ガードを挟んで尚この出力なのだから、直接食らえば俺なんて一瞬でこの足元の灰と同じになるだろう。


『小惑星を一つ削り切る威力』。大賢者はこの魔法をそう形容していた。その言葉が決して嘘っぱちなどではなかった事を実感する。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」


「あ、ぁぁ、そんな……」


光の向こうから聞こえる大賢者の怨嗟の叫びと、スティルシアの絶望した声。メキャメキャと龍腕のガードが熔け、流れ込んでくる光量が更に増した。


ーー万事、休すか。

あまりの眩しさに目を細めながら、心の中でそう呟いた。


……水のアイオライト、炎のカーネリアン、土のオーロベルディ……いずれも無理だ。俺にこのレーザーを防ぐに値する手札は存在しない。

俺の"術式装填"では不可能ーー


「……待て」


頭に手を当て、記憶を掘り起こす。

……ある。一つだけ、この状況を切り抜けられるかもしれない切り札ジョーカーが。


エリミネーターに習ったっきり、一度も使用していなかった"術式装填・ラピスラズリ"。

紫色の煙を噴出し相手の目眩ましをするサポート特化の技。


……『煙は光を拡散する特性を持つ』


授業で余った時間に、科学の先生が余興代わりに教えてくれた事がある。

元は赤外線の特異性を説明する話だったが確かにそう言っていた。『通常の光ではいくら光量があっても煙を通過できないのだ』と。


この光魔法とやらに赤外線が含まれていたら、それこそ一巻の終わりだが。


「やってみる、価値はあるな……」


術式装填、"ラピスラズリ"。

自分の体に付着した血液に、紫色の葉脈を通す。


「っ、なんだ!?」


俺の全身から吹き出た紫煙が、辺り一帯を覆う。初めての使用だからか他に比べて練度は低いが……十分だ。

前を見ると、光は煙の壁を突破できず四方八方に散っている。防御成功だ。


思わず頬を冷や汗が伝う。この閃きが無ければ俺は間違いなく死んでいた。


「チィィィィィッッッ!!!」


「っ!?」


煙の層を突き破って大賢者が接近してきた。

ーー恐ろしく速い。だが、見える。

爛れ古龍の核を取り込んだからだろうか。あらゆる身体機能に凄まじいブーストが掛かっている。


「死ねェェェェ!!」


「ぐっ……!」


唸りを上げながら向かってくる大賢者の右ストレートを紙一重で回避したーーと、思ったら避けた方向にハイキックが飛んできて胴体を撃ち抜かれた。


なんとか顔を上げると大賢者の右目。つまりスティルシアの眼球が、爛々と光を放ちながら俺を睨んでいる。


「思考を、読まれてるのか……!」


大賢者は、俺の思考を覗く事で次の行動を予測している。間違いない。

こちらだけ手札を公開しながら一対一でババ抜きをしているような物だ。攻撃も回避も完璧に読まれてしまっている。


肉弾戦で勝てる相手じゃない。

俺は、バックステップで距離を取ろうとする。


「下がったな阿呆が! 術式装填"ウズシオ"!」


「なっ!?」


ーーそんな俺を追撃するようにして、大賢者の手から発生した水の質量を持ったハリケーンが向かってくる。


……技をコピーされたのか。だが俺の物より遥かに規模が大きい。

無限の水刃を内包した規格外の竜巻は、地面の灰を巻き上げ更に破壊力を増しながら俺へ直進する。


「術式装填……! アイオライト! カーネリアン! オーロベルディ!」


竜巻目掛けてがむしゃらに魔術を放つが、まるで通用していない。風と水の奔流に吸い込まれては消えていく。相殺は不可能だ。

……なら。


「……出てこい。爛れ古龍」


俺の呼び声に応じるようにして、全身に刻まれた傷口から無数の黒い龍腕が這い出てくる。

俺はしゃがみこみながら、自分を中心にそれらをドーム状に編み合わせて簡易的なシェルターを作成した。


……『建物に避難し、身を低くして過ぎ去るのを待つ』。嵐をやり過ごすにはそれが一番だ。

僅かな光も差し込まぬ龍鱗のシェルター。それを何重にも展開し、俺は目を閉じて耳を澄ます。


外から聞こえるのは吹きすさぶ風音と、それにガリガリと削られる龍鱗の音。

長くは持たないだろうが……さっきの光のレーザーに比べれば遥かにマシな威力だ。


それにこの魔術は打ち出した後は制御不能だし、持続時間もそこまで長くない。自分の技だから分かる。

あの規模から考えて……恐らくは、二分程度。

それだけ耐え切れば、きっと反撃のチャンスがーー


「チィッ! 使えねぇ、所詮は三下の魔術か! 魔力の無駄だった……! 散れ、ウズシオ!」


外から聞こえていた風切り音が、大賢者の声と共に聞こえなくなった。

……妙に決着を焦ってるな。このままやっていれば、ジリ貧になるのは俺の方なのに。


俺は龍腕のシェルターを解除し、大賢者の動向を確認しようとする。

しかし、先程まで奴が立っていた場所には誰もおらずーー背後から、おぞましいまでの殺気を感じた。


「ーーっ!」


「ぐっ……! なんて奴だ! 罪無き人に暴力を振るってまで生き残りたいのか!?君はなんて卑しい人間なんだ!!! そんな奴に先生が心を許すワケが無い! やはり何かしたんだな!? だから僕の事を嫌いなんて言ったんだ……! このゴミ野郎がぁぁぁぁぁぁ!!!」


体を旋回させながら放った裏拳が、大賢者の顔面を横殴りにした。反応されるとは思わなかったのか、怒りに顔を歪めた大賢者が大声で捲し立ててくる。


気付かなかった……! いつ背後に回り込まれたんだ。

俺の攻撃は殆ど効いた様子が無く、大賢者は腰だめに構えた拳を爆発的な速度で発射する。


「オラァァァッ!!」


「っ、がぁぁあぁぁぁっ!!!」


ーー大賢者の拳と俺の拳が真正面からカチ合う。

金属同士がぶつかり合ったみたいな鈍い音。インパクトの衝撃で空気がビリビリ震える。


黒い翼の紋様が走った腕の膂力は凄まじく、拳から伝わった衝撃だけで俺の右腕は使い物にならなくなった。

だが向こうも無事では済まなかったのか、拳からダラダラと流血している。


「先生は僕のだァァァッ!!!」


へし折れた腕にギブス代わりの龍腕を纏わせ、再度大賢者の拳をガードする。


……冷静さを失っているな。スティルシアの眼を使えば俺の動きなんて簡単に読めるのにそれをしていない。ただ力任せに暴れているだけだ。モンスターと変わらない。

それでも十分な脅威ではあるが……負け戦ではなくなった。


こうなったら徹底的に煽ってやる。こいつを怒らせて理性を奪い、『思考を読む』という事を選択肢から削ぎ落とすのが俺にとって唯一の勝ち筋だ。

覚悟を決め、大きく息を吸い込んでから叫ぶ。


「スティルシアはぁ! お前のこと! だいっっっ嫌いだけどなぁぁぁぁ!?」


「黙れ、だまれだまれっ!」


「黙りませぇぇん! スティルシアとはもうヤる事もヤったしぃ!? 今度は結婚式も挙げますからぁ!?」


「アガァァァァァッッッッッ!?!?!?」


俺の言葉で大賢者は白目を剥き、唾を垂らしながら攻撃してくる。怒りによって拳の勢いは更に速く、しかし先程までより単調になる。


スティルシアが『なに言ってるのさ君……』みたいな目で見てくるが気にしない。何故なら俺も俺が何を言ってるのか良くわからないから。

だが、確実に勝利ににじり寄っている確信があった。


ーー当たったら即死。それがどうした。いつもそうだった。


モンスターはいつだって俺より強かった。それでも生き残ってきたんだ。

そして理性を失ったこいつはモンスターに等しい。ならば俺に勝てない道理は無い。


「術式装填……! カーネリァァァン!!!」


「ぐがぁァァァっっっ!!??」


回避の挙動に乗せて、指先に付着した血液を大賢者へと飛ばすーーそれに紅蓮の葉脈を通しながら。

奴の頬に付いたソレから爆炎が発生し、顔面を焼き焦がす。


「アァ"ア"アァ"ァァァ"ア"づい!?」


頭部が炎上して酸素が無くなったのか、大賢者は喉を描きむしりながら叫ぶ。

ーー千載一遇のチャンス。

俺は、自分に火が燃え移るのも構わず大賢者の首を全力で締め上げる。


余った龍腕を口から直接気道に滑り込ませ、俺の持てるありとあらゆる手段で大賢者の呼吸を阻害する。


「ン、ヌゥ"ゥゥ"ゥウ"!?」


「はっ、ははは! どうだ、苦しいだろ!? 窒息しろよ! ほら!」


焼け爛れて水分を失った大賢者の瞳が、ギロリと俺を睨み付けた。

ガシッと俺の首を掴み、人外の握力で握り潰してくる。

ーー炎の中で互いに首を絞め合う体勢になった。


まるでサスペンスドラマの最終局面だ。そんな場違いかつ馬鹿げた自分の思考に、思わず口端がつり上がる。


「我慢比べだ……!」


「じ、ね"ェ"」


俺の喉笛が押し潰され、炎も相まって完璧に酸素が遮断される。だがそれは向こうも同じだ。

薄らぐ意識を必死に繋ぎ止め、指先に力を込め続ける。


「術式刻印、エンジェライト……! 坊主! 受け取れ! 絶対にその手を緩めるな!!! そいつは必ずこの場で殺さなければならない!」


その声の方向を見ると、地面に倒れたエリミネーターが俺に何かを投げようとしていた。

それは、純白の葉脈が通った小さいナイフ。

弱々しい力で投擲されたナイフは、俺の右肩に突き刺さった。


ーー瞬間、ナイフから俺の全身に走る翼の紋様。

筋肉に力がたぎる。酸素不足で萎びていた筋繊維が、別の動力で膨張するのを感じた。


「おお"ぉ"ぉぉぉ"ぉ!!!」


大賢者の首から、頸椎にヒビが入るようなピキッという音が手に伝わってくる。

ーー窒息なんて待つまでも無い。今の俺なら、こいつの首ごと捻じ切れる。

ナイフの"エンジェライト"から流れ込んでくる膨大な力が俺にそう確信させた。


「や"、やめ"、ろ……」


「やめて、たまるかよ……!」


大賢者の口から泡が吹き出し、目が充血する、

そして更なる力を込めた。今度は酸素の遮断ではなく脛椎をへし折るために。


「ァ"、ア"」


ペキ、メキャ。

大賢者の首が、可動域を遥かに越えてゴキャリと曲がった。


「はぁ、はぁっ……!」


「せん"、せぇ"……」


力を失って俺の首から離れた大賢者の手が、星空を掴むように天へと伸ばされる。


「また……あなたと一緒に……魔法の研究を、したかっ、た……」


そう言い残して、大賢者の体から完全に力が喪われる。

虚ろな目に光は無く、呼吸も停止している。


「……勝っ、た?」


信じられず、そう呟く。

この怪物に、勝ったのか。俺は。

思わず力が抜けて、へなへなと膝から地面に崩れ落ちた。


「っ、スティルシア!」


ーーが、すぐにハッとしてスティルシアに駆け寄る。

倒れたスティルシアは、抉り取られた右目の場所から血を流しながら笑っていた。


「……凄いや。本当に勝っちゃった」


「スティルシア、速く血を……!」


「……いーや、だいじょーぶだよ。……ほら、見て」


指先に止血用の炎魔術カーネリアンを通しながら言った俺をたしなめるように、スティルシアは自分の服の裾を捲った。


「ーーもう、助からない」


「っ……!?」


ーー服で隠れていたスティルシアの腹部は、三分の一程が丸く抉り取られていた。

ピンク色の臓腑が傷口から見え隠れし、血が止めどなく溢れている。


「そん、な、」


「はーっ……、肝臓全損、大腸半壊、胃半壊、腎臓全損……って所かな。痛くて寒くてどうにかなりそうだよ。下手に魔力があるせいで即死もできない」


クツクツと笑いながら、スティルシアが自嘲気に言った。

が、すぐに俺の顔を見て真顔になる。


「……なんで、泣くのさ」


スティルシアの顔に落ちた液体を見て、俺は自分が泣いている事に気が付く。

そんな俺をスティルシアは不思議そうに見詰める。


「私は今日、君に酷い事をたくさん言っただろう……? だから、私の事なんて嫌いになって良いんだよ。悲しまなくて良いんだよ」


何か強い感情を押し殺した時のような、震えた声でスティルシアは言った。


「それに……ねぇ、君はさ、人の魂って、どこに宿ると思う?」


ふと、といった感じスティルシアが言う。


「人の、たましい……?」


「そう。『魂の在処ありか』だよ……私はね、それは"記憶"だと思ってるんだ」


スティルシアは細々とした声で続ける。



「記憶がある限りその人はその人でいられるし、それを無くしたら別人になってしまう。その"記憶"を毎日失っている私には、魂なんて無いんだと思う。

……君の事だってこんなに大好きなのに、一緒に過ごした日々に実感が無いんだ。ただの脱け殻なんだよ」


『当たり前だ。私が持っているのは"記憶"ではなく君から読み取った"記録"なんだから』

スティルシアはそう呟いてから、けほけほと咳き込んだ。


「だから……そんな奴のために君が悲しむ事なんて無いんだよ? ……君はさ、いい人を見つけて、その人と一緒にふつーに生きて、死んで……しあわせに、なってほしいんだ」


にこっ、と花のように微笑んでからスティルシアが言う。


「おれ、は……」


「さあ笑って。私を安心させて死なせてよ。ほら、スマイルだってば……お願いだ」


ーー俺は。


「俺は……お前が居てくれないと、幸せになんかなれない……!」


ーーその言葉にスティルシアは目を見開き、何度か薄い唇を開閉させてからきゅっと閉じる。

それから、憎らしそうに俺を睨んだ。


「なんてこと、言うのさ……あぁ、だめだ。泣かないって決めてたのに、君のせいだぞ」


スティルシアの笑みが崩れ、目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。


「なんか……頭がぼんやりしてきたよ。血が出すぎちゃったのか、嬉しすぎて惚けてるのか……自分でも、分かんないや……ぁーあ、死にたくないなぁ……君と出会うまでは、ずっと消えてしまいたかったのに」


スティルシアは弱々しい両手で俺の頭を抱き締め、自分の方に引き寄せた。


「……あははぁ。だめだ……目が無いせいで、君の心が見えないや。最期に綺麗な記憶もの見ておきたかったのに……じゃあ、代わりに」


ちゅっ、と。俺の唇に柔らかな感触が触れた。

血の臭いと甘い香りの混じったソレは、俺に奇妙な感覚を残して離れる。


「えっ、へへへ……ちゅー、しちゃった」


血に濡れた顔でにまにまと嬉しそうに笑って、スティルシアは空を見上げた。

目が細まり、呼吸による胸の上下が浅くなっていく。


「……スティーー」


「ーーああ、了解だ。脅威ランクSS、"白夜びゃくや"を駆逐する」


ーーその時、背後から見知らぬ男の声と足音が聞こえてきた。


咄嗟に振り向くと、こちらに歩いて来ていたのは二十代半ば程の黒髪に白髪混じりで片目に眼帯を着けた男。

漆黒の巨槍を灰の地面に引きずり、一本線のような跡を作りながら向かってくる。


「……誰だ」


「初めましてだな、"熾天狩り"」


妙に掠れた声の眼帯男は、友好的とも敵対的とも取れない声色で俺に言った。

……こいつ、やはり駆逐官か。"白夜"とか言ってたな。大賢者を倒しに来たのか?


「……悪いけど、怪物はもう倒したぞ」


「あぁ。途中からだが見ていたよ。お前は素晴らしい。"過去最高"かもしれないなーーだが、怪物はまだ残ってるじゃないか」


不可解な発言をした男。俺は一瞬だけ首を傾げたが、すぐに恐ろしい事に気が付く。


「……おい、待て。それ以上近づいたら殺す」


「あぁそうだな。出来るものならぜひ殺して貰おうじゃないか」


ーー男は巨槍を肩に担ぎ、スティルシアに一歩近づいた


「術式装填、アイオライト!」


警告通り、俺は血に濡れた手の平に青い葉脈を通し、眼帯の男へ向ける。

そしてそこから発射された水の奔流が男を吹き飛ばーー


「ーー術式装填、"マーキュリー"」



「な……」


「悪いな……これは所謂『負けイベント』というヤツだ」


ーー男の持つ槍の先端から、星と見紛うまでに巨大な水の球体が現れた。

それは俺の水魔術を容易く取り込み、更にその大きさを増す。


「何者だ、お前……!?」


「いずれ分かるさ。きっとな。それじゃ今はさよならだ」


水星マーキュリーが、俺へと堕ちてくる。

サイズが大き過ぎて回避しようなんて馬鹿馬鹿しく思える。

俺はーー唖然としたまま、"水星"に押し潰された。


……薄れゆく意識の中、俺が最後に見たのは。


「……スティルシア、■■■■■■」



「君、は……」


スティルシアの胸に槍を突き立てる、男の姿だった。

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